喧嘩しませんか?

34うそつきミルフィーユ◆w13SR5tpU.
2019-02-17 20:22:14
ID:S5piQ1Qw

>>27
喧嘩における否定とは、単に相手の意見に対して「それは違うよ」ということではなく、正確な理由を述べることにより客観的真実として眼前に叩きつけることだと考えており、そういう意味において「純粋な感性に対しては否定のしようがない」という事を述べています。
つまり、あなたが私に指摘している「感性の否定とは感性を変えることだ」という考えを抱いているのではなく、感性の否定とは命題におけるどちらか一方に真実性、あるいは正当性を付与できるか否かということだと考えています。
そして、ご飯よりパンが好きだという感性の持ち主に対して、パンの合理性を説くことはいくらでも可能ですが、それによってパンが好きであることの正当性や真実性は担保されません。
説得により合理的なのはパンだということをいくら認めさせることができたとしても、「ご飯が好き」という感性に誤りがあることにはならないわけですから、どちらか一方に真実性や正当性が傾くことはないのは明白でしょう。
もしもそこに正当性をつけたいのなら、あなたが書いているように「どちらが国の利益になるのか」という論点を据え、利益という合理性で推し量れる点を創出することで初めて可能になるのではないでしょうか。
しかしこうなった時点で、この論争はどちらに利益があるのかという合理性の追求になるわけであり、私が低レベルとみなす「純粋な好き嫌いという感性による対立」とは一線を画するものになります。
また、好き嫌い論争は様々なメリットをもたらすことが可能であり、それゆえに不毛ではないという意見についてですが、私は別にメリットの有無に焦点をあて不毛か否かを判断しているわけではありません。
メリット云々は考慮せず、あくまで感性の否定はできないから不毛だということを言っています。

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