>>54
んー、コレたぶんね。
結果を重視するか過程を重視するか、だと思うな。
白鳥さんは憧れの人の結果を重視する。
わたしは憧れの人の過程を重視する。
だってそもそも人間は無じゃないよ。
誰にだってその人なりの経験とか感性がある。
でも多くの人間は"正解"を求めがち。
その方が手軽だからね。
そしてその正解っていうのは、だいたい知識。
知識っていうのは調べれば誰にだって得られるものだからね。
つまらない人間っていうのは、知識でしかコミュニケーションをとることができない。
その人なりの経験とか感性があるのにも関わらず、ね。
コレが白鳥さんのいう、"どこにでもいるようなヤツ"だと思う。
要するに個性がない。
そう。個性。
わたしの思う面白さっていうのは、個性のこと。
「その人らしさ」
わたしはわたしだし、白鳥さんは白鳥さん。
いくら真似をしたって、わたしは白鳥さんになれないし、白鳥さんはわたしにはなれない。
そこの違いが面白いんだよ。
文才っていうのもそれを構成する要素のひとつでしかない。
パッと一文でわかるものだけが文才だとは思わない。
人っていうのは会話の中で自分の伝えたいことを精錬していく生き物。
あくまで一方通行的ないわゆる美術とか小説とは違う。
ここまで来ると薄々予想できると思うけど、わたしには"クオリティの高い領域"というのが理解できない。
たとえば、「クオリティの高い芸術」っていうのは、単に評価する側が客観的な根拠でもってそう評価しているだけでは?って思う。
コレについてはもうちょっと詳しく教えてもらえると助かる。