A1:「身長が高いほど、体重が重いという傾向がある。(もちろんそうでないこともある)」
B1:「相撲部の例外もあるし、その傾向は必ずしも成立しないのではないか。」
A2:「例外があるのは当然。君の発言は、否定を含む反論には、なってないよ。」
B2:「否定になっているよ。辞書にはある命題の主語と述語の関係を承認しないという意味があるからな。」
A3:「命題の主語と述語の関係が不成立だという意味での否定にはなっていないね。」
A4:「その意味での否定にするなら、その傾向が存在しないことを言わないといけないね。」
解説:
東京都の20代から選びだせば、
身長が高いほど、体重が重いという傾向がある。
一方、「身長の二乗と体重の積が一定」の集団から選びだせば、
身長が低いほど、体重が重いという傾向がある。
このように傾向というのは対象によって変わるわけです。
つまり、今回は傾向に関する対象が明示されていないので、
集団を明示したうえで傾向が成立するかどうかを
勝負の分かれ目にはできないはず。
よって、否定になっているかどうかが最重要なはずです。
その上で、A2の発言に注目すべきです。
A3,A4での主張から「傾向がある」の否定が
「傾向が存在しない」となってしまいます。
*ここで注意が必要なのは、A1の発言は非常にずるいということです。
A4が通れば、A1の意味は、「身長が高いほど、体重が重いという傾向がなりたつ集団が存在する」ということになってしまいます。
(何がずるいかわかった人は喧嘩上級でしょう。)
[大]ここで問題: さて、どちらの勝ちとすべきでしょうか。 [/大]
*本スレで、私はまともな者とは喧嘩として争うつもりはありません。
できるだけ集合や論理の考え方を吸収してもらえたらと思います。
*当問題は、
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8529&res=150
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8529&res=168
から影響を受けています。
>太ももぷりん◆prin/sdAts
あなた、ロシュと同じく前提をはき違えてますよwwwwwwwwwwww
>B:「相撲部は違うし、それは疑わしい。」
俺とロシュの喧嘩の例を語っているのならこれは全然違う
そして、身長と体重という明らかに高いほど重い傾向があるとわかりやすいもんを持ち出すのは例にしてもおかしい
つーかうすうす気づいてたけど
キャスフィガイジ多すぎじゃね…
上層と言われてたロシュさん(藁も、所詮はアホに祭り上げられてただけの能無しだったみたいだし
>>10
2 論理学で、ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと。また、その関係を承認しないこと。⇔肯定。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/185674/meaning/m0u/
とあるんだけど、よくわからないよね。
通常、論理学では、
「あれは犬だ」の主語は「あれ」で、述語は「犬」です。
日本語文法とは違いますね。
「あれ=犬」と認めるのが肯定で、
「あれ≠犬」と認めるのが否定だといういいかたがあるというだけのことです。
ちなみに、アメリカ人が他のすれで言ってる否定は、
「あれは犬だ」ということは認めないぞ!
お前と娘の結婚は許さんぞ!何が何でも認めんぞ!という意味での承認しないという否定ですw
>>16 少し細く
「あれ=犬」と認めるのが肯定で、
「あれ≠犬」と認めるのが、「あれ=犬」に対する否定だといういいかたがあるというだけのことです。
「整数は、2で割り切れる」という命題を考えます。
この場合、「整数」が主語で、「2で割り切れる」が述語です。
このとき、すべての整数は明らかに2で割り切れないのはわかると思います。
なので、「整数=2で割り切れる」は承認できません。
よって「整数≠2で割り切れる」となります。
ですが、「整数は2で割り切れない」と単純に解釈してはいけません。
「すべての整数は、2で割り切れない」ではなく、
「ある整数は、2で割り切れない」と解釈すべきです。
ロシュとの例に沿うなら
A:「例外があるのは当然。君の発言は、否定を含む反論には、なってないよ。」
例外があることを認めてる、云々の話はロシュ君が誤解して発生した流れであって本筋ではない
ロシュ「俺は例外があることを認めている」
俺「そうだね、で、俺は例外の話はしてないよ、全体像の傾向の話をしているんだよ」
これで例外の話は閉じてんだよゴミ
これの元ネタって確か・・・比例がどうのこうのって話に発展して、美術用語とかいうウンチに乗り上げてそのまま座礁したスレだっけ
いまだに燻ってるのかよ、戦慄するわ
------
身長と体重のあいだにある関係が説明不要なほど分かり切っているからこそBが白痴にしか見えないけれど
「ある傾向を唱える説に対して、合致しないモデルを提示する」というシチュエーションそのものをバイアス抜きで考察するために
ためしに、通例と例外を入れ替えた文章を作り見比べてみよう
A:「身長が低いほど、体重が重い傾向がある。(もちろんそうでないこともある)」
B:「小学生は軽いので、それは疑わしい。」
A:「例外があるのは当然(以下略)」
・・・こうなった場合は、一気にAが白痴化するわけじゃん
ナニが通例でナニが例外なのだろうね
>>1の文章だけでは「相撲部は背が低くても重い」という意見を例外たらしめる理由が論理的に説明されていないけれど
重要なのはそこなんじゃないの
>>22 今の所ずれてるように感じると思うけど、ステップバイステップで漸近するるからな。鼻息休めてまっとけw気持ちはわかるぞ。
この問題を出して良かったと思ったのは、
このキャスフィでは、まとなほうであるCですら、
よく分かっていないということ。
現況、ほとんどの人はCの主張と同様なことを感じるだろうなと思っていた。
それは、 A:身長が低い「ほど」、体重が重い傾向がある。
だったら、Aがアホのように見えることだ。
しかし、これは統計をすこし勉強すれば違った風に見えてくる。
簡単に言えば、身長が低い「ほど」、体重が重い傾向があるような集団を構成できるということだ。
Cの「ナニが通例でナニが例外なのだろうね」という疑問は、対象とする集団を明示せよということで片付くのだ。
このように、一見おかしいなと思えることでも、論理はそれを前に進める手助けをしてくれる。
さて、この問題の本筋は、否定について述べている部分であり、
辞書喧嘩や詭弁についての根本的な理解の助けになると思う。
よく分かっていないヤツ扱いされてしまっているけれど
元ネタとなった会話をどこまで本件(>>1)に適応すべきなのか分からないので、>>1の文面をサッと掬っただけだよ
> 対象とする集団を明示せよということで片付く
対象を明示することで何がどう変わるのかというと
A:「身長が高いほど、体重が重い傾向がある。(もちろんそうでないこともある)」
B:「相撲部は違うし、それは疑わしい。」
A:「身長が高い相撲部員は、低い相撲部員よりも体重が重い傾向があるので、疑わしくない」
このように、相撲部員を対象として定めればAの説が通る
しかし別の例として、仮に対象を「ボクシングのライト級選手」と定めるならば
いくら背が高くとも体重は58.967~61.235kgの範囲(ライト級に登録可能な範囲)に収まることになるので
この場合は「身長に大きな差があっても、体重に大きな差は生じない」となるわけだ
<命題の主語と述語の関係を承認しないという意味の否定>における「主語」の部分をどのように定めるのか、それによって何が例外に値するのかも変わってくる
・・・ということは分かっているつもりだけれど
「Cですらよく分かっていない」について、何か俺が見落としている部分ありますか
南雲に呼びかけてるってことは判定への不服からきてるんだろうけど
それなら事実に忠実な例にしろよ
A:「身長が高いほど、体重が重い傾向がある。(もちろんそうでないこともある)」
