デュエマで喧嘩の実力は磨かれるのか?

43hydrogen◆Jz9y3GJYBc
2017-10-25 16:16:01
ID:79uFv52Q

>>39
ミアボに俺がやめろ!と言ったからって、やめる義務はないし、もし、逆に俺にやめろ!という意見が跳ね返ってきたとして、俺がやめる必要なんてない。つまり、現段階で、俺が糾弾する行動をやめないことを批判される筋合いはないんだって。
で、他人の為にやめろって論に則るなら、俺がやめろ!と糾弾することを批判するお前にも「ハイドロの為にやめろ!」が適用されるってこと?

いや、やめることが成立したら結果論として俺の為にはなるが、俺の為にやめろ!ではないでしょ。やめろ!と俺が主張した行動原理・理由は、「俺にとって害があるから」だが、「俺にとって害があるからやめろ!」という主張をした覚えはないぜ?

んで、俺の視点とミアボの視点をごちゃ混ぜにすんなよ。一時的に、俺の為にやめろ!って主張をしたというテイで話を進めるけど、俺の為に〜っていうのは当然、俺視点の話。他人の為にやめろ!って命令されてる…と受け取るのはミアボ視点の話。ここでお前が取り違えてる箇所が一つ。あくまで本件は主体である俺が、俺の視座に立って、俺の為にやめろ!と主張しているに過ぎず、客体である"他人"を使用したわけではないということ。つまり、他人という風に受け取ったのはミアボであり、「他人の為にやめろ!」という主張など俺はしていない。
俺は当然ミアボの視点に立って物申しているのではなく、俺の視点であり、俺の視座に立っている。よって、ミアボ視点からして、他人の為にやめろ!と言っているのと同値である!などと言われても意味をなさない。

「俺にとって悪であっても、ミアボにとって悪でないのなら、他人の為にやめろ、という理念に基づいて、追求をやめるべき」ということでしょ?
否定したい部分は山ほどあるが、とりあえず本筋を否定する為に極端な例を出してみよう。ミアボが殺人をしたとする、俺は殺人を悪だとして、他人の為にやめろと呼びかける。しかし、ミアボにとっては殺人は悪ではない。この条件が揃ったとき、俺は殺人を止めるべきではない。お前の論が通用するなら、こういう事態にも陥るが、どういう風に考えているのか。
そして、もう一点。他人の為にやめろ、が両者に成立するとき、果たしてどちらにやめるべき義務が生まれるのか。こういう問題もある。

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