佐藤やべぇ…
>何故なら当初の論点は 【アメリカ人が語りまくっていた箇所が本当にあるのかどうか】 であって、
>それに対して 【佐藤がその箇所を覚えているかどうか】 と返すのは〝その箇所がある前提〟になっているから
はっきりと「何度も書いた」と答え、
しかもその上でじゃあ提示しろって言ってきたから
「お前jは覚えてないの?」という質問をしたんだわ
佐藤が覚えてるのならいちいち提示する価値も感じないし
覚えてないのなら善意で具体的に引用してやるくらいの可能性もあった
当事者同士で数日前にお互い見たはずのものは
事実の記憶、として脳に残ってるかどうか、で正当に話は進められるはずなのに
「覚えてるかどうかは話がズレていて今、はっきりと証拠を持ち出す」という謎の正当性を語り始めてんのよ
つまりめんどくさい作業を求めてるんすわ
「覚えてるかどうかはズレた話であって、示した場合に正当性が付与される」ってことだから
(覚えてるかどうか無関係に)求める→示す→(覚えてるかどうか無関係に)求める→示す のループになるんじゃねーの?とありえる「正当な」展開を考え付いてしまったわけだけど
もしお互い認識しているかどうか、っていう証言がかみ合えばその通りに進めていいはずなんだよねぇ
覚えとどめておけたか、のパーツに焦点を当て、それありきで話を組み立てればループを回避できる正当性として繋がるはずなのになんで閉じちゃってんの?
で、だ
当事者意外に焦点を当て
そいつらにわかるように話をしろ、っていうつもりで言ってたとするなら
ともかく俺はそんな前提を特に重要だと思ってないし
俺「あった」
佐藤「あった」
外野A「前のやりとりは見てないしあったかどうかわからないけどお互いあったと言ってるんならそのまんま進めていいだろう」
っていう展開も充分ありえたはずだよね
しかも今回の喧嘩の場合佐藤の覚えとどめておくスキルが本題で重要になるんだから
外野視点として考えても佐藤は過去の記憶を丸投げしちゃいけない立場にあると俺は思いますよ
覚えているか覚えていないかくらいは示したらどうだ?
と思うが今はもう過ぎた話
佐藤に対して「え?え?証拠は?」を求め続けるだけで佐藤のアホ理論への教育になるし
もうこの喧嘩はほとんど佐藤の正当性、とやらのせいで死んだんだよ