HKJがHKJのために作った喧嘩界wiki(笑)でも見とけばいいものを「どっちが強い!?」「どっちが強い!?」って、つまり何をどこまで知りたいんだ?
『喧嘩界の歴史』
https://seesaawiki.jp/w/white_silver_6/d/%b7%f6%b2%de%b3%a6%a4%ce%ce%f2%bb%cb
【古代喧嘩界】
インターネット誕生~2003年を指して古代喧嘩界とする。
本当の起源がいつなのか、どのようなものなのかについては当wiki編集部では把握しきれていません
便宜上、古代喧嘩界と銘打ってはいるものの当時はまだ喧嘩が競技性を帯びていなかった時代。喧嘩界どころか喧嘩師という概念すら確立していなかった。少し過激な詩を掲載しているポエムサイトの一角にアウトローなネットユーザーがたむろして事実上の喧嘩サイトとして機能していた、とかそんな感じの実態だった。
この時代に存在していた喧嘩師を第1世代とする。
Selcia イシヤ 毒 グリムリーパー など
【中世喧嘩界】
2004年~2006年、いわゆる喧嘩界の革命期
「喧嘩したいやつ(喧嘩師)のために作られた喧嘩をするためのサイト(喧嘩サイト)」が確立する。代表例は毒殺天国など
所属喧嘩師リスト、ランキング、大会など様々な試みが実践された。喧嘩サイトという文化そのものが生まれたてなのだから、当然そのどれもが「前例のない初の試み」であった。手探りで失敗も多かったが、様々なことを暗中模索するうちに少しずつ効率化され、洗練され、様々な習慣が生まれた。テーマは?反論期限は?など喧嘩をするうえでルールを意識するという感覚もこの頃に生まれた。それどころか「1つの勝負に1つの決着がある」という今となっては当たり前の習慣でさえ、この頃ようやく生まれた感覚の1つだ。
中世喧嘩界で活動していたユーザーを第2世代とする。書き切れないくらいに大勢いる。黄金時代。
代表例はЖ砂漠地帯Ж ゲシュタルト崩壊 蒼二郎 まか ミキィ、。など
【第3世代】
情けない火山では近代とされているが、時を経るごとに現代は過去となり中世は古代となり、圧迫されていくことで表記とイメージのずれが生じかねないため、これ以降は時代を表す呼称に世代を当てはめていくことにする。
第3世代は2006~2008年を指す。初代の平成喧嘩塾が統治していた時代だ。
先立って毒殺天国が没落したわけだが、中世で大量に増殖した第2世代の喧嘩師たちの天下り先として平成喧嘩塾が機能していた、というのが実態だろう。
ただ、代を追うごとに喧嘩サイトという文化そのものが世間に少しずつ浸透してきた影響もあり、精力的には喧嘩塾の一極化とはならず数々の喧嘩サイトが産声を上げた時代でもある。その恩恵もあってか「喧嘩塾が少し停滞したとしても他サイトはしっかりやれている」といった感じで、界隈全体を通して見るならば非常にバランスが取れていた。
第3世代の代表例は塾長 畢竟喧嘩師 千尋など
【第4世代】
2008年に初代喧嘩塾が死亡。
その後、冷やし猫鍋などがしたらば喧嘩界隈の最前線となる。
毒殺から喧嘩塾へと受け継がれた系譜とはまた別の、他のコミュニティで発祥した面々が独自に国を興したような感じだと思われる。
ユーザーの顔ぶれはガラッと変わる。
一部の例外もいたが、第3世代までのユーザーの多くは隠居し、たまに顔を出す程度になった。
第4世代の代表例はおでんなど
「情けない火山」
https://seesaawiki.jp/w/white_silver_6/d/%be%f0%a4%b1%a4%ca%a4%a4%b2%d0%bb%b3
情けない火山とは、遡ること毒殺天国成立時代から今に至るまでの喧嘩界の流れを時には細かく、時にはコミカルに、そして時には風刺的に書き綴った文章コンテンツ掲載サイトです。
喧嘩界の内容とその移り変わりを記した歴史書だけではなく、喧嘩用語辞典や喧嘩師リストなども一見の価値あり。
なお、管理人名が不明とされているのは喧嘩師リストで人を小馬鹿にしすぎであるためと考えられる。
編集者の身元が判明してしまっては書きたい皮肉文が書けなくなり運営に響いてしまうのだろう。
『情けない火山』「喧嘩史について」最終更新:2015年09月24日 13:33
https://w.atwiki.jp/butanoketu/pages/79.html
現存する史料などから、"喧嘩"という概念には最低でも10年以上の歴史があることが分かっている。
"喧嘩界"が確固とした形を成してからは、およそ8年以上であろうか。
筆者は、10年の歴史の中で特に象徴的な事象を抜き出し、
そこを節目として、喧嘩史を四つの時代に区分している。
"喧嘩"というジャンルの始まり、草創期である「古代」。
"喧嘩""喧嘩師""喧嘩サイト"という根本概念が確立し、
毒殺天国の誕生を経て、それぞれのサイトが勃興期に突入、
すべての勢力を巻き込み喧嘩界全体が隆盛を極めた「中世」。
中世の終焉後、平成喧嘩塾の登場を筆頭に新たな勢力図が形成された、現代の礎たる「近代(新時代)」。
そして、それら全てを経たのち、停滞期から衰退期に入っている今日、「現代」である。
現代に生きる喧嘩師たちは、大体が毒殺天国や平成喧嘩塾が中心となった時代をルーツに持っているとは思うが、
それらとは無縁の喧嘩サイトも多数存在するだろう。
最近になって交流が深まってはいるものの、まったく異質の喧嘩観・文化を形成している携帯サイトなどが、まさしくそうである。