B:「俺の知る限り皆、身長が高いほど痩せていて身長が低いほど肥満だぞ、お前の話が正しい可能性は0%とは言わないけど身長が低いほど体重が重い可能性が高いと思うよ」(←これは違和感がある状況だが、ぷりんの例に無理やりねじ込んだせいで起きたことだしそこは気にするなよ)
A:「否定ならば0%を示す必要がある、これは議論のルールのようなものだ、君の発言は、0%を示してないし否定にはなってないよ。」
B:「ある命題の主語と述語の関係を承認しないという意味で否定になっているよ。俺は「傾向」というものを承認していないんだよ、お前の意見が正しい可能性が0%であるなんて言えないけど可能性が低いものだと思ってるんだよ」
A:「その関係が成立しないという意味での否定にはなっていないね。」
こんな感じ
まあ実際はもっと多くのやりとりがあったんだけど
ぷりんが言ってるような「例外をB(つまり俺)が示しただけ」ということではなく根拠をもとに全体がどうであるかの傾向をぶつけたのが俺な
どうせアメリカ人にはわからないだろうから、じっくりかけてCを通して説明してんだ。
しばらく見とけw
もし俺がロシュの意見を承認しているなら「ロシュの意見を可能性が低いもの」として処理するわけがない、「人間とはそういう傾向をみせるもんである」という意見と明らかに逆行してんだよ
逆に、>>1のズレたケースだと
Bの言う「例外の指摘」に聞こえる発言は傾向じゃなく部分的な話をしているだけに聞こえるし
「全体の傾向で言うのならば高身長ほど痩せている」という傾向と共存できえる状態にある
例がズレてんだよ
>>28
東京都の20代から選びだせば、身長が高いほど、体重が重いという傾向がある。
一方、BMIが一定の集団から選びだせば、身長が低いほど、体重が重いという傾向がある。
このように傾向というのは対象によって変わるわけです。
なので白痴化というのは、対象の言及なしには簡単には言えないわけです。
ここまではわかりましたね。
ちなみに実際の喧嘩ではロシュが途中で「俺は例外を認めている」と言い出して、いかにも俺が例外を指摘しただけかのような話を繰り広げたシーンがあったが
南雲がジャッジしている通り、それは誤解であって
俺はロシュ(の本)が全体の傾向の話をしていることを理解していて
俺は傾向、として語っているということ
なにも「ほら、こういう例外の層もいるんだぜ、お前の考えを認めなかったんだから否定な~」なんて話じゃないぞ
お前マジでわかってねーだろ
>>32は会話に於ける前提のすりあわせをしているかどうか、って部分なんじゃないの?
実例でそんな話あったっけ
つまり、
A:「身長が高いほど、体重が重い傾向がある。」
B:「それは疑わしい。」
という設定でも、
A:「身長が低いほど、体重が重い傾向がある。」
B:「それは疑わしい。」
という設定でも、今回は対象が明示されていないので、
ここが勝負の分かれ目というわけではないと思うわけです。
よって、「否定」に関してどう考えるか書いてみてほしいということです内容。
で、「否定」に関してどう考えるかということに対しては、
[大]Aが先に、否定という言葉を用いたことはかなり重要なわけです[/大]。
さて、どう考えますか?
ちなみにこの喧嘩もジャッジしてもらっていいのか?
できれば実際の喧嘩を見た南雲が望ましいんじゃないの?
>とあるんだけど、よくわからないよね。
論理学 否定 承認 で限定検索をかけてみた。論理学の世界で何か説明があるかもしれない。
ヒットした件数は15600件。少ない。その中でこんなものが・・・
肯定
2 論理学で、ある命題の主語と述語の関係が成立すること。また、その関係を承認すること。⇔否定。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/74317/meaning/m0u/
あれ?w
2 論理学で、ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと。また、その関係を承認しないこと。⇔肯定。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/185674/meaning/m0u/
同じgoo辞書w単に肯定の定義を裏返してただけでしたwこれは妥当な推論ではないですねw
すまんが否定という言葉を用いたのは実際には俺が先だったはず
たしか
俺「つまり俺は傾向を否定してるって言ってんだわ」
ロシュ「否定ならば0%を示す必要がある」
みたいな流れだったはず
>>36は前半は何が言いたいのかさっぱり意味不明だが
後半
>で、「否定」に関してどう考えるかということに対しては、
>Aが先に、否定という言葉を用いたことはかなり重要なわけです。
否定という言葉を先に使ったのは確か俺だったはず
一応はっきり書きなおしとくわ
東京都の20代から選びだせば、身長が高いほど、体重が重いという傾向がある。
一方、BMIが一定の集団から選びだせば、身長が低いほど、体重が重いという傾向がある。
このように傾向というのは対象によって変わるわけです。
なので白痴化というのは、対象の言及なしには簡単には言えないわけです。
ここまではわかりましたね。
つまり、
A:「身長が高いほど、体重が重い傾向がある。」という設定でも、
A:「身長が低いほど、体重が重い傾向がある。」という設定でも、
今回は対象が明示されていないので、ここが勝負の分かれ目というわけではないはずです。
よって、Aが先に、否定という意味を含む反論の概念を用いたということを考慮し、
「否定」に関してどう考えるか書いてみてほしいということです。
ん?>>1の例ありきで話をしてんのか?
もはや実際の喧嘩がどうであったか、はないがしろにしちゃうの?
いや、それならそれでいいんだけど
お前が「否定という言葉をどちらが先に使ったか」を軸にしてるんなら
実例と逆転しちゃうよ
なぜなら俺が先に使ったはずだから
まあ、「例の話をしているだけで実際の喧嘩がどうだったかなんて知らねーよ」ってことなら俺は離脱するけど
南雲をわざわざ引きずり込む意味薄くね?
南雲は>>1のケースと出会うのは初めてってことになるぞ
>>43 間違えたので訂正
東京都の20代から選びだせば、身長が高いほど、体重が重いという傾向がある。
一方、「身長の二乗と体重の積」が一定の集団から選びだせば、身長が低いほど、体重が重いという傾向がある。
このように傾向というのは対象によって変わるわけです。
なので白痴化というのは、対象の言及なしには簡単には言えないわけです。
ここまではわかりましたね。
つまり、
A:「身長が高いほど、体重が重い傾向がある。」という設定でも、
A:「身長が低いほど、体重が重い傾向がある。」という設定でも、
今回は対象が明示されていないので、ここが勝負の分かれ目というわけではないはずです。
よって、Aが先に、否定という意味を含む反論の概念を用いたということを考慮し、
「否定」に関してどう考えるか書いてみてほしいということです。
アメリカ人にはどうせ理解できないから1っヶ月くらいここ眺めてからおいでな。
漸近してくっていってんだろがww
で、南雲どこいった? アメリカ人よんでこいよ。
ああ、俺あんま関係ないみたいだね
南雲をそのズレた例に引きずり込み
「例ありき」で話を進め、なおかついかにも「過去の喧嘩の復習」をしているような印象の場を作りだし
ジャッジが間違いだった風に話を進めたかったんだね、都合がいい結論に結び付けられそうな例をわざわざ持参して
つーことで
「実際のケースと離れてますよ」
ってことがわかったんなら、そして実際のケースと違うポイントに焦点を当てて「そこが重要なんです!」みたいな話をしてるんならどうでもいいです
誤解を招きかねそうだから一応指摘はしたがもう充分役割は果たしただろうしROMっときますね
あとはご自由に
「僕の作りだしたフィクションの話」の中でどっちが勝ったと思うか考察しておいてくださいよ
あ、もう一つ言っておくがりおしはガチスルーな
まともに意識してもらえてると思ったのか?テングになってんじゃねーの?
