喧嘩しませんか?

55うそつきミルフィーユ◆w13SR5tpU.
2019-02-18 02:08:55
ID:PpCOkzDg

>>41
「メリット・デメリットという客観的事実に基づき否定するこはできると示しました」と自信満々で書いてますけど、それについては反論済みです。
まずここで私が用いた「否定」という意味は、単に「それは違うよ」と言うことではなく、正確な理由を述べることにより客観的真実として提示すること、です。
翻って、「パンよりもご飯が好きだ」という感性の持ち主に対して、いくらパンのメリットを説き相手に理解させることができたとしても、相手がご飯を好きだと思う気持ちを誤りだと判断することはできない。
誤りという判断が下せないということは、逆を言えば正しいという判断が下せないのと同義であり、結局はパンよりもご飯が好きだという感性に対して何らの否定もできていないということになります。
あなたがこれ以上メリット・デメリットにより感性を否定することができるということを強弁するのなら実際にやってみてください。
私はパンよりご飯が好きです。
この感性をメリット・デメリットという客観的事実に基づき否定してみてください。
私に対して「なぜ感性は否定出来ないのだ?」と同じ質問を繰り返されてもこちらの答えは変わりませんし、堂々巡りが嫌なのならばあなた自身がここではっきりと私の感性を否定してみせれば解決するのではないでしょうか。

また、好きだ嫌いだ論争における正当性は”人それぞれ”です。
この点については共通認識が取れていると思いますが、問題は、ある論題における正当性が人それぞれである状況において、その論題については正当性を付与することができないということです。
この正当性が付与できないというのは、普遍的な正当性が付与できないということを意味します。
あなたは「論争における正当性は普遍的でなければいけないと勘違いしていませんか」と言いますが、論争における正当性が普遍的でなければその論争は不毛であるというのが私の考えです。
確かに論争おいて正当性というのは普遍的である必要はない。
しかし正当性が普遍的でなく人それぞれならば、それは何を言っても正当であるという状況が作り出されます。
何を言っても正当ならば理屈による屈服は実現し得ず、結局は価値観の押しつけという不毛砂漠に陥るのが関の山なわけであり、不毛な喧嘩を避けたいのならば論題に対して普遍的な正当性が付与できることが必要条件であると考えられます。

次に「各々のいいところを見いだし自身の中で消化することに意義があるのですよ」なんて懐の深いことを述べていますが、ここでそういった個人的な感想を漏らすことの意味はなんですか?
私は好きだ嫌いだ論争のような感性における争いは、正誤がないという不毛さを伴うが故に低レベルだということを述べています。
あなたはそれについて反論をしたい立場なんですよね?
無論、感性の争いの中でも良い発言もあれば悪い発言もあり、自分によって有益となる部分もないではないでしょうが、しかしだからといってその論争に正誤が決定するわけでく依然として不毛なままである。
各々のいいところを見いだしてなんていう発言はそれはもう高尚な意見には違いありませんが(笑)、結局はなにも収拾つけられないじゃないですか。
不毛さを否定できていないじゃないですか。
つまり、何の反論にもなっていないんですよ。
ですから、そんな個人的な感想を漏らす意味は何なのかが非常に疑問なのです。ばくわら

最後に、感性における合理性の否定ってなんですか?
パンよりもご飯が好きなAさんにBさんはパンのメリットを認めさせることができました。
でもそのパンのメリットを認めることでAさんのご飯が好きだという気持ちは否定されるんですか?
否定されませんよね。
理屈と感性は別物であり、理屈によってパンのメリットを認めさせることができたとしても、ご飯が好きだという感性が否定されていることにはならない。



名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: