俺は「生きるために生きる」ってあまり好きじゃないんだよな。
なんか表現が曖昧すぎて、その先の目的が見えない。
正直、人生において何の生きがいもなく生への執着が薄れてしまった人が、だからといって死ねない現状にそれっぽい理由付けをしてるようにしか聞こえない。「死ぬのが怖いから生きるんだ」ってニュアンスで捉えてしまう。
そういう考えを持つのは個人の自由だし、自身の心をケアする分には全然いいと思う。確かに気は楽になるかもしれないしな。
でも生きる以上の目的はないのか?何かのためにとか、誰かのためにとか。まさか毎日死の恐怖を感じながら生活してるわけじゃないだろう。あるいはこれから先も「生きてるだけで楽しい」が続く保証はないだろう。
生きること自体が目的だとしたら、生きるのが辛くなって死の苦しみすら怖くなくなった時どう言い訳するの?って話。
生に対して消極的な人間は、少しでも気持ちが揺らぐと危ない状況にあると思うよ。両手を離しながら自転車を漕いでいるようなもんだ。
死に対して枷になるものがないから自殺のことばかり考えてしまう。
そういう意味では、やっぱり中毒にならない程度の生きがいは必要なんじゃないかと常々思う。いや、必要とまではいかないけどあった方がいいと思う。綺麗事とかじゃなくて実感として。
そして「生きがい」を目的にして「生きること」を手段にした方が良さそう。
別に「生きることが素晴らしい」とかそういう美徳を求めてるわけじゃないけど、「死ぬのが自由」というのもあまりに自分本位すぎる。
自分が死ぬことで誰かを悲しませてしまうなら、そのことを想って普段から死なない努力をするのは素晴らしいことだと俺は思う。
もちろん生きがいだけで健康に過ごせるわけではない。食事、運動、睡眠、あらゆることが健康に絡んでくる。ただ、それらの土台となるのが「生きがい」という存在ではないか。
「生きるために生きる」ってなんだろ。もすは「生への執着が薄れてる」って言ってるけど、俺は真逆に感じたなあ。ただ生きたいって気持ちが強く伝わってくる。これって一瞬当たり前のように聞こえるけど、凄いことだと思うな。
だって、実際こんな風に(純粋に)生きたいって思ってる人どれくらいいる?少なくとも俺は自分らしく生きたいし、ただ生きるだけじゃ意味がないと思ってる。それに対して、「生きるために生きる」人は、生きることが生きがいなんでしょ?そりゃ強いよ。