感想文喧嘩信者の主張をガイジ翻訳
・ピカソの絵が下手だと、論理的に証明できなければ、単なる感想文だ。
・同様に、ピカソの絵が上手だと、論理的に証明できなければ、単なる否定にとどまり、それは感想文だ。
こうしてみると、感想文喧嘩師ってだいたいこういう意見だろうなと思う。
それに対して、今まで私が述べたことで理解できないのは、やはり理屈がわからず感想しかみれないからだろう。
すでに、
1.単なる感想文には、喧嘩としてとりあう必要性すら感じない(>>73で明言)。
2.単なる感想文でも表現を変えれば議論の対象になる。(例えば、下手の定義や対象者を明示すること)
3.上手や下手という個人的な感想は勝手にもっとけばいい。
と述べているわけだから、感想文信者がいかにあたまがおかしいか分かるだろう。
取り合う必要がないのに、反対の意見を証明できないと感想文喧嘩だと言っているようである。
そもそも、
・論理的:健全な論理体系の推論規則に従い、結論が導きだされるもの
・感想:第三者が確認できる事実を含まない、物事について心に感じたこと
という風に使う場合、感想を論理的に述べることはかなり困難だ。
であるから、その感想文そのものを論理的に反論することは無理である。
だから取り合う必要すらない。
簡単に言えば、ボクシングの大会で、合唱コンクールやってるようなもんだ。
勝手に歌ってろってことだ。
もっと簡単に言えば、感想文喧嘩コンクールでもやってろw