ハイドロゲンはどうも今回の喧嘩で勝ったような根拠をもってるつもりのようだけど
それ、もしあるんだったら提示できる?
>もうちょっと詳しくいうと、基本的に肯定と否定の立場で別れて討論・喧嘩するとき、肯定派は、別に100%を示す必要はないんだ。一方否定派は、多くの場合0%を示す必要がある。んで、今回のケースもこれに当たると思う。
>これは議論のルールみたいなものだけど、理解できないなら教えてやるから言ってくれ。
お前がこう発言したわけよ
で、俺はそれに疑問を持った
当時、書いているけど裁判じゃ否定と肯定の繰り返しになってくるよな?
0%を示せればそこで終わりじゃん?でもそれがないにもかかわらず裁判、つまり議論は続くんだよね
肯定と否定なんだから否定をするなら0%を示せなんて話には及ばない
キイロっつーゴミは
>『~することもある』っつー可能性を否定するなら、もちろんその可能性が0でなきゃいけねーよなぁ?
こう言っているわけだが
>「達成できてないと」集中力が下がり続けるらしい
これは「集中力が下がることもある」という文脈ではないし
「多くそうであろう」という余地が見えるわけよ
その体度を明らかにされていないから否定が発生するわけよ
なにも「0%である」という意味の否定の性質ではなく「人間とはこういうものである」という言い回しへの否定な
0%を示す必要なんて俺には感じられないんだよねぇ
俺も奴も「ゴミ程度の数以上はいるだろう」くらいの余地は否定してないんだわ
だがね、「思い描く程度」に差がある余地がある、そうなった場合議論はその方向で進むかもしれないよね
その程度の否定なんだわ
「かなりいる」←「いや、ほとんどいないんじゃないの?」これも否定の一種だよね
かなりいる、とするそのかなりがどの程度か示されていなくても否定が成立するんだわ
で、俺のそのフェーズでの意見はこうだ「肯定派、否定派に分かれた議論をしていようと多くの場合否定派も0%を示す必要なんぞないだろう」0%を示せればそれにこしたことはない、程度の話
必ずそれを要するわけではない
それがルールということになるとなおさら意味不明
そこでしばらく話は進んでから以下のように話が進んだわけ
アメリカ人「裁判のケース等、俺は根拠をもって多くの場合そんな必要は発生しないだろうと思うわけだけどそれを否定するならその余地が0%である証拠を議論のルールとやらにしたがって示してくれよ」とな
俺はハイドロゲンの立場と同じく「100%がそうだとはいうことではない」としたうえで「否定派は、多くの場合0%を示す必要がある。んで、今回のケースもこれに当たると思う。」
という話に通じる返しをしてるんすわ
もしそうじゃないというのならば「ハイドロゲンに至っては、多くの場合0%を示す必要がある、のケースからはずれる根拠を出せ」という話になる
俺に必要性が発生しているのならお前にも発生するはず
そして0%は証明できない
お前の議論のルールとやらが「多くのケース」で採用されていること、は俺は疑問に思っているんだけど
お前はそれを0%だと示す必要があるよね?
つまり、「俺の思い浮かべる推定」を否定しないといけない、この推定が間違いであることを主張すべきだよね?0%だという論理をもってなwwwwwwwwwwwwwww
もしお前が否定派の立場をとらないというのであれば俺の意見は独立してお前に通ったわけだし俺の勝ち
お前が否定の立場を取るというのであれば俺の思い描く推定が0%であることを突きつけてみろ
それが議論のルールだろ?
もしお前に於いてはそのルールに沿う必要がないものだとするならば
詳しく説明よろしく
条件付きであるとはいえ、俺には発生したケースには0%を示す必要性が生じ
条件付きであるお前には0%を示す発生しない論理を作り上げてみろ