もしも、人間に潜在的記憶が存在しなかったら
それはストレスなんじゃないのかな?
人間ってのは潜在的な記憶をもとにある程度ストレスなく生活できてる気がするんだよねぇ
たとえば家に居る時に落ち着くのは自分の家だという潜在的記憶のおかげだったりするわけじゃん?
いちいちそこは俺の家だなんて直接記憶を思い起こさずともなんとなーく感じてると思うんだよね
やらなくちゃいけないことをやっていないということ、それが「潜在的にうもれた状態であること」も同じようなもので
やはりそれも自分を構築する1パーツというか、自分が自分であることを司る、記憶の表層に表すことすらない状態で成立する
リラックス効果とかありそうな気がするんだよねぇ
これ、たぶん正確に文章化する技術が開発されてな分野だろうしお前にはわかりにくいかもな
だが俺自身はふつふつと抱き、実感できているわけでそれを根拠に否定してるわけよ
既存の言葉をしかたなく使って、訴えてるわけよ