オカルト話から議論への発展

16C◆grFikwy8q6
2018-07-16 14:10:46
ID:WsFmEsqQ

なるほどなるほど、沼ヒロシは野原ヒロシのクローンだけど、どちらも同一人物か

ドッペルゲンガーとクローン体をどういう基準で分けてる?
スワンプマンの物語にすこし後日談を付け加えて、その境界を掘り下げてみる


ハイキング中、野原ヒロシは雷に打たれ死んだ
それと同時に沼ヒロシが誕生し、沼ヒロシは何も知らぬまま野原ヒロシとして日常生活を「続けて」いる


後日談その1
なんと野原ヒロシは死んでいなかった!
否、一時的とはいえ確かに心肺は停止していた・・・しかしなんと翌日、奇跡的に蘇生したのだ!
気付けば倒れていた、何が起こったのか理解できぬまま家に帰るヒロシ
しかし日付は1日進んでおり、そこには沼ヒロシの姿が・・・!
------

この場合はドッペルゲンガーになるのだろうか?

本人たちの主観としては
野原ヒロシ「気付けば1日経っていた、家に帰ると自分ではない別人がとても精確に自分のフリをしている!」
沼ヒロシ「無事にハイキングを終え帰ってきたが、その翌日、とつぜん自分とソックリな別人が現れた!」

・・・となるはず
少なくとも同一人物ではないはずだ

スワンプマンの思想実験では「脳も全く同じなのだから記憶も全く同じ」という理屈を大前提としているけど
この後日談においては両者がそれぞれ異なる記憶を持ってしまっている
落雷に打たれた野原ヒロシは翌日に蘇生したからまだいいものの、何年も仮死状態だったというシチュエーションも想定できる
むしろ極端に言えば生後間もない赤ちゃんがスワンプマン現象に遭遇し、80歳で目覚めるかもしれない
そうなると、もうぜんぜん姿かたちも何から何まで違う、DNAは同じ・・・
どこまでが同一人物?

ここから連想されるのが意識の問題で
「我思う、故に我あり」という言葉の示す「我」つまり自分とは何なのか

同じ状態の脳を持つスワンプマンが同一人物であるならば
いま「我思う、故に我あり」と考えている「我」は
「脳という装置が、考えるという機能を実行した際の現象」に名前を付けただけのモノなのだろうか?

名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: