ブラックブラックと世の中騒いでいるが、いつの時代も全ての人間が満足な労務条件・福利厚生で仕事に就けるわけではない。
ましてやブラック企業に養分とされている連中がいるおかげで、我々一般市民は比較的安価で品質の高い消費をできているのである。
つまり、我々は常日頃から「ブラック企業の恩恵を受けながら生活している」のである!
100円均一、500円以下の外食店、3000円以内で買える衣類…etc.
挙げていったらキリがない。皆さんも100円均一で買い物をしたことがあり、ユニクロの下着を持っているだろうし、ワタミで飲食をしたことがあり、500円以下で満足に食事ができる飲食チェーン店を利用したことがあるだろう?
我々の生活はブラック企業の搾取体質によって支えられているのである。
ブラック企業の出現は必然だった。カネが世の中に溢れかえっていた昭和の時代は日本社会に属する全ての企業が超高待遇だった。バブル崩壊を境に日本の成長期は終焉を迎え、安定期に入った。
安定期になると成長期のように世の中にカネが無限に湧き出てくるわけではなくなった。
「椅子取りゲームの時代」の開幕である。
すると必然的に高学歴・高偏差値の人間は自らの権益と利益を守るようになり、低偏差値・低学歴の人間はその椅子からあぶれでていった。
高学歴の人間は大手企業・官公庁に集中するようになり、低学歴の人間は介護・飲食業などに流れるようになる。昭和の時代ならば飲食や介護でも重労働ではあったが、満足な給与が保障された。
が、もはや無限ではなくなったカネに関して低学歴な者達の給料を削減することで高学歴な者達は自分達の権益(取り分)を守った。
これがブラック企業誕生の流れである。
弱肉強食は世の必然である。自己研鑚をろくにしてこなかった怠け者達が満足な給与を約束されないことは当たり前なのである。ゴールドラッシュさながらの”昭和幻想”の価値観をいつまでも思い描いている低学歴の者の多さに私は呆れ返る。
景気が良くなれば、またその分のしわ寄せ…即ち不景気がやってくるだけだ。
好景気の後は景気の波に乗ったつもりの低学歴共が好景気時代の生活水準をさも当然かのように錯誤し、被害者面と自分の力を過信するようになるだけである。
光があれば影が存在するように、好景気の裏には不景気が待ち受けている。常に成長を続ける社会なんてのは存在しえない。
一度甘い汁を吸ってしまった低脳な連中は自分の力を過大評価する。そしてそれは死ぬまで変わることがない。好景気はそういった歪みを生じさせる。その歪みが不景気となった時に”福祉”として社会を圧迫する。現に今、日本社会がそうなってきている。
好景気時代の生活水準が基準となっているために福祉に寄生しているクズ達の要求は際限がない。
話がそれたが、ブラック企業にしか就職できなかった能無しは自分自身の怠慢を悔いるべきであり、被害者面をすることは論外である。
昭和の幻想時代が「異常」であって、今の時代が「正常」なのだ。生存権や幸福追求権のような生まれながらにして人間は幸福になる権利があるなんていうミルクセーキをドブ漬けしたような甘すぎる考え方も幻想時代の過去の産物。
危機感のない者、怠慢な者、偽善者は今すぐに腹を切り土に還るべきだと心から思っている。
「自業自得」
「因果応報」
「自然淘汰」
健全な社会のキーワードはこの3つ。
表面的には全ての国民が平等の権利を有する社会にはなっているが、実際は違う。
いつの時代も「捕食者」と「被食者」に分けられている。
しかし、大昔のように生まれながらにして決定付けられているのではなく、それは人生の歩み方によって決定付けられるものとなった。
怠慢な人生を過ごしてきた者は被食存在として、一生搾取され続ける運命にある。いわば「現代の奴隷」である。奴隷達によって我々の生活は守られている。
つまりブラック企業の社員は奴隷なのだ。奴隷にならないために必要なのが「学」である。
だから賢明な親は子に学を身に付けさせるのだ。それは自身の子を奴隷としないためである。
私は昭和の浮かれている時代よりも現代の方が余程健全な社会だと考えている。
昔は努力しようがしまいが全員が報われた社会だったが、今は頑張った者が報われ頑張らなかった者は奴隷として搾取される時代だ。
頑張った分だけ差が出なければ努力する意味がない。
そういった意味で福祉は悪だ。開き直ったクズになど差し伸べる手も慈悲もない方がいい。クズは飢え、野垂れ死ねばいい。そういった危機感が人を堕落せしめることを防ぐからだ。自業自得・因果応報とはそういう事だ。
ブラック企業にしか就職できなかった者は搾取をする企業を恨むのではなく、搾取される側の世界にしか属することのできなかった自身の怠慢を呪うべきだ。
そして貧乏なブラック企業奴隷ほどブラック企業の恩恵にあやかっていることも忘れてはならない。
被食者から捕食者になるための努力をする以外にブラックワールドから脱する術は無い。
3月20日は国際幸福デー。国連の関連機関は毎年この日に「世界幸福度ランキング」という調査結果を発表しています。最新のランキングが発表され日本は62位(昨年は58位)でした(World Happiness Report 2020より)。
多くの人が「幸福」を追求しているわけですが、そもそも「幸福」とは何なのでしょうか。収入の多さや社会的地位の高さ、配偶者の存在などは、どれほど人間の「幸福」に影響を及ぼすのでしょうか。昨年の幸福度ランキングにおける日本の結果を振り返りつつ、『幸福の意外な正体』について解説していきます。
この本を要約すると、社会情勢とかそんなもんより人間は幸福を求めて生活してるってこと。
高学歴を経て一流企業へ就職するって考え方は、幸福を得るため幸福へ到達するための一つの道でしかない。
そろそろ天使と言う愚か者は、自己流公式でしか正解がないの考え方を改める必要がある笑
社会的弱者を応援する偽善者、ネットイケメンに俺が誤解されてしまわぬように>>1に同意するならば、、
幸福は先天的な要素が大きい。特に女性は顔。
ブスが幸福を得るため人生を好転するためには後天的な努力は確かに必要である笑
まあ天使を含め、容姿を補うための高い学を得る等、後天的努力が必要な全てのブス共に俺は心からエールを送りたい笑