集中力、っていうものすごーく難しい問題を語る上で
自分に起きた出来事、分析は正しく、ほかの人にも広く起きる可能性があるかもしれない、と考えるのはあいまいな物事を語る中での最低限の妥当性はある
少なくとも「本にこう書いてあった」ってだけで「じゃあ自分は考え違いをしてるんだな」と思う必要はねーわな
本の妥当性をたいして説明もせず
俺の身に起きた出来事やそのことへの考察を「例外」として扱うのが会話不全じみてる
まるで「本の絶対性が保障されてる状態」という保証をもって物を見てるようだね
こういうことだよロシュ限界君