南雲くんのこの言及が今回のスレの問題のいい誤答参考例になるわけです。
>ロシュは、例外は認めるが「下がり続ける傾向だけ」を主張しているのは間違いない。なぜなら、「下がり続ける基本原則もあれば、上がっちゃう基本原則もあるよ」では、ロシュの根拠とする本も含めて何も主張していない状態になるからだ。
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8864&res=122
--------
一見南雲氏の主張が正しそうに見えるが、
上記で説明した、対象の明示という概念を使えば、南雲くんもここを理解していないと思われる。
つまり、対象の明示という論理学、集合論で最も大事なはずな概念が欠落していたのである。
「下がり続ける傾向だけ」を主張しているのは確実ではないのです。
「対象Aでは下がり続ける傾向があるし、対象Bではそうではない」ということがあり得るわけです。
よって何も主張していないことにはなりません。
太ももプリンちゃんに質問
>>1の例の要点は俺とロシュの喧嘩の要点と同一のものですか?
もしそうならば
俺の勝ちってことになるんじゃないの?
だって俺が言い始めたんだよ、否定だって
>>55
ん?よくわからないけど
「人はしようと思ってやっていないことがあると、それをすでに忘れていたとしても集中力が下がり続けるらしい」
の中で、明示されてないものがあって
アメリカ人目線ではそれがどういったものか考えの内を正確に知ることはできないんだから否定できないってこと?
>>32
Bの「相撲部は違う」というアプローチが傾向の否定として機能するのか、あるいは例外扱いとなるのか
それは何を対象としているかによって変わってくる
この事については、わざわざ説明してもらわなくても分っているつもりだよ
きみは
> 今回は対象が明示されていないので、ここが勝負の分かれ目というわけではない
という思考ルートで「否定という概念を最初に持ち出したのはAである」といった解き方を選んだのかもしれないけれど
俺は「対象が何なのか明確化することにより、どちらが白痴化するのか変わってくる」という角度でAとBの会話を見ていたわけ
結論に至るために辿るルートが異なるからといって
「分かっていない」扱いを受けるのは心外だよ
ちなみに、BMIが同じなら身長が高いほうが体重は重くなるよ・・・
>よって何も主張していないことにはなりません。
ここに疑問を持っているんなら少々あらさがしがすぎるんじゃないの?
人はこういう因子によって集中力が下がることもあれば上がることもある、平行線なこともある
結局その因子が人の集中力を上下、どちらに動かす動力源になるのかはわからないよね
みたいな話なら本末転倒ってことだろ
2018-09-09 06:55:33 に32を書き込んで、
2018-09-09 07:12:58 に46を書き込んで、
2018-09-09 07:29:42 にCが32に言及。
Cなんか結構時間かけて書き込んでるっぽいな。
アメリカ人ROM短すぎwどうせおまえにはわからんってw
「ある命題の主語と述語の関係が成立しないという意味での、否定を含む反論になっているという概念を先にだしたのはどちらか。」
という話から、否定という単語をどちらが出したかという話になるのは本末転倒だわwwwwwwwww
はっきり言っておいてくれないか?
俺とロシュとの喧嘩の例と>>1の例はぷりんが重視してる点も含めて異なりますって
もし>>1の例と同じように「先に否定という言葉」を使ったほうが尊重されるんなら俺の優勢になるが
否定的意見をし始めたのも俺、さらにそれが否定であると言い出したのも俺だしな
南雲とCに言っておくが、
この件でお前らに勝ったとかどうとか絶対言わないから、
さっさと考えを出して、私から吸収できるものは吸収していきたまえ。
間違いを恐れずに書きなさいよ。
やり取りを見たら他の人にも勉強になると思ってつくってるのだよ。
>>63と思ったらなんか違うぞそれ
>「ある命題の主語と述語の関係が成立しないという意味での、否定を含む反論になっているという概念を先にだしたのはどちらか。」
俺もロシュもその立場はとってないぞ…
いや、厳密にはとってるね
俺が
「俺の中ではその主語と述語の関係は成立しない」という意味で
一応の0%の状態にある、0%にこだわるんならそれでいいんじゃないの?みたいな話をしてるね
>>70
ロシュは
>ある命題の主語と述語の関係が成立しないという意味での、否定を含む反論になっている
なんて言ってたんですか?
アメリカ人の発言はこれであってるんですか?
アメリカ人もロシュもその立場はとってないぞ(>>69)
しかし、厳密に言えばその立場をとっている(>>71)
あとはガイジプレーかw
とってないのに、厳密にいえばとってるんだからさ。
そして意味が同じじゃなくて発言文が同一かということを言ってるようだw
だからいったろう、ROMしとけって。
所詮、おまえにはわからんくらいレベルが違いすぎるんだわ。
>>74
よくわからんが、Cみたいに落ち着いてかくといいよ。
Cが1レス20分くらいかけてるっぽくて驚いたわ。
ん?終わりか?
訂正をしたならなんなんですかね…
>俺もロシュもその立場はとってないぞ…
この発言すら対象を設定してないからなんとも言えない、みたいな話をしてたのがプリンだったんじゃないの?
俺の言う「俺もロシュもその立場はとってないぞ…」も「いや、厳密にはとってるね」
も対象次第で矛盾なく成立するものだが
プリンはその手法を否定しちゃうの?
>>77
>訂正をしたならなんなんですかね…
Cみたいに落ち着いてかくといいよ
わかったか?
[その立場]ってかいてんじゃんw
いいからROMとけw
>>32の
>対象の言及なしには簡単には言えないわけです。
は俺の、対象の明確な言及がなかった状態の中での「2つの似た意見を語った状態」すら助ける発想なんじゃないの?
そんなお前が俺を否定的に見ちゃうの?
俺、なんか読み違えてんのかな…
俺の考えが確かならプリンはそうとう頭悪いと思うが…
自分が勝ったと自信があるなら放っておけるはずだが、
南雲が賢くなったら負け判定でもだされるとおもってんのかな?
ちなみに、ロシュの主張は、南雲には分かってないと思われる。
なので、すこし違った例から考える機会を与えてんだよ。
で、アメリカ人はどうせすぐには理解できないから、
南雲の介護を通じて理解しろw
>>79 その立場って対象言及してんじゃんw
それからおまえが頭が悪いと思うのは自由だから、そう思っておいてROMとけ、なw
いやそれよりも
さっきの話がすげえ気になるわ
何を(どういう場、どれくらいの規模)という対象に対して発言をしたと俺ははっきりと指定してないんだから
なんも問題が見当たらないんだが…
なんかすげえ墓穴を掘ってる奴を見かけるとにわかには信じられなくて
自分が解釈をミスってるかと疑ってしまうよなぁ
その立場はとっていない→いや、正確にはとっている
この両方の発想ってまったくの同じ観点からのものなのかな?
