これまで行われてきた数々の研究では、人間に「自由意志」など存在せず、脳が決定を下したのちにそれが「自分の意志」として意識にのぼるのだ、という衝撃的な結果が発表されてきた。
ならば、脳内のニューロン発火が、われわれの動作のほとんどを決めてしまうというのだろうか? すべての思考や記憶、夢や希望までも?
真実はもしかすると、自由論と決定論の狭間に位置するのかもしれない。ドイツのベルリン大学附属シャリテ病院による脳科学の最新研究は、長らく議論になっていた哲学的難題に、少しだけ希望を与えてくれる。もったいぶらずに研究結果を言ってしまうと、人類の自由意志は幻想ではなく、確かに存在する──ただし、ほんの0.2秒というわずかな間だけだが。
今回の実験によって示されたのは、まさに脳からの司令を拒否するのは可能だということである。ただし、後戻りできないポイントというのは確かに存在する。実験では、ボタンを押す約0.2秒前までならば、動作を中断、または拒否することが可能であったという。0.2秒を下回ると、ボタンを押す動作は止められなかった。
つまるところ、生体的な脳の決断後には、われわれの自由意志が入り込む隙があるということだ。脳は、現在の問題を素早くインプットし、過去の記憶や経験により形成された配線を通して、決断としてアウトプットする。脳が経験した過去の全てを知り得たならば、予測することが可能だろう生体的判断は、「意識をもつわれわれ」によって拒否できるということだ。
人の決断は、脳が用意する準備電位のなすがままではない。同チームは、これからより複雑な意思決定プロセスに関する研究を進める予定だという。
今日読んだphaさんの本に、
人間は自由意志がなくてもあると思いたい、あると生きていけない生き物だ、みたいなことが書いてあった
まあ不確定性原理ってのは未来が不確定というだけの話であって、人間の自由とは結びつかないがな。
>>8
その記事は俺も見たぞ。
だが、そもそも意志が自由になるなんてことはあるのだろうか。
「脳の司令を拒否できたから自由意志が存在する」は結論を急ぎすぎているように思える。その「拒否」という選択自体も、また別の生体的な脳の決断である可能性はないだろうか?
人間が単なる物質で構成されている以上、意識や意志などというのもまた物質が作り出したものに過ぎないはずだ。所詮は外界に支配されているだけの錯覚。
もし人間の意識を物質界とは隔絶された特別なものというのなら、その物質プラスアルファの正体を暴かない限り、自由意志の存在を主張するのは厳しいと思うぞ。
>>9
天動説から地動説が主流となったように、いずれ自由意志が否定される時代も来るだろう。
地球が中心だの、人間が中心だの。人類ってのは最初はそういう幻想を抱きたがるもんだ。
野矢茂樹「哲学の謎」
われわれもまた枯葉と同様に自然法則に従うしかないというのであれば、われわれの動きは自然法則に縛られている。
しかし、もし自然法則に従った動きしかできないというのであれば、「自由な行為」ということも私には虚しく思える。
それはけっきょくのところ操り人形の見た幻影にすぎないのではないか。
ベンサム「道徳および立法の諸原理序説」
自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとにおいてきた。われわれが何をしなければならないか
ということを指示し、またわれわれが何をするであろうかということを決定するのは、ただ苦痛と快楽だけである。
一方においては善悪の基準が、他方においては原因と結果の連鎖が、この二つの玉座につながれている。苦痛と
快楽とは、われわれのするすべてのこと、われわれの言うすべてのこと、われわれの考えるすべてのことについて、
われわれを支配しているのであって、このような従属をはらいのけようとどんなに努力しても、その努力はこの
ような従属を証明し、確認するのに役だつだけだろう。
フロイト「エロス論集」ナルシシズム入門
鎖の一つの環としての個人は、自己の意に反して、少なくとも自らの意志をもたずに、鎖に奉仕するのである。
個人は性を自己の意図に従ったものと考えているが、別の視点からみると、個人とは自己の生殖質の付属物にすぎない。
そして快楽という褒美につられて、生殖質に自分の力を捧げているのである。生殖質は、おそらく不死の実体であり、
死すべき個人とはその乗り物に過ぎない。
ドーキンス「利己的な遺伝子」
彼らはあなたの中にも私の中にもいる。彼らはわれわれを、体と心を生み出した。そして彼らの維持ということこそ、
われわれの存在の最終的論拠なのだ。彼らはかの自己複製子として長い道のりを歩んできた。今や彼らは遺伝子という
名で歩きつづけている。そしてわれわれは彼らの生存機械なのである。
てめぇよっくも俺様にぶつかってくれたな!
