「喧嘩用語の基礎知識」編集部

50名無しさん
2022-01-17 12:51:39
ID:kXnpZiM6

【曙覧】

橘 曙覧(たちばな あけみ、文化9年(1812年)5月 - 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、幕末期の歌人、国学者。身近な言葉で日常生活を詠んだ和歌で知られる。

2歳で母に死別、15歳で父が死去。叔父山本平三郎の後見を受け、家業の酢製造業を継ごうとするが、嫌気をさし、28歳で家督を弟の宣に譲り、隠遁。京都の頼山陽の弟子、児玉三郎の家塾に学ぶなどする。その後、飛騨高山の田中大秀に入門し、歌を詠むようになる。田中大秀は、本居宣長の国学の弟子でもあり、曙覧は、宣長の諡号「秋津彦美豆桜根大人之霊位」を書いてもらい、それを床の間に奉って、独学で歌人としての精進を続ける。門弟からの援助、寺子屋の月謝などで妻子を養い、清貧な生活に甘んじた。当初足羽山で隠遁していたが、37歳の時、三ツ橋に住居を移し、「藁屋」(わらのや)と自称した。43歳の時、大病をし、名を曙覧と改めた。

1858年、安政の大獄で謹慎中の松平春嶽の命を受け、万葉集の秀歌を選んだ。曙覧の学を慕った春嶽は、1865年、家老の中根雪江を案内に「藁屋」を訪れ、出仕を求めたが、曙覧は辞退した。

1868年(慶応4年)8月死去。享年57。明治に改元される10日前であった。

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