どれくらいのものを「その立場だと認めるか」とかいろいろな幅が考えられるが?
連投でなかったことにしてるのか。いいか!ROMとけ。
69: アメリカ人◆OVx/oHHV8c
2018-09-09 07:43:58
ID:AWPwVm6o
>>63と思ったらなんか違うぞそれ
>「ある命題の主語と述語の関係が成立しないという意味での、否定を含む反論になっているという概念を先にだしたのはどちらか。」
俺もロシュもその立場はとってないぞ…
性格には、じゃなく厳密には、だったな
>いや、厳密にはとってるね
だわ
厳密さ、って付け足す視点は観点の切り替えだろ?
俺もロシュもその立場はとってないぞ…
これと
いや、厳密にはとってるね
これは一応、「訂正」という形はとっているが
それを抜きにしてどちらも間違いではない
っていう可能性はないの?
>>89
>「ある命題の主語と述語の関係が成立しないという意味での、否定を含む反論になっているという概念を先にだしたのはどちらか。」
の立場をロシュは俺よりも先にとったのか?
どんなフレーズでそれを表したのか詳しく
それが勝敗をわけるんなら
俺よりもどういう形でそれを表したのか教えてほしい
無論
ロシュが
ある命題の主語と述語の関係が成立しないという意味での、否定を含む反論になっている
と、俺の意見を補助する形で言ってしまったんなら俺の勝ちじゃん… ってなりそうだがwwwwwwwww
>>60
「何が対象なのかが不明瞭なので、どちらが白痴なのか簡単には言えない」
というのは、裏を返せば
「対象が何なのかを明確化すれば、どちらが白痴なのか答えに辿り着ける」
とも言えるわけよな
俺が>>23で言った「重要なのはそこなんじゃないの」というのは
AとBどちらが白痴であるのか見極めるためには、何が対象なのかを明確化することが重要なんじゃないの、という意味だよ
> A:「身長が高いほど、体重が重い傾向がある。」という設定でも、
> A:「身長が低いほど、体重が重い傾向がある。」という設定でも、
> 今回は対象が明示されていないので、ここが勝負の分かれ目というわけではないはずです
これはアレでしょ
対象が明示されていないので、本質的に言ってしまえば「否定という行為の対象」がそもそも無くね?ってことだよな
「ある命題の主語と述語の関係」における主語が抜け落ちちゃってるよね、って話じゃん
さすがにこの程度のことは説明されずとも分かっています・・・
>>95
「AとBどちらが白痴であるのか見極めるためには、何が対象なのかを明確化することが重要なんじゃないの、という意味だ」
なら、対象の明示は重要。
で、今回は、対象が明示されてないし、どちらが白痴か見極める必要もない。どちらも白痴。
さ、否定について考え給え。
>>1
コレはスレタイが変わっただけで詭弁問題シリーズだなw
Aの主張に例外を提示して反論するBの主張を詭弁と取るべきか?の問題だよな
・Bが一例を挙げてAの主張を否定すれば→【例外があるのは当然】とAに交わされる
・Bが例外も有るし無い場合もあることからAの主張を否定すれば→【Aの主張そのものを直に否定したことにならない】とAに交わされる
このAの主張をB側の詭弁wで崩すなら【Aは例外を認める立場】であることから、Aも認める例外が指すものが『突飛な特例』ではない、という所を責めるしかないねw
俺がこのぷりんの問題を詭弁問題シリーズwと呼んだのは、『相撲部』なんて突飛な特例ネタをB側の反論ネタに持たせなくても生活習慣からくる『肥満症』を反論ネタに持たせればいいw
わざわざナンチャラ部屋なんて相撲部屋に訪問しなくても、街中を歩く中で自分より背が低くくてデブな奴なんてザラにいるわけだしねw
>>94 ちなみに、私の考えでは、おまえが負けとも勝ちとも言ってないぞ!だから落ち着いてROMっとけと言っている。アメリカが、ロシュのすり替えたっぽい詭弁に気がつくかもしれないしw
マジでそういうことかよ、つまり「明確にされてないんだから」
>よって、Aが先に、否定という意味を含む反論の概念を用いたということを考慮し、
>「否定」に関してどう考えるか書いてみてほしいということです。
↑
その「否定」発言の対象、否定になっていないとする根拠は明確なの?
>>99 あ~なるほどね。アメリカ人はそこがわからなかったのか。分かってて粘ってるものと思ってたが。
これは練習問題をやるとよくわかると思うよ。
ここで解答したまえ、馬鹿にしたり勝った~とかいわないからさ。
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8900&res=n20
>>104
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8900&res=n20
やってみ
A:「その関係が成立しないという意味での否定にはなっていないね。」
↑
これを仮に明確、だとするなら
それ以前に言っていた「で、今回は、対象が明示されてないし」の部分すら疑える
ダブルスタンダードに思えるんだけどその辺は俺たちもプリンの価値感に準じないといけないの?じゃあ、結論ありきなんじゃないのこの問題
俺たちも?おまえは準じ無くていいし、書き込まなくていい。
なにいってんだおまえ。
で、これはできるか?
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8900&res=n20
ちなみに、言葉なんて所詮は曖昧なものなんだし
考えが確実に伝わる手段なんてないんだわ
そうなると言葉として「どういう形でとらえられたか」が重要であり
もちろん各自各々言葉のとらえかたは変わってくるだろうけど
各自、なにかしらの意味を感じ取った上で「その言葉」に対して否定を成立させることもできると思います
この場合、プリンの言うような「で、今回は、対象が明示されてないし、どちらが白痴か見極める必要もない。どちらも白痴。」は疑問
所詮は言葉、ってことを前提に考えましょうよ
で、これはできるか?
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8900&res=n20
A:「その関係が成立しないという意味での否定にはなっていないね。」
↑
これは、シンプルに見た場合は「体重の例の関係が(どこかで)成立しない」という主張ができる中での発言だと思うが
やっぱ、なにかしら焦点を絞る作業を行った上で「その関係が成立しないという意味での否定にはなっていないね」って言ってるはずじゃん?
それが明示されていないのに「ここを重視すべきだ」としていいものなのか疑問
>>112 否定がわかればそういった疑問も解決すると思うよ。論理がわからないのによくがんばったねおつかれさん。
ちなみに俺は、0%を示した上で「そうではない」と言い張ろうと、
可能性が低いというニュアンスであろうと区別なく
「また、その関係を承認しないこと」
↑
これにあたると思います
>ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと。
これをロシュ君は、0%を示すことで否定したことになる、と思ってるかもしれないけど
ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと、は「外部の人間が」言葉を駆使し、できること、ではなく
すでに「状態としてそこにあるもの」だと思います
語り手が左右できるのは「認めるか認めないかだけ」
ロシュ君はそういう意味でも大きな穴があったんですよね
否定をするなら0%を示せ
↑
否定、は
>ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと。
を念頭に置くなら状態なわけで
できること、ではありません
俺らができることは「根拠をもとに認めるか認めないか」であって
0%を示したかどうかで否定できたかどうかを左右するものではない
否定をするならば0%を示さなくてはいけない、それが議論のルール
だっけ?