当たり前のことではあるが、毒殺天国・平成喧嘩塾といった諸文明は、ネット上に数多ある喧嘩サイトのうちの一つに過ぎないのだ。
しかしながら、自分が確認したもの以外の存在は知りようがない。
調べれば分かるかもしれないが、そんな選択肢は存在しない。面倒臭い。
つまり、筆者の歴史観は、言わば不可抗力的な「毒殺・喧嘩塾中心主義」に基づく歴史観なのである。
念を押して、当たり前のことではあるが、喧嘩史についての見解は、飽くまで筆者個人の目線から見て考えたものである。
資料不足は勿論のこと、昔からいるとはいえ、筆者が各事情を網羅しているというわけでは決してない。
実際の史実とは異なる部分もあるであろうし、各項の考察には筆者の推測や想像が少なからず含まれているということを、
予め閲覧される皆様にご承知いただきたい。
『情けない火山』「喧嘩サイトの起源」最終更新:2015年09月24日 13:40
https://w.atwiki.jp/butanoketu/pages/81.html
筆者の経験上、2001年以前から喧嘩を行うための空間として「喧嘩サイト」が存在し、
(トップページを基に構成されたものだけでなく、掲示板単体であってもそれに含まれる)
またその時点で既に、現在の喧嘩とほとんど変わらないスタイルが確立されていたことが分かっている。
・大体が両者合意のもとで行う試合形式(明確に勝敗を決定づけ、原則的に勝利を求めて争う)
・ただ罵倒しあうだけでなく、発言の穴を見つけて論理的に攻める(論破を目指す)
しかし、はっきり言って、原初たる喧嘩サイトがいつ頃誕生したどのサイトであるのか、ということは全くもって不明である。
なので、せめてもの推論として、大まかな源流程度には探っていきたい。
結論から言えば、喧嘩サイトの源流はアングラ系サイトにあるであろう。
喧嘩という現象は、多数のユーザーが一同に会するコミュニティである以上、必然的に発生し得る摩擦である。
(ネットの場合、匿名性から生まれる気楽さがその発生に拍車をかけているといえる)
しかし、一般的な目線から見て、喧嘩という行為はとにかく悦ばしくない。
議論や討論のように高尚なものではなく、ただ他者を叩きのめすためだけのものであるこの「ネット喧嘩」は、
ネチケットを鑑みれば、一般ユーザーにとって忌み嫌うべきものであるというのは自明である。
現在では議論・討論の形式を取り入れ、ある種スポーツ化した一面もあるが、
そうであっても、一般人の認識からすれば、議論・討論の領域にまでは到底達しない。
「ネット上で好んで口喧嘩とかアホか?無益だわ!」
というレベルのモノなのである。
しかし、かつてのネット世界において、他者との攻撃的なコミュニケーションを楽しめるこの「ネット喧嘩」に魅せられた者たちがいた。
喧嘩には煽る対象が必要である。独り言のように罵倒を並べるだけでは面白くない。だが、人を煽るのはルール違反になる。
何の実りもなく、やかましく見苦しい罵詈雑言を並べ立て、他者を攻撃して悦に入る行為が、どうして大衆に受け入れられようか。
それ故、原初の喧嘩師たちは一般サイトを離れ、喧嘩をする空間(=喧嘩サイト)を、必然的に大衆の目から離れた場所に作りだした。
アンダーグラウンドに。
※大規模掲示板群においては、megabbsの「激怒・喧嘩」カテゴリのように、ネット上のアウトローの掃き溜めとして設置されるものもある。
しかしそれらは、大抵の場合荒らしと個人攻撃が横行し、現在行われているような喧嘩行為とは無縁の存在であることが多い。
冷やし猫鍋って2013年にはあったんだ
口喧嘩battle.comって2012年の夏に一時的に栄えて消えてったし
何代目かも分からん平成喧嘩塾もあったよね
後これくらいの時期にゼロドールと産廃が協力して喧嘩板作ってた気がする
あぶのーまるが切り捨て喧嘩板って負けた奴は書き込み禁止ってルールの喧嘩板作ったり
乱気流におでんが現れたのもこの時期か?
後ろんぱーって名前の喧嘩板あったよね
第4世代って一言で言っても喧嘩板が乱立しては半年経たずに滅んで行く時代だったと思うわ
>ネット上のアウトローの掃き溜めとして設置された喧嘩掲示板
かつての『葉っぱ天国喧嘩板』やここ『キャスフィ避難所喧嘩板』(殺伐板)も元々はこの部類の喧嘩板である。
>それらは、大抵の場合荒らしと個人攻撃が横行し、現在行われているような喧嘩行為とは無縁の存在であることが多い。
にもかかわらず、ここ『キャス避』が喧嘩文化最後の砦のようになっているというのは、「歴史の皮肉」としか言いようがない。
【『情けない火山』「喧嘩サイトの起源」の続き】
広義の口喧嘩は、ネット上のどこであろうと発生し得る。
コミュニティ内で時に軋轢が生まれ、他者との諍いが起こるのは、人と人が触れ合う以上当たり前のことなのだ。
それらは、なにより他者の迷惑になる上、互いにとっても利益をもたらさない、悦ばしくない行為である。
しかし、何千万ものユーザーの中には、それらを好んで行う変人が少なからず存在する。
そのマイノリティが、それ=喧嘩を行うためだけに設置した空間が、まさしく純粋な源流たる喧嘩掲示板(あるいは罵倒掲示板)だったのだろう。
中には、荒らし系サイトから派生したものもあるかもしれない。
いずれにせよ、それらは一般ユーザーからは忌諱されるものであり、遠く目の及ばない地下にて形成された。
そこで口論を繰り返す内、更に喧嘩に没頭してしまった物好きが、
喧嘩を更に専門的に扱う場所として、喧嘩サイトを発展させていったのだと考えられる。
華やかなインターネット発展の歴史の裏で、喧嘩サイトは細々と運営を続け、
