【噺の展開について】
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" どうするか "
一応。別の話題にシフトしているので、軌道修正してもいいけど。まあ何は扠措き、このまま進行しようか。
【自身の命題(普遍的な命題)】=【究極的な自己満足行為】
【究極的な自己満足行為】=【他己満足行為】
【他己満足行為】=〈言葉〉・〈人生〉
共通言語=皆のモノ
そして、思想は踏襲済み
であれば=自分の考えは自分の考えでなく
メタ的な第三者経と昇華される
そして、この考えは、人生の噺とリンクする。
人生の解脱=自分から、他者に、他者から、第三者になるコト。則ち…自己は自己でなく。他己と扱われ。
それは【他己満足行為】経と連綿と繋がってゆく。
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" ※ 恐 怖とはなにか? "
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この問題の核は…
ヒトは未知を懼れるということ
そして、【理解の断絶】も恐怖であるということ。
つまり、この関係は…
〈自分〉と〈相手〉〈孤独〉と〈チーム〉である。
● 未知は恐れられる、だが未知もまた恐れている
理解されないコト、理解できないモノ
自分は理解されない恐怖、相手を理解できない恐怖
則ち…未知と理解の断絶、互い違いのシーソーゲーム
恐れは…恐れを生む。恐れは恐れられる。恐れられるモノも怖れる。
ではナゼ、根源的であったのか、自己と他己のような者で
己に関するコトだったからだ、
自分に对する恐怖、相手に対する恐怖。
わたしは相手が理解できないあろうことを、理解しているから胸に痞えるような恐怖を感じない。
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※"他者への依存"
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他者対する依存もまた、自分への依存として表現できる。自らが恐怖を生み出した、と…
恐怖とゐうのは須くそうであるかのように内側から懼れという感情を引き出される。
そこには、自分が自分を恐怖しているのではないか?というメタ的思考に至ると思うんだ、全ては自分の行いであり、他人の介入によって動くことはない。
他人が恐怖したからといって、自分が恐怖をするわけじゃないように、他人の痛みは、自分の痛みではない。
…だがにも関わらず他者の刺激によって生じる恐怖だ、
ヒトはヒトに依存し、言葉に依存し、物体に依存し、心象に依存し、依存、依存し続ける。
それは、安心という洗脳を受け。他者対する拒絶からくるモノだ。
理解されないことに恐怖し、理解できないことに恐怖する
なにかを得るとは何かを棄てること
依存先が見つからないコトこそ
恐怖の本質なのかもしれない。