でも、「ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと。」をもとに語るならば
否定をしている、と言ったところで「否定をした状態」にはなれないわけで0%を求められる義理がない
かといって後者の
「また、その関係を承認しないこと」ならば0%を必ず示さないと成立しないものではない
はいろんぱっぱ
これ、完璧なアンサーでしょ
>>116 114はどうというより、ロシュが勝ちになる可能性もアメリカが勝ちになる可能性もまだまだあると思うが、審判のレベルの向上を目的にしてこういうのを作っている。互いに信任された審判のもとでの判定に不服があろうとも、判定は覆さなくてもよいと思う。
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka&mode=list&no=6368
否定って言葉先に使ってんのやっぱり俺じゃん。なんで今更嘘つくの…。文脈的に考えてもいきなりお前が「これは否定になっている!」なんて主張しだすの頭イかれてるだろ。反論なんて基本的に否定ありきなものなんだし。
あと、当時のスレ読んでみて、当時のアメリカ人の主張を踏まえられえいないから南雲は曲解しちゃったのかなぁとは思った。アメリカ人は喧嘩する都度主張を変えていて、俺はアメリカ人に対して一貫した反論をし続けているが、それ故にニュータイプのアメリカ人が出てきて今までとは違う主張をされると、うまく対応しきれていない部分が出てくる的な。
現に今槍玉に挙げられている「0%」の話だって、アメリカ人が集中力が下がり続けるという因子自体を否定しようとしていたからこそ、ならば因子が存在しない(0%である)ことを主張するべきって話だったけど、今は傾向を否定してるだけってことになってるし。
《アメリカ人の幾度となくなされる主張の改変に依らず、ロシュ限界は主張の一貫をしろ》みたいなすげえハンデ付きの喧嘩やらされてる気分w
>>119
あ、もうそこどうでもいいんやで
興奮して長文になっちゃったとこ悪いけどもう「そこじゃない」んだよ
>>119
>アメリカ人が集中力が下がり続けるという因子自体を否定しようとしていたからこそ、
>今は傾向を否定してるだけってことになってるし。
その表現じゃちょっと違いがわからないんで
具体的にお願いします
俺は主張を変えたはずないんだが…
もしかして、もともと俺は「集中力が右肩下がりに常に下がり続ける」って本に書いてあってそれに異論をぶつけてるっていう話だと思っちゃった?
それ、どこだよ…
傾向、って最初からず~っと言っとるやん
少々のあがりさがりがあっても「傾向」は下げ傾向なんだろ?
俺はそうじゃないと思うよ、とず~っと言ってんだが
もし俺が嘘をついているんならちょうと元スレを出してくれたとこだし
俺の文章を抜き取ってくれね?
確かに「下がり続ける」ということを疑問視した箇所もあるな
だが
あと人間ってのは馬鹿なもんでな
「何かをしなければならない」と思っても
その後「ああ、どうでもいいわそんなもの」という意識が潜在的に発生すりゃ
もうストレスなんて発生しなくなる気がするんだよねぇ
等、慢性的な傾向を語ってもいるよね
>>73 >>76 >>78
そして、当時「>>93」で
下がり続ける→0にはならない、ある程度で止まる
みたいな話に変えてるみたいだけど突っ込まれたあとの方針転換は負けでいいんじゃねwwwwwwwwwww
と、俺は俺で「下がり続けるというイチャモンにも似た突っ込み」はやめたんだろう、当時の話はあんま覚えてねーけどな
で、そのあとは少し0%を示せとかそういうカス突っ込みに応戦し、
そのあとは再度
「傾向」だけに焦点を当てた意見を語ってるという図式みたいだよ
>>98>>99辺りからはそういう構造だわ
俺の名前で単語検索をしたらわかりやすいね
序盤、「下がり続けるってことは例外もあるんじゃねーの?www」みたいな突込みを入れたのは事実だね
だがそれは「継続性が少ない」んだろう
実際、「下がり続けるらしい」って点だけで見ればありえないぶっとんだ理論じゃん?
で、お前は「例外はある」みたいな話をしだしたから
じゃあ俺もその話に乗って、傾向、への否定をメインにします
って感じだろう
こんだけ長く話が続けばいろんな話の展開がなされうるのに
お前1人でずっと終始「例外は認めてる!0%を示せ~」って言ってたの?
それ、読解力なさすぎなんじゃね?
で、0%を示す状態ってなんなんだろう
「命題の主語と述語の関係を認めないこと」を確実視すること?
それとも
「絶対にその主語と述語の関係は成立しない」と、100%の証拠を差し出すこと?
お前は
2 論理学で、ある命題の主語と述語の関係が成立しないこと。また、その関係を承認しないこと。
の前者を強調してたはずだから
後者の「認めないこと」じゃおさまらないくらいの定義付けをしてるんだろう
ってことはやはり「そうなる確率が0%の証拠を出せ」って意味か?
やはり、お前が延々と「アメリカ人は例外を主張している」と思い込んでいたとしてもおかしいぞ
まとめ
「とっくの昔に例外の問答は終わっていて、傾向の話に移行していた、ロシュ君は気づいていない模様」
「否定をする側は0%を示す必要がある、今回のケースはそれにあたる」は、「主語と述語の関係を認めないこと」ではなく「主語と述語の関係が成立しないこと」を指しているというロシュのいいぶんを軸に考えて
やはりおかしい
アメリカ🇺🇸 :おいらが先に否定を使ったんだ!だからおいらの勝ちだ
ロシュ:調べたけど違うやん
アメリカ:どうでもいいんやで
さ、あとは長文ゴリ押しと一年以上の粘着でるかなw
>>96
「分かってないヤツ扱い」について、分かってるよと言っているわけだ
分かっていることの信憑性を増すために「何が対象であるのかによって何が例外であるかも変わる」と(ボクシングのライト級などの例も交えたうえで)自分の言葉で説明して理解度を示したつもりだけれど
最初に下された「分かってないヤツ扱い」は、まだ撤回してもらえないんスかね・・・?
きみが幼卒たちを相手に神目線で啓示を与えようと試みるのは別に構わないのだけれど
「分かってるヤツ」である俺としては、学び目的で愚直に参加するには余りにも程度の低い題材だし、言われるがままテキスト音読係の役目を果たすのも面白みに欠けるんだよ
Cの発言:
・身長と体重のあいだにある関係が説明不要なほど分かり切っているから一方が白痴化する
・1の文章だけでは例外たらしめる理由が論理的に説明されていないが重要なのはそこなんじゃないの
・結論に至るために辿るルートが異なるからといって「分かっていない」扱いを受けるのは心外だよ
どうでもいいけどさ、なんでそんなところで粘っちゃうの?
・説明不要なほど分かり切っていない。
・例外たらしめる理由が論理的に説明されていないが、勝敗には関係ない。
・結論に至るために辿るルートが異なるといっているが、無駄ルート。
ここまで説明した上で、お情けで、わかってるやつにしてあげてもいいですよ、
目的は違うからね。はい、Cはわかっているのね。訂正してあげます。
[大]で、勝敗に関してはどう考えるかな?