やがて今日の「喧嘩」という概念が形作られていった、と。
まぁ誰にでも出せるような結論である。
『情けない火山』「古代(草創期)」最終更新:2014年12月29日 19:41
https://w.atwiki.jp/butanoketu/pages/80.html
喧嘩史の出発点。原初の世界。
各地に喧嘩サイトが点在し、現存する最古の喧嘩師であるSelcia(当時は嬲)や、
少し前まで姿を見せていたイシヤのほか、今は亡き先人たちが鎬を削っていた時代を指す。
「喧嘩師」や「喧嘩サイト」といった言葉はこの時代においても散見される。
始まりは喧嘩文化の発祥と同時だが、年代は不明で、少なくとも2000年以前とされる。
終わりは2004年初頭毒殺天国の成立まで。
(2003年までの方が区切りは良いが、厳密に言うとこの時期になる)
この時代に辿り着くには最低でも6年以上もの時を遡らなければならず、残されている史料は著しく少ない。
筆者の記憶も色褪せているので、飽くまで推測の域を出ないが、
当時は「喧嘩界」という枠組みが存在せず、一部のサイト間での交流はあったものの、
今ほど他所に対する意識は強くなかったと考えられる。
ただし「ネタ」を始めとする現代の喧嘩的概念のいくつかが無かったことを除けば、
喧嘩の方式などは現代とほぼ変わらないモノであったと言える。
この時期の代表的サイトとして、
「死人の館」「悪魔の館」「よしひろ板」「天上天下唯我独尊」
「コミュニティROOM」「大和殺楽喧嘩帝国」「ブラクラチャット(元サイトの名前は忘れた)」
などがある。
「喧嘩殺伐」「KTA」といった携帯サイトもこの時期に成立したと思われるが、
これらが「喧嘩界」という枠組みに入るのかについては微妙である。
天上天下唯我独尊(後の稲妻net.)とは交流深く、
中世には携帯サイト所属の喧嘩師と毒殺天国所属の喧嘩師が相見えることもあったが、
基本的に携帯サイト以外の喧嘩サイトとの繋がりは薄い。
年齢層や住民の頒布も喧嘩サイトとは大きく異なり、もなちゃとと同じく独自の文化を形成しているのだ。
当然、当人たちに「喧嘩界に所属している」という共通意識もないと考えられる。
なので、仮に喧嘩界に含むとしても、毒殺天国などといった中央とは程遠い、異国の地とするのが妥当であろう。
古代の末期に「隠し」の住人が姿を現し始め、
それに触発された砂漠地帯が毒殺天国を設立。
喧嘩界が激動し、飛躍的発展を遂げる中世へと移行していく。
『情けない火山』「中世(黄金期・勃興期)」最終更新:2015年05月01日 01:31
https://w.atwiki.jp/butanoketu/pages/82.html
「毒殺天国」と「隠し」
これら二つの存在により喧嘩界が大きく揺れ動き、また発展した激動の時代。
昨今よく目にする「喧嘩界」という枠組みはこの時代に完成された。
現代においてはこの時期以前の喧嘩師を「古参」と称することが多く、喧嘩史にとっての大きな分かれ目となっている。
期間は2004年の初頭、毒殺天国の誕生から2005年末(或いは2006年初頭?)毒殺天国崩壊までの約2年間。
更にこの時代を二つに分けると、毒殺天国の誕生から中世氷河期の終了(第二世代の登場)までの1年間を前期、
第二世代の登場から毒殺天国崩壊までのもう1年間を後期とすることができる。
現代喧嘩社会の枠組みや形式、及び喧嘩的概念のほとんどが、この時期誕生・確立されている。
この時期の様式などがそのまま現代にまで受け継がれており、
違いと言えるほどの相違点は、「変化」ではなく「有無」で語れるのみであろう。
【『情けない火山』「中世(黄金期・勃興期)」の続き】
「隠し」に触発され誕生した毒殺天国。
前期はこの隠しと毒殺天国の交流、また同サイトの発展が主で、喧嘩界全体が繁栄している、というわけではなかった。
焼け石夏の陣~稲妻net遠征という二大戦役を経て、毒殺天国は絶頂期を迎えたものの、
SUGARチャットレンタルサービス終了に伴う中世氷河期が到来。
数ヶ月後、2005年の4月頃に起こった第二世代の大量流入により、氷河は融解、
喧嘩界の黄金期が本格的にスタートする。
後期は、喧嘩界が最も活気に満ち溢れていた時期である。
敢えて名付けるなら、月並みながら「喧嘩界大乱時代」といった具合であろうか。
各地で喧嘩サイトが大量に作られ、また廃れていった、古参新参入り乱れる激動の情勢による。
【『情けない火山』「中世(黄金期・勃興期)」の続きの続き】
「第二世代の登場」
中世氷河期を終わらせ、喧嘩界に新たなる風を呼び込んだ新興勢力、それが第二世代である。
彼らの登場により喧嘩界全体が活性化し、各サイト間の交流も盛んになった。
また彼らの大きな特徴として、その結びつきの強さが挙げられ、2005年の初頭から後期にかけて一大勢力を形成するに至った。
なお「第二世代」とは2004年以前の喧嘩師と区別するための便宜上の呼称であり、
当時そう呼ばれていたわけでも、彼ら以前の喧嘩師を「第一世代」と呼ぶわけでもない。
彼らは2005年の4月頃から急速に勢力を拡大していったが、
その中心人物が、のちに「シビア虐殺楽園」を設立するsecret(後の匁、巫とも)である。
彼のルーツは喧嘩サイトとは無縁のコミュニティであったが、そこで活発に喧嘩活動を行っていたようだ。
何をきっかけにしたのかは不明だが、secretは喧嘩界に進出し、
「DarkSide」や「黒雫」といったサイトを経て、前述した「シビア虐殺楽園」を設立するに至る。
