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【同本質の行動をしている不特定多数から無作為に抽出された場合、他者の利潤を優先せず不平等性について批判する事は悪質か否か】
不平等性を批判する事により様々な問題の解消に繋がる。
今回のフードコートで例えてみよう。
先ず、別用途使用する輩を一斉に排除する要求をする事により、
本来の用途で使用する輩の席は余裕を持って確保できる…❶
また別用途使用する輩が一斉排除される様子を見た第三者は、
本来の用途で使用をしなければ誰これ構わず注意される事を認識する。
これが無作為に一人抽出された状態であるならば
「運が良ければ注意されない」
と認識されるだろう。
よって注意されることを重要視している輩は、
注意される可能性が高い事を認識でき、
本来の用途以外で使う可能性が減ると考えられる…❷
そして人間は集団心理がある故に、
誰一人としてフードコートを別用途使用していない状況ならば、
新たに別用途使用する人が現れる可能性は減ると考えられる。
逆に、別用途使用する輩を残しておくのならば集団心理が働き、
新たに別用途使用する輩が現れる可能性は増えると考えられる。
よって一斉排除により先見的問題も解決できると考えられる…❸
❶❷❸により新たに注意する手間が省けると見込める為、
警備員の仕事も効率的に解消される…❹
と、このように少し考えただけでも四つ出てくる。
Cの挙げた問題点は
仕事を増やして欲しく無い警備員の心情を踏み躙る…①
批判が長引くと待っている輩の席が一向に空かない…②
問題を逸らしたところでおでんが別用途で使用していた事が正当化されるわけではない…③
等がある。
先ずは①②について論う。
❹でも述べた通り、忠告を素直に聞けば警備員の仕事は効率的に解消されると望める。
然し、警備員が素直に忠告を受け入れずにおでんと口論をし長引いた結果、
連鎖的に①②が成立した。
だが果たして①②が成立したのは、おでんに非があるのだろうか。
不平等性を解消することによるメリットが大きいのは明らかだ。
おでんの忠告を受け入れて行動すれば口論の時間を取ることもない上に、
自分の仕事も効率的に解消される。
それなのにも関わらずおでんの忠告に刃向かうという警備員の愚行を責めるべきでは無いのか。
目先の問題ばかり追いかけ、
先見的な目を持てない警備員に非があるのではないのか。
況してや警備員は警備をするのが仕事である。
だからこそ警備員はおでんの別用途使用を諌めた。
つまり警備員のおでんを諌めると言う行為は
「フードコートの別用途使用は諌めなければいけない」
という一つの信念に基づかれていると考えられる。
ならば無作為だろうが何だろうが、
自分一人だけを抽出されたおでんがダブルスタンダードに対して疑問を呈するのはごく自然なことである。
そして別用途使用する輩を放置するのは警備員の仕事を放棄する事と同義である。
本来は処理するべきである仕事をしていないと指摘されて、警備員の心情もへったくれもない。
それなのにも関わらず指摘しないのは優しさではない。
事なかれ主義者の利己的思考に基づいた行動である。
ソクラテスは毒杯を飲み干してまで自分の正義を貫いたのだ。
ソクラテスがそうした様に、おでんもまた自分の正義を貫いただけなのだ。
社会の常識等という錆び切った鎖に縛られている凡夫よりかは、些か輝いているように見えるがね。
次は③について論う。
結論から言うが、おでんが別用途でフードコートを使用した事は、不平等を批判することにより正当化される事はない。
しかし、③がパンチラインになるにはおでんが不平等性を批判する事により、
自身の行動が正当化されると思っていることが前提としてなければならない。
Cの文章を読む限り、おでんがそう思っていると断言しているが、果たしてそうなのか。
自身の行動が不当であるとした上で、不平等性を批判していた場合、
おでんは新たな問題提起をしているに過ぎず、③ の批判は無に還る。
果たしてCはおでんが自身の行動が正当化されると思っている証左が出来るのか…。
もし出来なければ、只の思い込み印象操作ゴミ屑バカニートケツ毛野郎になるだろう。
よって不平等性の批判を素直に受け入れるべきなのにも関わらず、そこで逆らった警備員が悪質なのであり、おでんの忠告自体は良質なものと言える。