わかるかなー?重要なところが。[/大]
無駄ルートってのは、単にきみが思い描く理想のロードマップ上には位置していないというだけでしょ
今回きみは、数いるであろう読者のうち「分かってないヤツ」の論理的思考力を育んでやろう・・・とかいう高尚な目的
あるいは自分より劣る人物に対して何かを教えることで充実感を得ようという俗な目的でスレを立てたのだろうけれど
「どちらの勝ちとすべきでしょうか」が重要なのって、そういう目的を持っているきみ目線での話でしょ
> 目的は違うからね
なんて言われても、そもそも目的を共有した覚えはないんだよ
「これについて語ってほしい」というきみの目的にそぐわない発言をしたからといって「分かってないヤツ」にカテゴライズしちゃうのはマズいでしょう、って話だ
俺の書き込みから何かを学ぶ人だっているかもしれないわけ
俺はスレの趣旨である「学び」を阻害しているわけではない
で、きみにとって肝心な「どちらの勝ちか」についても
俺が>>23を書き込んだころと比べて>>1の文章は修正・加筆されてしまっているし
B2:「ある命題の主語と述語の関係を承認しないという意味で内容になっているよ。」
というのも、正しくは
B2:「ある命題の主語と述語の関係を承認しないという意味で否定になっているよ。」
なのでは?とか、細かいところも気になるし?
単刀直入に言えば、俺としてはAの勝ち(というかAのほうが優れている)と思うよ
そして、恐らくきみは「否定という概念が持つ仕組みや構造」に関連付けた意見を募って教材化したがっているのだろうけれど
> B1:「相撲部の例外もあるし、その傾向は必ずしも成立しないのではないか。」
「必ずしも成立する/しない」は傾向の有無に関係ないので、B1発言は白痴
みたいに、「傾向という概念が持つ仕組みや構造」に注目してジャッジを下すことも出来てしまうわけよ
きみが欲しがっているような(きみが試みる教育への追い風となるような)方向性の意見が必ずしも帰ってくるとは限らない
そのことは肝に銘じておくべきだね
>>134 B2の発言を色つけるときに否定であるべき場所が内容になっていました。お詫びして修正いたします。
>ジャッジを下すことも出来てしまうわけよ
そりゃそうですが;
「否定という概念が持つ仕組みや構造」に関連付けた意見を募って
教材化したがっているという予想がありますが、
それも大事だとは思いますが、実は想定していたのは違いました。
辞書喧嘩の罠あるあるなのです!
じつは、発言の順序と言葉の意味が後からの確定する様子が私が最重要と思っている部分です。
私は喧嘩をする際になぜ意味の確認をするかこの辺から見えてくると思われます。
Cはこの辺は理解しているものとは思いますので、その辺については言及しなかったのかなと思いますね。
さすが、Aランクというところでしょう。
ちなみに、133を見ればAランク喧嘩師でも理解に不足がある点を
十分推察可能だと思いますが、その辺も他の読者はよく勉強してくれるといいですね。
C:「必ずしも成立しない/必ず成立する」は傾向の有無に関係ないので、B1発言は白痴
これはまさしくAの主張ですね。
ヒントになる問題
仮に、A2とB2の否定の意味が異なるとした場合、
A2が大きなアドバンテージを持ってしまいます。
さて、それはなぜでしょう?
答え:
A3,A4でA2の意味が確定してしまうから。
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka&mode=list&no=6368
アメリカ人は>>72で『「下がり続けるんなら人間は集中力0なんじゃねwww」「常に下がり続けること」はないんじゃねーのwwwwwwwwwwwww』
さらに>>73で「記憶から抜けたこと」はすでに以降の集中力に影響しないんじゃね?という意見を提示
つまり2パターンの否定を披露。当然>>73は傾向の話に踏み込んでいる
>>76では>>73の発言の続きみたいな感じで、意見を続けている、当然だがそれは「傾向の否定」の話に踏み込んでいる
>>77でロシュは集中力を上げるげる要素があることを認める
(少なくともアメリカ人視点ではそこで、「下がり続けるということではなく例外もあり、本に書かれていることを傾向の話に限定しているものだと」理解した)
>>78>>90でも俺は「傾向」を否定する意見を繰り返している
>>94でロシュは「お前の意見は例外があると言い出すようなものだ、キチガイすぎ、お前は0%を示す必要がある」と言い出す
読み直したが俺はそのスレでほぼほぼ「傾向の話」をしているんだよ
もちろん「下げ続けるならいずれ0%になるじゃんwww」みたいな話もしているけどそれはすぐに切り替え、傾向の話にシフトしている
あと、0%の必要性についても疑問視してるよねすでに
俺が「否定」を使ったのは>>80が初めてだけど
それは間違いなく「主語と述語の関係を認めていない」に合致することから否定でいいはず
ロシュが後付け設定として、主語と述語の関係に付属要素を加えたせいでその俺の否定に反論があった、という図式に進展しただけだろう
>>90にも書いてるが
>「達成できてないと」集中力が下がり続けるという話を俺は疑問視してるんだよ
まさにこの通り
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その後は俺は、0%を出すルールのようなもの、を突っ込みまわしてるけど
結局、「「達成できてないと」集中力が下がり続けるという」を俺は否定したし
「傾向」の点に於いても否定をしたことになる
で、後日ロシュ君は「お前は例外を言っただけ」みたいな話を繰り返してるけど
俺としては『例外』的否定と並行して持った意見、として『傾向』の話があったわけだしむしろ後者を重点に置いてたんだから話がズレるのもしかたない
最終的にシンプルに書き直すと
ロシュ「何かをしなければならない、という考えを持ち、それを達成しないまま過ごすと人間は無意識のうちに集中力が常に下がり続けるらしい。」(>>11)
アメリカ人「ええ、常に下がり続けるん?いずれ0になるんじゃね?それ違うんじゃねwww」(>>72)
アメリカ人「つーか、すでに忘れ去ったようなことならむしろいい影響に作用するんじゃね?(>>73)」←傾向としての観点からの否定
ロシュ「なんで集中力が0になるのかよくわからないし、集中力を上げる方法があることは否定してない。(>>77)」←傾向の話だという、前に書いた記述への補足要素
ロシュ「基地外すぎて草。これ論理構造的には、『「ご飯を食べてないと」お腹が空き続ける』ってのと同じだけど、お前がしてる反論は、
『「ご飯を食べてなくても」ガムを噛むなどすれば、満腹中枢を満たしてお腹が減らないケースだってあるじゃないか!』ってものでしょ??