匁を頂点に据えたグループは第二世代の中でも一際巨大な勢力を保っていた。
これを脅威と見たか、単なるサイト発展を見据えての戦力増強か、のちに彼と一部の幹部が毒殺天国に招待されている。
また、匁以外に第二世代の中で強い影響力を持っていたのが、
「炯眼楽園」の管理人であるAtrociousと、「蒼穹」の管理人である雪山偈だ。
炯眼楽園は毒殺天国ですら失敗した「喧嘩大会」の実施に見事成功し、運営能力と所属住民のバイタリティの高さを証明している。
毒殺天国の喧嘩師にも引けを取らないまじかるタルるートなどの逸材も獲得し、一時代を築いた。
「蒼穹」は知名度こそ高いものの、表立った行動はほとんどしていない。
しかし、その金城鉄壁たるセキュリティはもちろんのこと、零、開陳などの強者や、謎の最強喧嘩師「腋亦」など、人材面の補強にも隙はなく、
隠しサイトに必要不可欠な要素である「思わせぶりさ」も兼ね備え、隠しサイトとしての確固たる地位を確立した。
ここで挙げた以外にも、第二世代の喧嘩師により無数の喧嘩サイトが設立されている。
このように、毒殺天国に匹敵するまでには至らなかったものの、この時期の彼らの活力には目を見張るものがあったと言える。
しかし、この時代に生きた喧嘩師の多くと同様に、彼らもまた、中世終了後に姿を消してしまっている。
【『情けない火山』「中世(黄金期・勃興期)」の続きの続きの続き】
この時代の勢力としては、2004年中期、毒殺天国の本格的な発展以降から中世終了まで、常に毒殺天国の一強体制であった。
「Bitch」も強豪サイトとして名を馳せはしたが、Bitch管理人を含む有力喧嘩師が毒殺天国の常連であり、両サイトが対立することはなく、
また喧嘩界に対する影響面でも毒殺天国には及んでいないことから、毒殺天国の地位を脅かすには至らなかった。
先述したように、第二世代も有力サイトを含め数多くの喧嘩サイトを設立したが、彼らの中心的人物である匁と、それに追随する一派の幹部、
新勢力を代表するサイトの一つである「炯眼楽園」の最強喧嘩師なども同様に毒殺天国に引き入れられ、
毒殺天国の一強体制はより確固としたものになっていった。
毒殺天国が強大になり、有名になり、発展していくことで当時の毒殺「以外」の喧嘩師に芽生えたのは、
毒殺天国に対する敵対感情や反骨精神ではなく、畏敬と羨望の念であった。
下克上が起きることもなく、ただひたすらに毒殺天国が君臨し続けたこの時代、
確かに喧嘩界は迸る活気に満ち溢れていたが、筆者が考える
「喧嘩界の真に理想的な状態」
にはまだ遠かったと言える。
【『情けない火山』「中世(黄金期・勃興期)」の続きの続きの続きの続き】
文化的な面でまず特筆されるのは、後期に流行して以来、新時代にまで連綿と受け継がれている「本家・分家制度」である。
サイトを本家と分家に分かち運営するこの手法は、喧嘩サイトとしての魅力や神秘性を醸し出す上で実に画期的であった。
その結果、本家・分家制度は当時「隠し」という言葉に憧れていた喧嘩師たちに広く伝播し、新時代以降も好んで使われる運営手法となった。
まさに隠しブームに沸いたこの時代を象徴する文化といえよう。
第二に特筆すべきは、まかが考案(あるいは、大々的に発表)した「ランク付け」というシステムである。
彼が管理する喧嘩界の総合情報サイト「ユグドラシル」にて行われたこれは、
喧嘩師の「■攻撃力■防御力■スタミナ■オーラ」を「A:超スゴイ B:スゴイ C:普通 D:ニガテ E:超ニガテ」
の五段階で評価するというもので、独断と偏見に依っているにも関わらず、
当時このランクが各所で引用されるなど、爆発的な流行を見せた。
その理由としては、まず、まかとユグドラシルの知名度の高さが挙げられる。
(「粘着」という非難を浴びながらも)毒殺天国のトップとして君臨した事実は、
当時の喧嘩界においては非常に大きなステイタスであった。
次に、ランク付けの目新しさが挙げられる。
毒殺天国をはじめとする諸サイトでもランキング制度は採用されていたが、
もなちゃとの喧嘩文化に代表される個人能力のランク付けを大々的に喧嘩界に導入したのはまかが最初であった。
三つ目は、対象喧嘩師の多さ。
簡易ながらも当時の喧嘩師の多くを紹介したことが、閲覧者の興味を大いに惹いたのだろう。
また、元来喧嘩師とは自身の強さと相手の強さを比べたがる・知りたがる性質があり(当然と言えば当然なのだが)、
低年齢の喧嘩師ほどそれがより顕著である。戦闘力換算のような、分かりやすい、目に見える形でのランクを望むのだ。
これは「もなちゃと」関連サイトに必ずと言っていいほどある格付けを見ても分かる。
アルファベットを用いて具体的に喧嘩師の強さを表記したことは、容易に喧嘩師の力量を知ることができるという点で非常に効果が高く、
また低年齢の喧嘩師(当時、喧嘩師の多くが学生であった)の興味をくすぐるものがあったのだろう。
当然、ユグドラシルの知名度の高さゆえ、己の実力を広範に流布することができることから、
喧嘩師の功名心に大きく作用した点も挙げられる。
(しかし彼構わず評価対象としたことで、ある毒殺常連とまかの間に軋轢が発生、「まか事件」へと発展してしまった。)
もなちゃと同様に「SS」や「神」といった少年漫画的インフレーションが発生しているものの、
現在においても一部のサイトで「ランク付け」は未だに行われている。
>彼構わず評価対象としたことで、ある毒殺常連とまかの間に軋轢が発生、「まか事件」へと発展してしまった。
「まか事件」とは何だろうか?
