「喧嘩用語の基礎知識」編集部

140H.R.ギーギー
2022-02-07 14:10:57
ID:of4uhfLs(sage)

「大論界」

キャスフィ避難所の喧嘩師「きいろちゃん」によって提唱された、ネットの言論世界を最も大きく総括する場合の類概念である。「大論界」は、次の三つの「論界」に分かたれる。すなわち、「議論界」「喧嘩界」「殺伐界」である。ジャック・ラカンの「schema RSI」を用いた「言論クラスタ」の分類であり、それぞれ

議論界=象徴界

喧嘩界=想像界

殺伐界=現実界

に対応する。「議論界」とは、言葉の秩序とそれによって切り取られる世界の断片を議論によって摺り合わせ、最終的な合意において真理が顕現することを目指す言語活動である。それに従事する者たちは「議論師」と呼ばれる。

「喧嘩界」とは何か。それは想像の世界であり、愛と憎しみの世界、そして悪意の世界である。彼らは「議論」に寄生し、それを利用することもあるが、その場合でも議論が目指す「合意」や「真理」には全く興味がない。彼らは「差異」を造り出し、「断絶」を楽しむ。たとえ「客観的真理」を求めるような外見をしている時でも、彼らが求めているのは「悪意がもたらす享楽」にほかならない。このような倒錯的変態衝動に突き動かされた動物たちを「喧嘩師」と呼ぶ。

「殺伐界」は「喧嘩界」がその臨界を突破することによって“向こう側から”現れた。そこには、もはやまともな言語活動と呼べるものは存在しない。言葉と言葉の隙間から単なる悪意を超えて噴出してくる黒い物質。アリストテレスが「純粋質料」と呼んだ無形の不気味な何かが、書かれた文字たちの間から染み出してくるのだ。時折、人の形をとるかのように話しかけてくる不気味な人形たちは「殺伐師」と呼ばれる。

このほかに、特定の「論界」を持たず様々な論界を移動したり周回したりしている人々がいる。

「煽り師」は、「議論師に寄生する喧嘩師」に寄生するという、特殊な生態をもつ。彼らは喧嘩における議論というものに意味も到達点もないということにいち早く気づいた人々である。この点では、「喧嘩実存主義」や「喧嘩ミニマリズム」などの喧嘩思想などと同じなのだが、彼ら煽り師は「それなら悪意も議論と同じように擬装できるのではないか」として喧嘩界での言語活動を超越してしまったのである。彼らが行う「煽り」は、もはや悪意の発露ではない。喧嘩師が行う議論があくまで喧嘩の手段にすぎないのと同じように、煽り師が行う喧嘩は「煽り」という全く別のコミュニケーションの手段にすぎないのである。では、「煽り」とはどのようなコミュニケーションなのか。それについては、5ちゃんねる初心者の質問板「煽り合って精神を鍛えるスレ」というところに行ってあなた自身の目で確かめて欲しい。「文字喧嘩」とはまた違った文化を味わえるだろう。

「荒し師」は「煽り師」からコミュニケーションを抜き去った存在である。彼らは一方的にメッセージを置きにくる。自分の脳髄で噴出する何物かを言葉として書きつけなければ死んでしまうかのように・・・。このため、荒し師は殺伐界と大変相性がよい。

「成済師」はあらゆる言論において言論の(つまり、書き込みをする)“主体”を曖昧にすることを目的とした一群の人々である。なかでも「よしお帝国」とも称される「よしお一族」は、いわゆる「成り済まし」を最も組織的かつ広範に行っている。『晒しの楽園』のよしおは、喧嘩師として「喧嘩実存主義」の代表的存在であり、なおかつ最近勃興してきた「喧嘩ミニマリズム」の開祖でもあるわけだが、彼の実際の言語活動の大部分は、この「成済師」としての活動に割かれている。その目的は、言論から主体を消し去り、言論を「人と人とのコミュニケーション」ではなく、「言論と言論のコミュニケーション」(間言論性)として再構成することにある。しかも、それを「大論界」の全体にわたって行おうとしているのである。これにより、議論界では「誰がそれを言ったか」ということをこれまで以上に排除して、純粋な「議論そのものの自己展開」が行われるであろう。人間存在はその手段にすぎなくなる。喧嘩界では、誰かから誰かに向けられていたはずの悪意が、「純粋悪意」として領域を漂うようになるだろう。殺伐界では逆に、擬制的な主体が読む者に語りかけてくるだろう。


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