本的に肯定と否定の立場で別れて討論・喧嘩するとき、肯定派は、別に100%を示す必要はないんだ。一方否定派は、多くの場合0%を示す必要がある。んで、今回のケースもこれに当たると思う。
これは議論のルールみたいなものだけど、理解できないなら教えてやるから言ってくれ。」
アメリカ人「0%を示すってどういうことだよwww」
アメリカ人、>>83以降『その本に書いてある傾向への否定』と『0%を示す必要がある、というくだりへの疑問』をメインとし、
『例外があるんなら下がり続けるって書かれてること、つまり主語と述語の関係はおかしいし否定でいいじゃん』っつーような話をする
で、数か月単位でスレをまたぎ、2度か3度今回の件で話す場があったはずだが
ロシュの立場「お前は例外の話をしてんだろ?俺はそれを認めてる」
アメリカ人「0%を示せってどういうこと?絶対にそうでない証拠を出せってこと?俺は傾向の話をしているんだが?全体を否定してんだが?」
ロシュ「はぁ?例外なんて俺は認めてんだがwwwwwwwww」
アメリカ人「俺はず~っと傾向の話をしてるんだが?例外なんてどうでもいいんだが?」
この応報ってことでいいかな
結論「俺は2パターンで否定をしてるよね、そのうち1パターンはお前側の補足という形で反論があったが反論があった=アメリカ人は否定できなかった とはならない」
「で、0%を示すルールってどういうもの?」
「傾向を否定している」というくだりについてこれないのも正直ダルいし
0%のくだりについてこれないのも正直ダルい
いつまで「傾向を認めてる」とかいう話で止まってんだよw
ロシュ君は「否定側は多くの場合0%を示す必要がある」のくだりを説明してほしいのと
俺は少なくとも2点の否定をしたわけだが
・「下がり続ける」への否定
・傾向への否定
前者は「例外は認めている」というお前の話にはさらに「認めた上でも傾向の否定」でカバーできるんで否定構造は続く
その辺の説明もほしいとこだな
「本の主語と述語の関係」を、俺は終始否定していると言ってるけど
ある意味では本に書いてあることが事実である可能性をわずかながら認めてはいる、ってのが俺の立場だけど
こんな俺になんの0%を示す必要が「議論のルール上」発生したのか
ちなみに、当然のことだけど「俺はその、議論のルール上必要であった0%を提示していない」という立場であるという前提はちゃんと踏んどけよ
多くの議論じゃそのルールに沿って、誰かが求めた都合にあわせて0%を提示してるんでしょ?
全く読んでないけど、お前が因子自体を否定しようとしていた時は確かに俺は「因子が存在しないことを主張すべきだ(0%)」と主張していたが、お前が「傾向の否定をしたかったんだ」とか言い出してからはそんな主張続けてないよ。
>>146
俺が「傾向の否定をしたかったんだ」と伝え、お前が理解した状態でも
関係なく、議論のルールのようなものとやらは存在するでしょ
その件について掘り下げようとしてたんだわ
>>149
「因子がある」という俺の主張に対して、「そうとは限らない。ない場合もある。」なんていうお前の反論もどきは否定になっていない。
STAP細胞はある(1%でも)という主張自体を否定するためには、STAP細胞は存在しない(0%)という立場に付かなければならない。そうしなければ、対立が起こらない。
で、お前が因子の否定を取りやめて傾向の否定をしだしてからは、0%を主張せよなんてことは言ってない。何が不満なの?
とりあえず言いたいのは
下手くそすぎて読む気になれないような文を頼んでもないのに押し付けてくるなってこと
STAP細胞(因子)はある。という主張に対して、「確かにSTAPはあるかも知れないが、ないケースや、他の細胞がある可能性もあるではないか」などと言われても「うん、同意見です」ってなるだけじゃん。
なので、対立を起こし、相手の意見を否定するためには、ないことを主張するべきって話じゃん。
あくまで、お前が因子を否定していた段階の反論ね。
>>151
>>151
>「因子がある」という俺の主張に対して、「そうとは限らない。ない場合もある。」なんていうお前の反論もどきは否定になっていない。
否定になってると思います
お前は俺のレスを読んでんのか?
主語と述語の関係を承認しないこと、が成立すりゃとりあえず否定なんだわ
で、当時のスレで何が起きてたかってことだが
ロシュ「何かをしなければならない、という考えを持ち、それを達成しないまま過ごすと人間は無意識のうちに集中力が常に下がり続けるらしい。」
アメリカ人「上がることもあるんじゃないの?(否定パターン1)」
アメリカ人「つーか、何かをしなければならないと思って忘れてしまった場合はそれそのものがなんの作用もしないもんになったり、むしろ好影響を与える傾向につながるんじゃないの?(例外の話をしてるんじゃなく全体の傾向、つまりパターン2)」
ロシュ「なんで集中力が0になるのかよくわからないし、集中力を上げる方法があることは否定してない。」
アメリカ人「パターン1でも否定でいいじゃん(何かをしなければならない、という考えを持ち、それを達成しないまま過ごすと人間は無意識のうちに集中力が常に下がり続けるらしい。の否定にはなってるという事)」
ロシュ「議論のルールで否定派の多くは0%を示さないといけない」
アメリカ人「え、どういうこと?」
以降、アメリカ人は傾向の否定、をメインにして「パターン1もとりあえず否定になってる」という意見と、0%を示す必要ってどういうこと?って話をしてるな
で、俺は当時どうするべきだったの?
あと、未だになんでおめーは、俺が傾向の話をしていないような形に持って行こうとしてるの?
つーか前提を考えろよ
「常に」下がり続けるなんて強調してきてるんだぜ…
「常に」ってことはねーだろ、と言われるのはしかたないぞ
「いや、実際には常にとは限らないよ、お前の意見は否定になってないぞ」と言われても、
「例外くらいあるんじゃね?」という発言をした時点での俺はそんな後付けの情報は入手してないわけでwwwwwwwwwwwww
俺は何をすべきだったんですかね?
議論のルールのようなものについて未だによくわからないし0%についてもよくわからない
否定になってない、ってことだが
俺が、ある人間が持つ意見、その意見を言った側が抱えている可能性がある意見すべて同時に否定できることなんてまずないんだし
少なくともロシュ「何かをしなければならない、という考えを持ち、それを達成しないまま過ごすと人間は無意識のうちに集中力が常に下がり続けるらしい。」
に対する否定のアクションの1つとして
「それならいずれ集中力0になるじゃん、ありえねーだろw 」とか「一時的な上昇くらいあるだろ」ってのは妥当な否定意見だし
それとほぼ同時期に行われた別のアクション、つまり「傾向への否定」も充分否定意見だろ
俺は議論のルール上、何がダメだったんですかねwwwwwwwwwwwwwww
あと、0%を示す必要ってなんなんですかねwwwwwwwwwww
今回のように、不完全な1フレーズへの否定意見として
俺のように2パターンの意見をぶつけた場合
相手方が後付けによって容認しているようなことを言ったほうの路線で
話は進み、俺側に0%を求める必要が生まれるのか?
2パターンのうち、正当に成立するであろう傾向を語ったもう一パターンがないがしろにされ、
まるで俺が議論のルールを破ったような扱いをうけるのが議論のルールなんですか?