【『情けない火山』「中世(黄金期・勃興期)」の続きの続きの続きの続きの続き】
終始一強体制ではあったものの、「毒殺天国」を中心に、古参と第二世代……
今は亡き有名強豪喧嘩師や、将来有望な新参がひしめき合った喧嘩史中世。
史上最も「群雄割拠」に近づいた時代であるが、毒殺天国の崩壊により事態は一変、
有名喧嘩サイトも第二世代も根こそぎ姿を消し、混乱期に陥ってしまう。
暗黒時代の到来かと思われたが、そこに姿を現したのがアカテン率いる「平成喧嘩塾」である。
毒殺天国常連とも仲深く、一部の古参と喧嘩界の重鎮Selciaの引き入れに成功した喧嘩塾は、
混迷する喧嘩界情勢を徐々に鎮静、自らを中心とした新時代・・・すなわち、喧嘩史における「近代」へと移行していく。
『情けない火山』「中世から近代へ」最終更新:2015年05月01日 01:33
https://w.atwiki.jp/butanoketu/pages/83.html
さて、いくつかの有名サイトが登場したとはいえ、中世が毒殺天国の一強体制であったことに異論の余地はない。
※喧嘩界で唯一毒殺天国に匹敵すると言われた喧嘩サイトに「Bitch」が挙げられる。
しかし、前章にて述べたように、常連の掛けもちや喧嘩界への影響面を考慮すると、やはり毒殺の一強時代であったと考えるのが妥当であろう。
だが、更なる戦力増強を求め積極的な勧誘を継続した結果、その中に潜んでいたユダによってメイン掲示板である「神郷」が外部に晒されてしまったどころか、
(今更ではあるが、毒殺天国は隠しサイトである)
パスハッキングにより掲示板が一時休止中に陥るという非常事態に見舞われてしまう。
掲示板主流の喧嘩界においてメイン掲示板を失うということは、つまりはサイトの死を意味するに他ならない。
毒殺天国はこの非常事態への有効的な対処を見出せず、遂には崩壊の時を迎える。
※掲示板新調をしなかった理由
ユダを特定できなかった
毒殺天国自体が緩やかな過疎を迎えていた
掲示板を新たに立て直したところで常に裏切り者の存在に脅え続けなければならず、
何より神郷閉鎖という事態そのものが、停滞期に入っていた毒殺天国住民の意識に止めをさした。
>ユダによってメイン掲示板である「神郷」が外部に晒されてしまった
>掲示板を新たに立て直したところで常に裏切り者の存在に脅え続けなければならず、
喧嘩掲示板と「外部」の関係というのは、なかなか難しい永遠の課題であると言えよう。
【『情けない火山』「中世から近代へ」の続き】
ここで当時活躍していた第二世代が台頭するのかと言えば、そういうわけでもない。
当時を代表した喧嘩サイトの一つである「サイレントヘル」は一足早くに廃れ、
「ユグドラシル」はまか事件によって無期限凍結、第二世代が生み出した「炯眼楽園」やその他多くの喧嘩サイトも、飽きが来たのか次々と消滅していく。
「シビア虐殺楽園」や「蒼穹」という二大新興サイトも、いかんせん隠しサイトであったため、氷河期到来による急激な過疎化に対応し切れず没していった。
一般サイトならば放っておいてもある程度人は流れてくるが、隠しに特化したサイト=少数精鋭主義の場合、住人増員が非常に難しい。
管理者や常連喧嘩師の活動力が低下してしまうと、一般の目から見てどこで何をしているのかまるで分からない隠しサイトに存続の道はない。
一般化に移行するという手もあるが、そのような対策が講じられることもなかった。
一応シビ虐や蒼穹は2006年の中頃まで細々と存続していたようだが、全盛期に比べてあまりに活動量が少なすぎるため、ほぼ消滅に等しい状態と言っていいであろう。
加えて、唯一毒殺に比肩した強豪サイト、「Bitch」ですらこの時期に消滅。
後継(?)サイトとして「KOF」が設立されるも、喧嘩史に残る壮大な企画倒れを発動し、
喧嘩界ギネスブックでもあれば史上最大のガッカリサイトとして掲載されるであろうレベルの醜態を晒してしまった。
こうして毒殺天国の崩壊に連鎖して、喧嘩界に名を馳せたいくつもの有名サイトが沈んでいったのである。
今後の喧嘩界を支えていく上で残されたのは、最早掲示板を母体とする小勢力のみ。
そのような混乱を極める情勢の中で、一人の喧嘩師がある喧嘩サイトを設立する。
中世も末期に差し掛かった頃、毒殺天国の流れを汲む喧嘩チャット「LOCO」に姿を現し、毒殺常連との仲を深めていたその人物。
当時はまだ、自らを「アカテン」と名乗っていた彼が立ち上げた新天地。
もはや言わずとも分かるであろう。
後に喧嘩界最大手にまで成長する喧嘩サイト・・・
「平成喧嘩塾」
の誕生である。
ここに、毒殺天国を中心とした長きに渡る「中世」は終焉を迎え、
平成喧嘩塾を中心とする「近代」が幕を開けることになる。
『情けない火山』「近代(過渡期・安定期)」最終更新:2014年12月29日 19:54
https://w.atwiki.jp/butanoketu/pages/84.html
毒殺天国の崩壊と有名喧嘩サイトの相次ぐ閉鎖によって混迷を極めていた喧嘩界が、
「平成喧嘩塾」登場以降の過渡期を経て徐々に落ち着きを取り戻し、新たな勢力図を形成した時代。
期間は2005年末(or2006年初頭)の毒殺天国崩壊から2008年4月頃の平成喧嘩塾の閉鎖まで。
同時に、HKJが設立してからそれ以降を現代とする。
近代全体を通して見れば、姿を消した古参・第二世代に代わって新参が多数流入し、
喧嘩サイトもかなりの数設立されている。中世からその様相は一変した。
しかし、それらが同時期、一同に会することがなかったため、
第二世代の爆発的増殖によって活性化した中世最盛期の喧嘩師人口や喧嘩サイト数に比することはなかった。
また、喧嘩界全体を揺るがす大きな出来事も起こっていないため、人口を終始一定数保ちながらも
変化の少なかったこの時代は、まさしく「安定期」と言えるであろう。
平成喧嘩塾。
喧嘩界に新時代をもたらし、そして今日にまでその名を語り継がれる、元喧嘩界最大手。
近代以降、毒殺天国の影響下にあった喧嘩師が軒並み姿を消し、それに代わって新たな顔ぶれが多数登場したことから、
現代におけるその影響力は毒殺の比ではなく、まさに現代喧嘩界の礎であると言っても過言ではない。
この「平成喧嘩塾中心主義」とかつての「毒殺天国中心主義」は、喧嘩史における二つの大きな潮流なのである。
また、平成喧嘩塾の発展により、喧嘩塾管理者の塾長とその懐刀たる最古参Selciaの両名が喧嘩界の頂点に台頭することになる。
『情けない火山』「喧嘩史現代(停滞→衰退期)」最終更新:2012年03月11日 18:47
https://w.atwiki.jp/butanoketu/pages/86.html
Selcia率いる「HKJ」の設立によって始まり、停滞から衰退期へと入っている時代。HKJの設立以降から現在まで。
平成喧嘩塾の消滅によって、五年間続いた「毒殺・喧嘩塾中心主義」が終わり、喧嘩界の中心たる最大手の座が空白となる。
喧嘩塾の流れを汲む「HKJ」が次代の中心に座るかと思われたが、そこまでの影響力を持つには至らず、
いくつかの古参と新時代以降の喧嘩師が各地に分散する結果となった。
