>>14
実は、車も人間と同様に、脚(タイヤ)を動かすために様々な部位を稼働させている。
一例を挙げよう。
タイヤを回すために、まずはエンジンを動かす。そして、そのエンジンを稼働させるためには、スターターを起動させる必要がある。スターターは、鍵を差し込めば起動する。
このように、タイヤを動かすという一つの動作を取っても、タイヤが動くという直接的な運動だけでなく、間接的な動きが重なって、漸く車は移動を始めるのである。
>そもそも>>6では筋肉使えない人間は対象外にしてるつもりだからこの論理も適用されず、別の論理で人間と定義付けることもできる。
まず、大前提として、このスレッドの目的は、車は人間ではないということを主張したいのなら、そのために差異を述べてみよ。ということであり、差異を述べたということはすなわち、そういう差異があるからして、車と人間は別物である。と主張したことと同然だ。
しかし、仮にだが、車と人間の間にそういった差異があることを認めたとしても、その差異を以って、車は人間と別物であるという主張は論理的にできない。なぜなら、同じ人間であっても、オマイも認めたように差異が生じてしまうことがあるからだ。
つまり、「動かす部分という観点で差異が存在するから車と人間は別である。」という理屈は、走る際に筋肉を動かせる人間と、そうではない人間の間に存在する差異を認めてしまった時点でアウト。先ほども言ったように、人間という同じ対象物にもこの理屈を言うことができるからだ。
オマイの持ってきた、対象外がある差異では不完全だったのだ。
>つまり、たとえ筋肉を動かせない人間も入れたとしても、
それが、車が人間であることの論拠などではない。ただオマイの理屈は不十分だったというだけだ。
>「車」って輪がくるくる回転するから車って言えるんだし、動けないか車なんてただのゴミとしか。
廃車って知ってるか?
身体全体の筋肉を動かさずに走るならば、人間ではないと主張をしているのであれば、全身の筋肉を動かさずに走る人間の例を出せば論破だということだ。