「喧嘩用語の基礎知識」編集部

94H.R.ギーギー
2022-02-01 10:32:43
ID:1./CeecM(sage)

「なにこれて面白い名無しさん😂」/「暇からきた」

かつて存在した葉っぱ天国喧嘩板において、「五七五で喧嘩する」というスレッドが定期的に立てられていた。いわゆる「喧嘩俳句」という独特のジャンルであり、葉っぱ天国における喧嘩の幼児化、喧嘩の趣味化を象徴するものである。ただし、文字喧嘩の裾野を広げるという意味では、難解に堕する傾向のある「議論喧嘩」に対して一定の優位性を保っていた。

これに対して、江戸文学の本格的な教養を背景にもつ曙覧は喧嘩俳句のありふれた作風を「月並喧嘩」と呼んで批判し、「喧嘩は滑稽なり。喧嘩は挨拶なり。喧嘩は即興なり」と看破した。その代表的な句が

「なにこれて面白い名無しさん😂」

「暇からきた」

の二句であり、俳句の世界でいえば正岡子規による「俳句革新運動」と荻原井泉水による「無季自由律俳句」の提唱が同時に行われたようなものである。しかし、ここで起こったのは単なる喧嘩俳句の革新にとどまるものではない。「喧嘩とは、発話の無意味さを通じてなされる悪意のコミュニケーションである」とする喧嘩概念の更新であった。しかも、曙覧はそこに中国文化を背景とし江戸時代初期に成立した煎茶道の方法論(茶を一滴、舌の上に落として口中にて転がす)を導入し、「悪意はわずか一滴、あるのか無いのかわからないくらいが丁度よい」とした。

このような曙覧の方法論は、全く別の文脈からキャスフィ避難所に発達した「喧嘩ミニマリズム」と合流し、いまも独自の進化をみせている。

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