人口は近代の最盛期には届かず、また新たな人材の爆発的流入といった現象も起きず、喧嘩界は長期に渡る停滞期を迎える。
その後も活気が上り調子になることはなく、存在するほとんどの喧嘩サイトが過疎状況にあるという、深刻な衰退期に直面している。
爆発的な新人材の流入はないと記したが、「部落」を中心とする携帯サイトからの人員流入が昨今よく見られる。
>「部落」を中心とする携帯サイトからの人員流入が昨今よく見られる。
つまり、この記事が書かれた2012年当時、喧嘩界全体は衰退期に入っており、「部落」はそこに新風を吹き込む新興勢力だったわけである。
その「部落」の喧嘩師たちを、我々は「すごい古参」とみなしているということになる。
部落勢語ってくれよ
誰が誰に勝ったとか、
部落歴代最強はこいつだとか、
いわゆる有名古参(セルシア、塾長、ひよこ餅、おでん、ダルス等、あろく)との確執とか
『情けない火山』「毒殺天国史概説/年表みたいなもの」最終更新:2014年12月29日 16:24https://w.atwiki.jp/butanoketu/pages/94.html
2003年頃:よしひろ板やザ掲示板において、砂漠地帯とか絶とか刺鍼が運命の邂逅
↓
2003年末?:砂漠地帯がЖ喧嘩板Жを立ち上げる
↓
「即会」(毒殺天国の原型、後にメインチャット)の設置
↓
第1期毒殺天国開幕(初代本家完成)
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2004年3月?:「神郷」(メイン掲示板)の設置
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第1回天下一武道会を企画、企画倒れに終わる(黒歴史)
(当時の貴重なVTRはこちら!)
↓
リニューアル実施、第2期毒殺天国開幕(2代目本家完成)
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王領やら不可拘束やら無気力やらの幻のコンテンツ設置(黒歴史)
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王領、60日間誰も書き込まなかった為自然消滅(黒歴史)
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2004年初夏~秋:焼け石夏の陣、及び稲妻net.との遠征試合
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2004年末:リニューアル、第3期毒殺天国開幕(3代目本家完成)
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SUG@Rチャットレンタルサービス停止により即会消滅
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その影響か喧嘩界に氷河期到来、毒殺も当然凍りつく
↓
2005年1月:管理人(砂漠地帯)がカナダ留学、本格的にピンチに
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カナダからの接続が可能だった為なんとか閉鎖は回避
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2005年4月:氷河期が終わり、春が訪れる
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徐々に姿を見せ始めていた第二世代の台頭、喧嘩界が活気づいてくる
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2代目メインチャット「即界」、Bitch管理人でもある漣が設置
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第2メインチャット「LOCO」設置
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諸事情により移転
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3代目本家リニューアル(?)
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kuronowish.comのサーバー事故によりLOCOとか毒殺タイピング消滅
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まか事件発生、毒殺天国不動の王者まか引退
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その余波を受けてユグドラシル一部コンテンツを除き無期限凍結
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2005年11月?:調子に乗って色々勧誘したら神郷のアドレスが流出
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常連が次々と離散、神郷停滞
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2006年2月:どっかの馬鹿によって神郷が一時休止中に陥る
↓
メイン掲示板を失った毒殺、他勢力の台頭もあり、遂に完全なる滅亡を迎える
↓
平成喧嘩塾設立により中世終了、新時代の幕開け
↓
その後毒殺復興計画が何度か持ち上がるが全て企画倒れに終わる
(一度平成喧嘩塾を乗っ取り毒殺天国と称していたが、不評のため二日で元に戻った)
↓
中略
↓
現在に至る
手元に残っている最新の毒殺資料(未完成トップページ)には
「第五期開幕」と記されているので、上のどっかに第四期がはいるのかもしれません
>>36
友達いなそうだな
そう思うんならサッとスレを閉じれば良い話
単純に好奇心だよ
現実世界の歴史も全部そうだ
実用性大してないけど気になる人がいるから追求されるんだよ
何もないところで漠然と語るより、日向みたいにここの情報に対するコメントという形で語ってもらった方が話のつながりがわかりやすい
この記事の筆者も言っているように、この記事に書いてあることがそのまま真実というわけじゃないんだから、これを叩き台にして議論しながらエピソードを語っていったらいい
部落民の方々、よろしくお願いします!
>>38
現実世界でも変態たちのおかげで歴史は解明されていくし、科学は進歩していくということを忘れてはいけない
喧嘩板の歴史なんざ解明したとこで何になるかは知らんが
もしかしたら今後何かの拍子に喧嘩界がバズって歴史を知りたいなんて人が増えるかもしれんやん
まあ喧嘩なんて学問じゃないんだから、水掛け論でもいいんじゃない?面白ければ
学者ですら邪馬台国論争とか水掛け論みたいなこと結構やってるし
↓↓↓部落勢は全く載ってないが年齢表
11年前なので+11歳すると現在の年齢になる
358:名無しさん:2014/03/11(火)17:29:04 nL9VOr..
