喧嘩のずるい勝ち方の例:最低限の論理的表現力あるやつこい

177NILL
2018-09-12 20:27:28
ID:G/sNkqZA

通りすがりだが、論理的言葉遊びの題材として真面目に考察させて貰った。
どこかの誰かの喧嘩の肩代わりとしてではなく、1つの問題としてここで起きた対立の本質とは何であろうか、一つ一つ詳らかにすべきという観点から意見を述べさせて頂く。

第一に、「否定」という概念は理性的観念から一義的な物なのではないか、と提起させて頂く。

「例外の存在を示唆する事」「傾向の有無そのものに反証する事」もどちらもA1という意見に対立姿勢を示す手段としてのロジックであると言える。
この点においてこの場で挙げられた2種類の「否定」に本質的差異は認められないのではなかろうか。

またこの場において、否定という概念の理性的規定と、元々の文脈におけるB1の発言の論理的な確からしさが混同され、机上でごった煮になっているのではなかろうか、と私は考察する。

ここで第二に「これを1つの問題として考えた場合、A3.4の発言はその本質に何ら関与しないのではないか」と提起する。

文脈を整理してみると、A3,4の発言はB1がA1の「否定」としての確からしさを持ちうるか、という論点におけるB1への反証であると言える。
ここでA3,4の反証としての確からしさを評価することは敢えて避けるが、>>1で示された文脈の全容は簡単に「意見→反論・反証→反論への反論・反証」と整理することが出来るだろう。
私見だが、この問題を最もスマートに、最適化するとなれば、ここで真に論じられるべきはB1の「否定」意見がこの文脈において如何に論理的な効力を発揮しているか、という点ではないだろうか。
B1の確からしさを論証する上でA3,4が反証の1つとして援用されるべきであり、決してB1とA3,4は同等な論点として扱われるべきでない、と私は考える。

結論として「B1の正当性を論証すべきでしかない」と結んでおくが、長々と弁を垂れてはみたはいいものの、この場で議論されている方々はとうにお気づきの点ばかり論っていたのかもしれない。
これは言葉遊びパズルを解くつもりで考えた自己満足論でしかないし、なにぶん掲示板に書き込むのは慣れていないので見るに耐えがたい駄文でしょうから、どうぞ読み流してください。では。

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