審判依頼案件(太ももぷりん、南雲)

26南雲◆NAGUMO/BxE
2018-09-05 06:00:38
ID:VAA2JtS6

根本的に最初の喧嘩を判定したのは私で、その時のログは判定時に熟読しけどすでに大ざっぱにしか記憶してない。
ただ、今回の話を読みながら大元の記憶と結びつけながら考えていった。
アメリカ人が判定を私に頼んでおいて、その喧嘩の中に私の悪口が含まれてるのはちょっと笑った。

カレーライスの例が出てるけど、当時の話に照らせばどうもしっくりこない。例としては、ロシュの出した毒のほうがすっきりする。

久しぶりにマジメに読んだよ。

そもそもの始まりは、ロシュの「人間はやるべきことをやらずにいると、それを忘れていても集中力が下がり続ける」というどっかの本に書いてあったことを主張したところにある。

もちろんロシュは、すべての場合において下がり続けるものではなく、様々な要因によって上がることもあるし維持することもあることを認めたうえで、ただ全体的には「下がり続ける傾向がある」という話だったはず。

重要なのは、集中力が「下がる場合」「下がらない(上がる又は維持する)場合」の両方の可能性を許容しながら、基本的な傾向としては下がるという話をしていること。
どうなるか全く分からんという話なら「その本は何を主張してるんだ」って話になるからね。場合によって下がらないかもしれないけど、基本的には下がるということを言ってたはずなんだよ。

アメリカ人は、あのとき自分の剣道部だったか?の体験談をしながらロシュの主張を否定しようとしたけど、ロシュとしては「それは例外で、心理学は例外を認めるものだから、下がらない個別の事例や特定の状況があっても自分の論には影響しない」という流れだったと思う。

私はそのやりとりで、アメリカ人はロシュの立論を崩していないと判断した。結局この部分を重視してロシュの勝ちと判定したのが当時の大まかな流れだった。議論のルールとか、パーセンテージの話題ではアメリカ人が押してたけど、根本的にロシュの立論が成り立ったという判定があの時のものだった。
(ここまでは過去の話)

それで今回の話になるけど、アメリカ人は「本に書いてある傾向」を否定している。だから、本に書いてある(集中力が下がり続ける)ケースもあるが、そうならないケースが多いということだろう。

ロシュは、当時からの主張で、今回毒にたとえてるけど、毒でHPが低下するけど回復薬もある、回復薬でHPが上がることもあるけど毒がHPを下げることには違いないんだという主張だろう。

読んでいると、私は根本的にはどっちの言っていることにも論理的矛盾はない、と感じた。では問題点はどこにあるのか。

ロシュが、
>俺がいつ、集中力が下がり続ける場合「だけ」しか存在しないなんて言ったよ。俺は、集中力を上げる要素も、集中力が下がる呪縛を解く要素も、全て許容しているんだけど。(レス番号39)
と言ってるけど、このあたりの問題だと思う。

もちろんロシュは、下がり続ける場合だけしか存在しないなんて言ってない。
が、「ロシュは下がり続ける場合だけしか存在しないと言っているぞ」とアメリカ人は言っていない。

集中力が下がり続ける場合も下がり続けない場合もあることは、ロシュ・アメリカ人ともに共通した考えで、あくまで「基本的には下がる」という主張をしているのがロシュで、「基本的に下がるわけじゃない」と言っているのがアメリカ人。

だから、「1を否定した上で1〜10の主張をする」という構造じゃないんだよね。
でもアメリカ人のレス番号46

>1を否定し1~10を自身の考える正だとする

>が俺な

…などはすごく分かりづらい。

でも通して読めば、アメリカ人の否定しているのは「全体的な傾向」なのであって、「下がる」という現象じゃない。
だからアメリカ人は、【「1(下がる傾向)」への限定】(=本の内容)を否定して、【「1(下がる傾向)」にある場合もあれば「2~10(下がらない傾向)」も大いにある】ということを主張してると解釈できる。

また、「だけ」という言葉が限定する対象の問題もある。「下がる場合ーだけ」なのか「(上がる場合も踏まえて)全体的に下押し圧力がかかる場合ーだけ」なのか(アメリカ人が焦点を当てているのは後者)が交錯している感じがする。

アメリカ人はロシュの主張に関して、「下がり続ける場合だけ」という誤解をしているわけじゃないし、無論ロシュもそんなことは言っていない。ただ、ロシュは本を根拠に、「様々な要因で下がらない場合もあるが全体的に下がる傾向にある」という主張をしているよね。アメリカ人は多分、「そういう傾向とは言えない」と言ってるんだよ。昔の喧嘩では、アメリカ人の論拠が弱くてロシュに却下されたけど、今回は「実際に下がるのか下がらないか」に加えて、お互いにこれまで「何を主張してきたか」にも焦点が当たり、論題としては表面的になっている。

ロシュが「毒」に例えているのは非常に象徴的だと思う。

「毒」とは「課題をやらずにいること」で、HPというのは「集中力」、「薬」というのは集中力低下を防ぐ効果のある様々な要因のことだ。

毒によってHPは下がるが、回復薬など毒以外の効果によって上がることもある。それでも、毒がHPを下げる傾向にあることに変わりない。
ロシュが言っているのはそういうことだと読んだし、おそらく本の内容もそういうことだろう。

対するアメリカ人は、「いや必ずしもそれは毒じゃない。毒にもなり得るがそれ自体が薬にもなり得る」という主張なんだよ。
(ただしそれが現実にどの程度薬になり得るかが不明なので、昔の喧嘩の立論までは崩せそうにない)

だから、アメリカ人の否定は成立している。ただ、議論の内容が噛み合わず、堂々巡りでどちらも論破の状態にはなっていない。

これは、ロシュが「自分の主張をアメリカ人が誤解している」という前提で何度も噛み砕いて主張を説明したものの、実はアメリカ人はロシュの主張を誤解している訳ではなく、ロシュが「アメリカ人は誤解している」と誤解したことで起きた齟齬だ。
だからロシュ視点では何度説明してもアメリカ人の反応が変わらずキリがないし、アメリカ人としては「同じことばかり言われても同じ返事しかない」と思って何度反論してもロシュが変わらずキリがない。

でも、アメリカ人が誤解していると誤解したことによって起きた齟齬なら、判定はアメリカ人の勝ちになる。


言っておくけど、昔の判定を変更するわけじゃない。あの時の喧嘩はロシュの勝ち。

あと私自身が誤解されないように言っておくが、私は、数ヶ月に及ぶアメリカ人の抗議に折れたわけでもないし、前回判定とのバランスを取って1勝1敗に持ち込んだわけでもない。純粋に今回はアメリカ人の勝ちと見てる。

ちなみに、ロシュの文章に比べてアメリカ人の文章は非常に読みづらい。ロシュの文章を読む3倍の時間がかかる。ロシュの主張は頭にすっと入ってくるけどアメリカ人のは何度か読み直さないと分からない。

今回、ロシュの勝ち判定も出てるけど、読みづらいアメリカ人の文章を読み解く必要があることと、元々の昔の喧嘩を踏まえたうえで今回のを読む必要があることの2点が判定を難しくしていると思う。

実際、今回の文章だけでは、ロシュの言い分が正論に見えた。「1を否定して1~10を肯定している」という見方も、「1」の中身が何なのかを考えるには昔の話とリンクさせないと見えてこないし。

つーかこの判定だけで徹夜した気分だ。

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