年齢表※〔〕内は暫定喧嘩師ランク
31 サビぬき。〔B-〕
30
29
28
天才tinko〔ss)
27 見切り師〔D〕
26セルシア〔SS〕
25 リモン[Sー)、あとろ〔A】、塾長(A+〕asuka 〔S)、エルダー〔A+)
24
23 要〔A+〕、ゲシュ〔A+)
22 ダルス〔A+〕、砂漠〔Sー〕、精子〔S)
21 おでん〔S-〕、喧嘩師ドラゴン〔C]
20ゼロドル〔A-〕天使〔C+〕
19 ひより〔S-〕白の女王〔A-〕
18霧雨〔C+)、JACK 〔C〕SONY〔A-〕雑凹
〔C+〕
17 メラルー〔B-〕ジェノス〔B+〕あくろ
〔C) 死むら〔D+〕小学生けんかし〔C+〕
ジャックヘラー〔B-〕まとめ民(C+)Charon 〔B
+〕
16塚森〔B+〕化身〔C+〕露伴〔B+)ゴリ
エ〔D+]
15 Siphon (A-〕アノニマス〔C)
14
Name (B+)
13 亮〔E]
12神山〔Dー〕
だからHKJがHKJのために作った歴史だと言っただろ。
自分達が最前線に立ってるというプライドから周りを見ようとしない。
当たり前だ。こいつら当時まだ子供だったからな。
携帯サイトで掲示板見てるようなオッサン連中がそれを見て『こいつらすっげ!一緒にコラボしたいっす!』なんて考えると思うか?
年齢層によって自然と形成されたコミュニティの、辿り着きやすい、やかましい方のグループにお前らは辿り着いただけだ。
そこに居たのは今のお前らより5つも6つも年下で、親の作った飯を食ったら部屋に戻って『これが俺たちの歴史(笑)』とか打ってるような小便タレだったんだぞ(爆笑)
そう考えるとお前らが考えてる古き論客ってのが実はどういう存在か大体想像つかないかね?
まあ話は戻ってまじめに書いていくか。
インターネット黎明期の2000年から天才tinkoは居たし、うちゃまと柘植の居た喧嘩殺伐は2003年設立だ。
うちゃまは後に『黒うさぎ』としてPCサイトへ、柘植は『暇つぶし』『盲目の時計職人』として部落へ。
『2013年に新興勢力の部落が台頭』
誰が書いたのか知らんが、部落は2005年に設立され、最盛期は2008年なんだよ。
2013年なんて天才tinkoと神茶魔の衝突から二年経ってるし、同年にはsueもらっきょに二度敗北を喫している。
それを部落衰退期の2013年に台頭とするのは、えらく歪んだ歴史だな。
話は戻って携帯サイトの存在を無視できなくなったゲシュタルトと要は部落と殺伐を『もしもしサイトw』と揶揄し始めた。
当時こいつらは塾長やミキィたちを引き連れて携帯サイトに乗り込んだが殺伐の古参達に完敗。
負けたことにプライドを持たせたいこいつらはのちに『その節ではお世話になりました』と相手を立てて神格化することで己の格が落ちないよう図った。そのときHKJで祀られたのが黒うさぎだ。
だいたい30のオッサンに中高生が絡んで勝てるわけがないだろ。
こういう背景を知ると『古参vs最強』みたいな壮大なフレーズに目を輝かせていたお前らも少しは目が覚めるんじゃないかね?
>>46
黒うさぎってうちゃまだったのか…
セルシア、天才チンコ、ひよこ餅、赤村あたりはそれなりに携帯サイト勢にも評価されてたのか?
>『2013年に新興勢力の部落が台頭』
>
>誰が書いたのか知らんが、部落は2005年に設立され、最盛期は2008年なんだよ。
>2013年なんて天才tinkoと神茶魔の衝突から二年経ってるし、同年にはsueもらっきょに二度敗北を喫している。
>それを部落衰退期の2013年に台頭とするのは、えらく歪んだ歴史だな。
おお、なるほど。参考になります!
>「部落」を中心とする携帯サイトからの人員流入が昨今よく見られる。
という『情けない火山』2012年の記述と
>部落は2005年に設立され、最盛期は2008年
>部落衰退期の2013年に台頭とするのは、えらく歪んだ歴史
という白鳥の現在の記述。仮に両方間違ってないとすると、
「部落」は喧嘩界の入り口としては機能していたが、
来た人材はすぐに他の掲示板に散っていき、
全体としてはやはり衰退を免れなかった、と。
こんなところか。
単純に、『情けない火山』2012年の記述が間違っていると考える方が自然なのか…
>「部落」を中心とする携帯サイトからの人員流入
などその頃にはもうなかったと。
すると、喧嘩の歴史を「現代」における携帯サイト『部落』の台頭で終わらせるという記述は、白鳥のいうとおり「HKJがHKJのために作った歴史」、つまり「HKJの物語」にすぎないということか。
歴史難しいなw
>>47
赤村が高評価されるようになったのは冷やし猫鍋以降だよ。
twitterに舞台を移してツイッタラーとして名をあげるようになってから。
それまでは厨房の一人みたいな感じでパッとしてなかった。
そもそも2013年の何代目か知らん平成喧嘩塾って
キャップ付きじゃないと書き込めなくして
絶望的なくらい人減って自滅したサイトだからな
>>47
携帯サイトの連中のほとんどはそいつらを知らない。
当時はガラケー時代だったからケータイからPCサイトは閲覧できないことも多かったし、今みたいにインフラも充実してないから他のサイトを探すってことが難しかった。
ホームページみたいに携帯サイト同士は仲良くアクセスリンクを設置しあってシックスナインみたいに交流をしてたな。
天才tinkoの名が知れ渡ったのも2011年の大会初出場のときだ。
が、チンコが負けたときの喧嘩の流れから見るに、PCサイトの喧嘩って仕事で上司に叱られたときの言い訳が達者だから余計に怒鳴られる、みたいな絵図だったから、携帯サイトからの評価はあまり高くなかったんだよな。
紙の上で理屈を上手く並べられるけど、社会経験の豊富な大人はそれを正せる知識を持ってるから、最後は情報量の差で負けるっていう社会の縮図が喧嘩掲示板でも起こっていたから、見てる中には萎えた幻滅した奴らが多かったんじゃないか?