てめぇよっくも俺様にぶつかってくれたな!
てめぇよっくも俺様にぶつかってくれたな!
茂木健一郎「脳とクオリア」
人間に自由意志が存在するということは、私たちが私たち自身について考え、人間的な価値観や、モラルを形成する
上で、死活的に重要な前提だ。もし、人間に自由意志が存在しないとしたらどうなるだろうか?ある人間が将来どの
ような行為をとるかが、あらかじめ決まっているとしたら?私たちがどのような意志を持とうとも、そのような意志
を持つこと自体があらかじめ決定されているとしたら?そのような世界は、私たちにとってかなり受け入れにくい
はずだ。実際、自由意志がないとしたら、私たちの人間観、社会観の多くは、その根底から崩壊することになるだろう。
外に選択肢がなかったのだとしたら、どうして犯罪者を責めることができようか?
もし、自由意志がないのだとしたら、人間のあらゆる努力は意味のないものになり、人間の尊厳さえ、失われること
になりかねない。
このように、「自由意志」があるかないかという問題は、私たち人間の存在の根幹に関わる、重大な問題だ。もし
自由意志がないのだとしたら、私たちの人間観、世界観はまったく変わったものにならざるを得ないのである。
>>18
フォースさんは、職人は、出来るけど、ふざけてるぞ!!
おまけに、金や!!
やめといた方が、良いぞ!!
フォースさんに、対して!
着うたの依頼は!!
ああああああああああうんちブリブリ!!!!
助けてー!!助けてー!!助けてー!!助けてー!!
助けてー!!助けてー!!助けてー!!助けてー!!
助けてー!!助けてー!!助けてー!!助けてー!!
助けてー!!助けてー!!助けてー!!助けてー!!
助けてー!!助けてー!!助けてー!!助けてー!!
助けてー!!助けてー!!助けてー!!助けてー!!
あら、ここには飲茶の詭弁をどや顔で載せてくる哲学初心者さんはいませんのね。
こういう場で自由意志の話になると必ずと言っていいほど挙げてくる輩がいらっしゃるのですが、馬鹿でもわかった気になれるので便利なのでしょうね。
早く警察呼んでー!!警察呼んでー!!
お巡りさん呼んでよ!!お巡りさん呼んで!!
怖いよー!!助けてー!!
助けてー!!助けてー!!助けてええええぇぇ!!
モテるモテないをまだ気にしている愚かな人間よ。
モテない自分を受け入れろ。悟りを開け。どうせ自由意志なんて存在しないのだから。
モテるモテないを気にしてない俺カッケー
ってことかな
それはモテないことを受け入れられなかった結果の範疇を出てないし、悟ってるようには見えないw
カッコいいカッコ悪いをまだ気にしている愚かな人間よ。
カッコよくない自分を受け入れろ。悟りを開け。どうせ自由意志なんて存在しないのだから。
人の責任能力をまだ気にしている愚かな人間よ。
殺された自分を受け入れろ。悟りを開け。どうせ自由意志なんて存在しないのだから。
モテるかどうか、カッコイイかどうか、そういうのを判断するのはダメで、愚かかどうか判断するのは許されてんの?
許可や権利をまだ気にしている愚かな人間よ。
そんなものに意味はないことを受け入れろ。悟りを開け。どうせ自由意志なんて存在しないのだから。
モテるかどうか、カッコイイかどうか、そういうのを判断するのは愚かで、愚かかどうか判断するのは愚かじゃないの?
愚かじゃないものの存在をまだ気にしている愚かな人間よ。
万物は愚かであることを受け入れろ。悟りを開け。どうせ自由意志なんて存在しないのだから。
早く警察呼んでー!!警察呼んでー!!
お巡りさん呼んでよ!!お巡りさん呼んで!!
怖いよー!!助けてー!!
助けてー!!助けてー!!助けてええええぇぇ!!
俺だったら!
ひのっちさんとひかりさんが、来ないかな?
お互いの相談相手は!!
逸れとな!
キャスフィは、匿名サイトじゃ無いぞ!!
たかが変換ミスにこだわっている愚かな人間よ。
そんなものを訂正している自分が一番こだわっていることを受け入れろ。悟りを開け。どうせ自由意志なんて存在しないのだから。