僕は論理学を学びはじめようと思っています。どのような順序で考えを組み立てればいいのかを知りたいからです。
そこでロシュ限界さんに聞きたいことがあります。初心者におすすめの本とかはありますか?
野矢茂樹さんの著書「入門!論理学」や戸田山和久さんの「論理学をつくる」などがアマゾンで高評価を受けていました。これらの本はどうですか?ちなみにアマゾンというのはインターネットで物を買えるあれです。アマゾン川のことではありません。
おかあさああああああああああああああああああああああああああああああん!!!!!!!!!ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!ブツチチブブブチチチチブリリィリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!
ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。
「論理学ってのはどういったもんですか?」
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」
「ありますよ」
「ということは、広い庭があるわけですね?」
「その通り!うちには広い庭があります」
「ということは、一戸建てですね?」
「その通り!一戸建てです」
「ということは、ご家族がいますね?」
「その通り!妻と2人の子供がいます」
「ということは、あなたはホモではないですね?」
「その通り!ホモじゃありません」
「つまりこれが論理学ですよ」
「なるほど!」
深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。
「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」
「いや。ないよ」
「ということは、君はホモだな!!」
学術的な論理学は恒真式の公式の体系であって
俗にいう議論の能力とか説得力とは無縁のものと言っていい
ビジネス本のロジカルシンキングとかクリティカルシンキングをやった方がマシなんじゃねーのか?
さらに言えば、喧嘩は議論とは違うんだから、クリティカルシンキングすら必要ないかもしれん…
喧嘩の王道はやはりレトリック(修辞学)ではないだろうか?
例えば、記号論理学やクリティカルシンキングで下のような問題に正解をだせるか?
例えば>>1が下のようなレスで挑みかかってきたとして…
「明日6時頃行きます。みなさんの見ている前で 公開で 陰毛をそられてみたいです。誰かやってくれる人がおりますか。
本人確認は サウナの中で 竿を持って「とくさんか?」と聞いてください。
「違います」といいますからそうしたら竿を引っ張って洗い場に連れ出し 公開陰毛剃りを行ってください。
あとは皆様のおもちゃです。」
ロシュ限界さん、論理学を学びたいです。
あなたを待ち続けてもう1日がたちました。いるなら「いる」って言ってください。いないなら「いない」って言ってください。どうしてその程度のこともできないんですか?
僕はもう限界です。旅に出かけます。探さないでください。今までありがとうございました。次に会った時はおすすめの本を教えてくださいね。
P.S. おすすめの本はなんですか?
ところで、南鳥島は日本最東端の島です。なのにどうして南という文字がついているんですか?なんでもいいやと思われてしまったのでしょうか?気になって気になって、昨夜は8時間くらいしか眠れませんでした。
勝手に待って期待して、期待通りにならなかったら拗ねて、赤ん坊みたいにめんどくせえ奴だな。ほらよ。
www.amazon.co.jp/dp/4577025019
>>26
ありがとうございます。早速購入しました。これで僕もアンポンタンから卒業できそうです。とても大切にします、アインシュタイン式論理脳ドリル。
俺「喧嘩師なんて皆馬鹿だ。」
雑魚「馬鹿ではない人もいる。はい論破。」
俺「喧嘩師という集合体を空に設定すれば偽→真。よって俺の命題は真。はい論破。」
雑魚「ぐぬぬ…」
案外使えるじゃん。論理学。
>>18
無縁とまではいかないけれども、喧嘩に活かす目的で論理学を学びたいだけならば『詭弁論理学』一冊で事足りる。
ロジカル・シンキングやクリティカルシンキングに関する本は、だいたいの思考プロセスのモデルとしては優れモノだと思う。
ただ、言い負かすことを目的としてないために、そのまま喧嘩で使えるかと言ったらそうでもなくて、プロセスの添削を行って自分なりに体系化し直す必要性っていうのは感じられる。
それと、説得力だとか煙に巻く力なるものを伸ばしたいならやっぱりレトリックの方が良い。『THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術』あたりが読みやすくて手に入れやすい(まあまあ高くてページも多いけど)。
なんか俺は喧嘩のためだけに本買って勉強し始める人って居るのか疑問だけどな〜
掲示板を金も時間も使うような遊びにしたい訳じゃないよね?
個人的に、何かのついでに喧嘩強くなろうくらいの勢いで良いんじゃねと思ってるから、基本はじっくり品定めせず自分の読みたい本読んだって構わんっしょ。
『総合的研究 論理学で学ぶ数学』なんかは数学の勉強のついでに論理学学べるっていう名著
https://twitter.com/kasa12345/status/1130007820064174081
Masashi Kasaki@kasa12345 5月19日
「論破」というのがどういう状態なのか、しかしよく分からない。
アカデミアでさえ、普通に批判しても、「ボコボコにする」とか「噛み付く」とか、
暴力にかかわる表現で置き換えられることが多々あるのは、ほんとうによくない。
批判的というのは、生産的の対義語でもない。
そして、同時に、適切に批判するというのはどのようなことか、
それに適切に応答するとはどのようなことか、ということはもっと考えられないといけないし、
それを広めていくことが必要だと思う。
僕はクリティカル・シンキングの教育は、それだけやればもう十分だと最近は考えている。