「喧嘩用語の基礎知識」編集部

141H.R.ギーギー
2022-02-07 15:16:36
ID:of4uhfLs(sage)

「喧嘩ダダイズム」

一般に「荒し師」とみなされている梨乃とマスー君だが、彼らは正確には「荒し師」ではない。「喧嘩ダダイズム」という喧嘩思想の実践者なのだ。「喧嘩ダダイズム」とは、喧嘩から「意味」を抜き去り、「喧嘩というシステム」を脱臼させることによって初めて真の喧嘩が可能になるという思想である。それが芸術運動としての「ダダイズム」に似ているというところから、「喧嘩ダダイズム」と名付けられた。

第一次大戦渦中の1916年、チューリヒには合理主義を嫌悪する厭世的な気分が満ちていた。かの地でそのような気運に対応する反芸術運動を展開しようとしたルーマニアの詩人T・ツァラは、辞書に無作為にナイフを突き立てたところ、その刃先はフランス語では「木馬」を、スラブ系言語では「相槌」を意味する「ダダ」という一語を刺していたという。これ以降、ツァラがH・バルやJ・アルプらと創始した「ダダ」は明確な根拠を持たない、反芸術的な文芸運動として始まったが、F・ピカビア、K・シュヴィッタース、M・レイ(M・デュシャンを含める場合もある)らがその先鋭的な主張に刺激を受け、「アサンブラージュ」、「コラージュ」、「フォトモンタージュ」などの技法を駆使した造形作品を矢継ぎ早に発表した。なお、造形運動としてのダダの展開はほぼパリ一都市に限定され、この運動に参加した作家の大半は、20年代以降その理念や技法を「シュルレアリスム」へと継承していく。

「喧嘩ミニマリズム」が「喧嘩の元素」を探求して意味をそれ以上分割できない最小限にまで切り詰めるのに対して、「喧嘩ダダイズム」は喧嘩という言語活動のシステムや構造を脱臼させ、意味の流通や制御を不可能にする。それが目指すところは、結局、成済師よしおと同じなのかもしれない。

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