伝説の喧嘩師”おでん”が一番活躍した喧嘩ログが欲しい

20幸之助◆VeOBozAS66
2019-10-10 04:29:27
ID:f5hmcf0M

>>3
おでん君の主張
②大辞林 第三版
比べたものの中で程度が一番上であるさま。この上なく。最高に。 「学校で-足の速い生徒」 「世界で-高い山」
「「「程度が一番上」」」であればいいらしいですよ!
ここから分かること
①比べられるのは「程度」であって「人」ではない。
②「勝っている」必要がないので同じ強さの2人がいても2人とも1番と言える。

>最も:比べてみて程度が他のどれよりもまさることを表す。いちばん。何よりも。
>【程度」が他のどれよりも勝っていることが最強の条件
>『その人が保持している程度が他の全ての程度に勝れば、その程度を保持している人が最強』

↑↑↑俺の反論🍀
>喧嘩師の実力
>強さ100:喧嘩師A、B
>強さ99:喧嘩師C
>強さ50:喧嘩師D

っていう風に喧嘩師の例を元に以下語る。
って、その前に
>富士山と全く同じ高さの山がもう1つあったら、「日本で一番高い山」が存在しない云々

いやそんな山は日本ねーから現実味がねえよ 仮定条件が不自然すぎる
走りの例もそうだけど全く同じタイムなって先生の間では最速は二人だとしても生徒間的にも一般的にもそうはいかない。

では本題。
辞書に則って話をすれば
極限にまで程度を厳密的に設定していくと(厳密的には)最強は一人になるんじゃね?
スパンと途中で「程度」の設定をすれば最強は複数存在できるけど
だが、極限にまで設定をしてさらに掘り下げて設定しての繰り返しで最終的に行き着くのは一人
また最強の喧嘩師などを決める際に周りの意見により考察が為されて結果的に誰が最強かは一人に設定されることも多々あり、
実際に最強格の間で決着がついてたら尚更最強は一人だと決められる

たしかに思考停止で”途中での「程度」の設定化”により最強が複数存在しちゃうこともあるのも事実。だがそれは表面だ。

そう成立しちゃう反面それ以外の場所で人々は、「真の最強は誰だ? あいつと比べたらどうだ?少しでもどっちが強いんだ?」って議論することもある。
そして、後々「あいつが本当の最強だァ!」という結論を導くこともある。

最強格と表現するならまだしも、最強と表現するなら
最強=一人という風なイメージが強くて
みんなそういったイメージを持ってるので無意識にどこでも「最強はこいつ”だけ”だー!」と結論付けられることが大半。
つまり、辞書では最強は複数いても
現実面では誰しそこまで言及しなくて
最強=一人しかいないと捉えるのが普通なので
最強は一人だけに絞り出されるパターンが大半。
再三いうが結果的に常にどこの喧嘩サイトでも「最強は誰だ?」と訊かれれば「一番強いのはAだ!」などといった風に設定されている。つまり、結果的に最強は一人しかいないのが常識であり、それ故に、最強は一人だと設定されている。
それはどこの界隈でもそう。

これは余談だが最強を決める前提として実力というものがある
これってプランニングやその日のコンディションや相性、気合いなどによって、その人の実力ってやつは変わったりすることもあるから実際の実力なんて決め辛い。
同じ所で弾き出した結果(程度)が同一という前提を持った”一位A”と”一位B”が日によって片方が実力的に上だったり、そいつらを実際に比べて究極的に判定したら片方が一位になることもある。
まっ、こうみると最強というものは決めにくいが、小さい不具合ならそれらを考慮しないのが普通でしょうな。

話を戻してここまでを総括すると
>他の全員に勝っていなければならないなんて条件は存在しません。

周りの意見などによって他の全員に勝ったことには”される”
つまり、最強は複数存在できる状況ではないってこと。
おでん :最強は複数人いますよ〜 辞書でこう書いてるもん!
俺 :はい?それ理想論ですよね こっちも辞書に則れば、最強は程度を比較したものだからずっと程度を比較しておけば最終的に最強は一人になりますよ〜これ辞書通りですよ〜それプラス現実的にみればあーだこーだ “辞書通り”プラスそれに”現実論”を加えたこちらの意見は納得力ありスギ

結論:最強は複数存在できない っていう意見の方が正当性や納得力がある。

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