信じることは大いに結構、しかしそれが事実になるかと言われれば話は別自身の主張内容が客体に支持されていることを信じていたとしても現実は非情、アメリカ人の主張は様々な客体から一切支持されていないのが現状その事実を抜きにしても結局のところ〝論理や道理等による客観的な肉付け〟が成されているとする説明が無いのなら、やっぱりこちらが何かを受け入れる理由がないのです