言葉巧みな物言いも結局はセールスマンや占い師にも劣る話術。
現実はスーパーの店員をしてろくに仕事もできず人との対話もできず、34歳で自殺。
これを天才喧嘩師とあがめると痛い目みるぞ。
>>54
セルシア曰くあろく自殺はネタらしいぞ
226 : せ ◆C9Mt7K.wHE 2019/06/20(木) 13:41:33
> 喧嘩もしてるし、「あろくについても聞いている」んじゃないの??
OK...分かったよ...それが答えなんだな...?
純粋な事実解明だけでなく喧嘩にも意識を寄せるということであれば、お前が真相を得られる頻度も精度も下がるわけだから
事実と娯楽どちらを希望(どちらを優先)してるんですか?ってわざわざ善意で確認してやったわけだけど...そういう態度で出るならOK分かったよ
俺の知ってる情報をシェアしてやろうじゃねぇか
学生を卒業してからずっと無職とフリーターを行き来していた彼がついに正規雇用を勝ち取り、2018年の4月から正社員として社会復帰する運びとなったんだ
再び自堕落な生活(ネット中毒/ネット喧嘩/ネット恋愛)に戻ってしまうのを防止するためネット絶ちを突貫したわけだ
ネットに逃げ場所が残っているとリアルから逃げ出してしまう(リアルでの生活を軽視してしまう)というのが彼の決心の軸にあった
その「ネット絶ち」の対象にはもちろん俺や塾長も含まれている
何年もつるんで、オフ会や宅飲みもするほどの仲だったけど、俺は彼の決意を尊重して連絡先から何まで全て消した
その際、最後の思い出として一発デカイ花火上げようぜって魂胆のもと行われたのが例のブログだよ
そういう意味では、あろくというハンドルは確かに自死を選んだことになるのかもな
隠蔽と言われればこれも一種の隠蔽なのかもしれないけど、俺はあろくブログ相談うけて引退の協力までしてたし黒歴史ではないかな
むしろ盛大な釣りでしたありがとうございますって感じだわ
ちなみにあの母親はあろく自身です
・・・ハイ、これで満足か?
喧嘩と並行して・・・だったよな?お前が言ったことだし満足しとけよな
俺のこと「ほぼほぼ知らねえおじさん」とか呼んでたけど、そんな俺よりもさらに情報量で劣るお前がこの土俵でどう立ち回るつもりなんだ
思ってた以上に携帯サイトとPCサイトって交わってなかったんだな
携帯サイトでは強さランキングみたいな文化はあったのか?
PCサイトの喧嘩師は分かりやすく序列がつけられてるけど
ランバラルが最強という風潮があったのはどこかで聞いた
>>55
それ実は微妙なんだよな。
当時から古参の中で触れてはいけない話みたいになってた。
一部の人は事実だとみてたし、それによって塾長が表舞台に出られなくなったんじゃないかとも推測してる。
風の噂だけどね。
>>55
真偽はさておき、本人の与り知らないところで喧嘩師時代のミジメな生き様を公表するって終わってんなこいつらの関係(爆笑)
あとやっぱ文章書くのも下手だなこいつ。
揚げ足取られないように正確に伝えようとして、電化製品の部品書みたいにある説明の補足にも補足して…と入れ子状になってる文章が多すぎるんだよ(笑)
>>56
あったけど、ランクじゃなくて二つ名だな。
部落の喧嘩は煙にまいて雰囲気で負かすというのが常套手段だった。
携帯サイトに最強はいない。
最強を決めようっていう試みから64人トーナメントが開催されたけど優勝者のシステマは場外乱闘してた山本の劣化版だし。
山本と同格のらっきょは絶対に勝つ喧嘩ばかりを追求するから警戒されて誰も吹っ掛けなかったし。
ちゃんとしたエビデンスを追求した議論がみたいなら、政治議論版の管理人で糸ってのがいる。
ただ勝つだけの喧嘩が見たいんだったら覇道會のらっきょでいい。
社会的な喧嘩がしたければ神茶魔でいい。
屁理屈でちゃぶ台返ししたければ嵐でいい。
言葉巧みに人の恥をほじくりたいならケンジでいい。
フルチンになってでも人を笑わせたいならオニギリでいい。
評価軸は色々あった方が面白いぞ。
キャスフィが廃れたとき分かるだろう。
俺は部落が廃れてからこの意味が分かった。
何でもランクで評価決めるのはPC掲示板の文化なんだな
それが知れただけでもかなり面白い
戦績だけ見たららっきょが1番強そうだな。
らっきょに勝ったやつとかいるか?
>>61
ランキングでカチッと上下関係が決まるようになったのも冷やし猫鍋辺りからだよ。
それまではコテハンたちが自分たちで評価して遊ぶゲームみたいな感覚だった。
それが冷やし猫鍋辺りから匿名が躍起になってランキングを作り出した。
その結果、コテハンは喧嘩をする前から勝敗が決まるような状況になって
みんな捨てハンを使い始めた。
>>61
リュウってやつが判定勝ちしたがレス数や制限時間の都合だな
ちな初の携帯サイトvsPCサイトの喧嘩大会の決勝は天才tinko vs らっきょ
決着はらっきょの成り済ましが開幕投了して天才tinko優勝
大会の破壊工作に成功した成り済ましは覆面脱いでバカンプと発覚したので即個人情報が割られて
大会掲示板トップに顔写真がデカデカと掲載された
らっきょは上みたいに大会ルールをめちゃくちゃキツく設定したり事故を誘発すれば勝ちに持ち込めるぞ
失態もなにも、あの喧嘩大会はトリップが割り出されていたラッキョが大会に出場できるように端末で管理できる会場を設けて開いた大会なのだから、端末の違う成り済ましの降参宣言を鵜呑みしたアホ主催者に非があるだろ。
このときの主催者は自称最強のMeeっていうトンボメガネな(笑)
なりすましを鵜呑みにしたとかそんな話してねーよ
おでんに馬鹿にされたりセルシアに瞬殺されてる白鳥はお前じゃないんだろ?なりすましのせいだと言い張るんだろ?
この後すぐに「まさか!?」って犯人のトリックに気づくコナンの推理みたいなのやめろよ。
笑ってしまう。