>>752
>持論の説明なだけであって、
>既知となっているはずの論理のルールではありませんね。
>このA故Bは単なる馬鹿の持論です。
インターネットや著書など、それ相応のセットアップがある人が言っていないから嘘だということですよねそれ。あなたは林修が天動説を真面目に提唱すればそれを信じるんですか?私の>>633って、単純に結論だけを述べているわけじゃないじゃないですか。そういう定理があることに加えて、その定理がどういう定理なのか、またその定理が成り立つ理由をしっかり解説しています。にもかかわらず、その論理の中であなたはあなたなりに矛盾点を探ろうともせずに、ただただインターネットに載っていないことを理由に嘘だとするのって愚かすぎやしませんか?
説明すれば必ずしも通るというわけではありませんが、少なくとも説明がなければ説得力も正当性も0だということにいい加減きづいてください。
そもそも>>699と>>702でインターネットの記述を載せているというのも3度目です。
私の言葉で説明した上に、インターネットから引用しているのですから、もう言い逃れできませんよね。あなたの言葉で私の論理の綻びを指差してしっかり指摘していただかないと、あなたの勝ちはありません。もっとも綻びなぞはないのですがね。
>ゲーテルも反証も立証責任の話ではないので
>日向に立証責任はないと結論出来る
>論理のルールを示せるものではありませんね。
ゲーテルの不完全性定理にも反証にも立証義務の話は出てきません。が、3度目ですがそこから立証義務の有無を結論づけることはできます。あなたの座右の銘は”2度あることは3度ある”ですか?
>>632でも言っているではありませんか。
>論理的性質を踏まえると立証義務は有り得ないと言いましたが、
>論理学そのものが立証義務について研究したなどという主張は
>一切してませんよ。
>論理の正否は反証によってのみでしか行うことができないのであれば、
>立証ではなく反証が行われて然るべきだと主張しているわけです。
>名前も著者も分からない出版物を、
>売り払った程度で消失する程度の記述なんて
>既知の知識になりうるわけありませんね。
え?出版物の名前と著名を聞きたかったんですか?内容ではなくて?なおさら覚えてませんよ。重要なのは内容なのですから。著名も出版社名も一々気にしません。そもそも内容でさえ、内容が語ってあることは知識として頭に入りますが、どこで改行されて何段落あって、どんな比喩表現があったか、だなんて一言一句覚えたりはしません。あなたは、あなたの覚えてる漢字が載ってあった漢字ドリルの例文とか覚えてたりしますか?覚えてないですよね。出版社名も覚えてないですよね。でも漢字だけは覚えてますよね。それと同じじゃないですか。
>記憶の中の論理のルールを示せばいいのに、
>相変わらず著作権を盾にしています。
それが>>456であり>>633、>>644なのですが、どうしてそんなことも分からないのですか?私が一人で考えて閃いた天啓を翳しているわけではないのは分かるでしょう。本を読んだからこそああいうことが言えるのであって、私の頭の中にある知識を出しているだけです。
大体その記憶の中の論理的性質をインターネットのないからと言って否定しているのはあなたですよね。記憶の中のものを出すだけで通るのならばなぜ否定するのですか?矛盾しすぎでしょう...。