「前提条件が違うため、その後の論理が正しくても解決しない」
こういうことは日常茶飯事です。人間は、「前提→ 事実 → 結論」という流れで、結論を出しています。(前提には大前提と小前提に分かれるときもある)
つまり、大前提が根っこにあり、それに基づいて、事実を判定し、結論を下しています。その大前提というのは、別の言葉で言えば「思い込み」と言ってもいいかもしれません。この「思い込み」は通常、会話には上がらないため、故意に確認でもしない限り、わかりません。
この「思い込み」がコミュニケーションする双方にとって共通認識であれば問題は起こりませんが、微妙な違い程度ならまだしも、全く違っていると、大きなトラブルになります。そしてこの種のトラブルが実は日常生活で頻発しているのです。
例1)仕事上で、取引先丸正商事へ連絡する際、部下の山本さんが連絡するのが通例であるが、非常に大きな問題が発生したため、山本さんは上司の山田さんが連絡すると勝手に思い込み、連絡をしないという結論を出したため、その後大きなトラブルになった。
・【部下の山本さん】 前提(大きな問題のときな上司が担当する)→ 事実(大きな問題が発生した)→ 結論(連絡しない)
・【上司の山田さん】 前提(常に担当者が取引先と連絡する)→ 事実(大きな問題が発生した)→ 結論(担当ではないので連絡しない)
例2)夏休みの宿題について親は、一々うるさく「早くやりなさい!」「まだやってないの?」「ここのままじゃ終わらないわよ!」と繰り返す。その結果、子どもは嫌々ながらやるものの、結局終わらない状況となった。(実は子どもは、やる計画を立てていたが、親から強制的な用語を浴びせられ、やる気を失ってしまったケース)
・【親】 前提(夏休みの宿題は早めにやってしまうべき)→ 事実(子どもが勉強していない)→ 結論(小うるさく言う)
・【子】 前提(夏休みの宿題は計画に行う)→ 事実(親から小うるさく言われる)→ 結論(やる気を喪失)
例3)宿題をやってこない生徒に対して先生が怒る。この宿題は毎回出しているものであるため、先生はいちいち言わなくてもやってくることが当たり前であると思っている。一方で生徒は、先生に言われたことに対して宿題であるという認識である。そのため先生が、怒っている最中、生徒は先生が言わなかったからこのようなことになっていると心中思っているが、特に口に出して反論する生徒はいない。なぜなら、この先生は口答えして反論めいたことを言うと、さらに怒りが激しくなると生徒たちは思い込んでいるからである。
・【先生】 前提(宿題は毎回出しているためやるのが当然)→ 事実(宿題をやってこない生徒)→ 結論(激しく怒る)
・【生徒】 前提(宿題として言われなかったことはやらないのが当然)→ 事実(先生は宿題であると言わなかった)→ 結論(やらない)
さらにこの問題はもう一つの前提の食い違いがあります。
【先生】 前提(勘違いがあるならいうべきだ)→ 事実(特に生徒は何も反論しない)→ 結論(やってこない生徒がわるい)
【生徒】 前提(反論すると先生の怒りは増幅する)→ 事実(怒っている先生)→ 結論(反論しない)
このような状況はいくらでもあると感じています。だいたい問題が起こると、その根っ子には双方の認識の違い(前提が食い違っている)ということがあり、その点を確認しないで進めるものだから、問題の本質である根っこから遠ざかり、いつまでも解決しないということです。
しかもやっかいなことに「前提→事実→結論」では、「事実→結論」の部分が論理的に正しいと、相手は反論ができません。しかし「何となく違う!」と感じるときは、論理が正しくとも、実は根っ子の「前提」が違っていることが少なくないのです。
では、このような問題が起こってしまったらどうすれば、いいでしょうか。対策は簡単です。次のマジック・ワードを使えばいいのです。