俺はまず2つのパターンの意見を出した。1つ目は「例外もあるんじゃないの?下がり続けるだけってことはないんじゃね?」で、2つ目は「細かい例外等は抜きにした傾向そのものの否定」な
言うまでもなく「人は~集中力が下がり続ける~」への反論として思い付いたものだが
それに対し、ロシュは「例外は考慮している」というような発言があった
この時点から俺は、例外の指摘っていう1パターン目の反論をほぼほぼ伏せ、
「例外は考慮している」という前提下でも通じる、「傾向への否定」を前面に押し出したんだよ
そして俺は「例外は考慮している」という意見に対しては「例外があるじゃん」なんていう反論はしていない(そう勘違いされるやりとりがあったらすまんな)
そうすうるとロシュは、反論は多くの場合0%を示す必要があり、今回俺は示すべき立場にあたる、と言ってきた
で、俺は今でもその意味がいまいち把握できていないが、説明不足のままだと思う、しかしそこは目をつむってやるとして
問題はここから
ロシュにとって、俺の1パターン目の反論に異常なこだわりをみせ、俺のすべての意見はそのパターン1からの延長線上で、途中で苦しくなって意見を変えたように見えたに違いないはず
俺には苦し紛れに意見を変えたつもりはなく、もともと持っていた意見の2パターン目だけで話を進めようとしただけだが
で、ロシュは延々と「それは否定になってない、俺は例外は認めている」というような意見を中心とした突っ込みを繰り返したよな
なぜ、ロシュ君は俺の「アメリカ人のパターン1の意見にこだわったのか」
俺の意見の1パターン目の話をもちだし、そこに執着する繰り返すのは、ロシュ君の法則で言えば「それは反論になっていない」にあたるのでは?
俺にいわせりゃ、ロシュがもともと発言した「集中力が下がり続ける」に対し、「例外もあるんじゃね?0%にならないのおかしいよね、ハイ論破」でもよかったんだぜ?だがまともな議論をしようと考え、そういうしょうもない行為はしなかったんだわ
しかしロシュ君は、俺が持ち出した「対象の意見が伏せられた状態でとりあえず出された否定意見」を、「すでに俺は傾向の否定をしている」としているのに
「例外なんて認めている~」と繰り返している
ロシュ君の法則で言えばそれは俺の、パターン2への反論になってないんです
で、パターン1に対してなら「例外は認めている」はギリ通用する反論だが、すでにお前が例外を主張していないことを俺は理解しているんで、「何言ってんだこいつ」って思っちゃうんですよ
「反論の立場は0%を示す必要がある」だっけ?ぜひ、俺の意見(パターン2)へ反論をお願いしますよ、で、0%の提示を頼むわ、どんなもんなのか気になるんでね
反論の方向性がぜんぜん違う方向に向かっていて、いわばお前が俺に言ったような「パターン2への反論になっていない」状態なんですよ
パターン1を俺がすんなり捨ててもお前は許すべきだよなぁ?
だってお前は「こういう状況下で、人は集中力が下がり続ける」から連想されるルートの1つを俺の目の前で破り捨てたんだからなぁ、後付けという形で
が最終的な意見でいいか?
少なくとも互いが信任した審判いないともう決着つかんやろw
ちなみに、赤文字の長文とか斜め読みだわ。
お互いが信任した判定員に一回判定(去年)つけてもらったけど、それでもなお定期的にこの話ぶり返して、その判定員と俺にずっと粘着してるから無理だろ
もう終わりでいいだろ
お前がゴネれば俺の意見が、傾向への否定から変化するってわけじゃねーんだし
ロシュ君はどうしたいんだ?
俺が会話の脈略をへし折ってレアケースの話を始めてくれるまで粘るのか?
南雲が一番悪いな。
2回目の判定で、ロシュから信任してもらうべきだった。
そもそもなんで判定が覆えったのかよくわからないしw
説明責任を十分に果たせないまま雲隠れ南雲になった。
南雲「ロシュアホなん?アメリカ人はレアケースの話をしてんじゃないんだからさっさと理解してついてこいよ」だろ
話してても、純粋な傾向のルートで進展させるのを拒んでると思えるフシがあったし仕方ないと思うよ
おまえ時給5万っていってたけど、
まさかスロットの話だったのかwwww
修正しとくはw
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8577
>>167
>>1の話って俺の話とそんなに関係なくね?
>>1は例外を持ち出すこと、が否定になってると言ってる話じゃん?
俺は、例外を持ち出して否定と言ったが(つまりパターン1での否定)
その否定がかかってる相手方の文章は「集中力が下がり続ける」の箇所へ、だぞ
そっから先、つまり「例外は認めてる」、というロシュの話が出た時点で状況が変わったわけで、
そこからの問答に於いてはパターン1での否定はしてないぞ
>>1の話はロシュ側にあたる人間が「例外」まで持ち出してるじゃん
そこで俺のパターン1の話をぶつけてる構図は俺とロシュの喧嘩では存在していないはず
傾向、を持ち出されたあとは俺は割とすんなりパターン2を持ち出してるんだよ(パターン2ってのは傾向の否定な)
これでふとももプリンさんも理解できたかな?
>>1の
B2:「ある命題の主語と述語の関係を承認しないという意味で否定になっているよ。」
A3:「命題の主語と述語の関係が不成立だという意味での否定にはなっていないね。」
↑
こういった会話はなされたが
ロシュの言う議論のルールのようなものの実態が疑問視されるやりとりだったよね
否定をした、という人間に0%を示す義務のようなもんが課せられるとするなら
その前提は「主語と述語の関係が不成立」という意味で否定という言葉が発言されている必要がある
今回の俺みたいに、議論の場で「承認しない」という意味で否定が使われた場合は相手方の意見が0%なんて示す必要がないだろう
で、多くの議論の場で「否定という言葉は、絶対に相手の意見の正しさが0%の時にだけ発言すべし」みたいな風習があるかといえばないんじゃね?
>>1の話は
A1:「身長が高いほど、体重が重いという傾向がある。(もちろんそうでないこともある)」
この時点で、傾向だということを明示しているんだわ
俺が「そうでないこともあるよね」みたいな、異例の話をしたのはそこじゃないんだからおかしい
A1に対する俺の意見はパターン2のほうであって
例に当てはめるなら
B1「その傾向って疑わしいよね(例外を示しているわけではなく全体の傾向を測る根拠を持って言っている)」
という感じになる
論理的思考力が低いと、
同じ単語で2つの異なる意味が使われていた場合、
支障をきたすことはよくわかった。
あとは雲隠れ南雲がくるまでまとう。
通りすがりだが、論理的言葉遊びの題材として真面目に考察させて貰った。
どこかの誰かの喧嘩の肩代わりとしてではなく、1つの問題としてここで起きた対立の本質とは何であろうか、一つ一つ詳らかにすべきという観点から意見を述べさせて頂く。
第一に、「否定」という概念は理性的観念から一義的な物なのではないか、と提起させて頂く。
「例外の存在を示唆する事」「傾向の有無そのものに反証する事」もどちらもA1という意見に対立姿勢を示す手段としてのロジックであると言える。
この点においてこの場で挙げられた2種類の「否定」に本質的差異は認められないのではなかろうか。
またこの場において、否定という概念の理性的規定と、元々の文脈におけるB1の発言の論理的な確からしさが混同され、机上でごった煮になっているのではなかろうか、と私は考察する。
ここで第二に「これを1つの問題として考えた場合、A3.4の発言はその本質に何ら関与しないのではないか」と提起する。
文脈を整理してみると、A3,4の発言はB1がA1の「否定」としての確からしさを持ちうるか、という論点におけるB1への反証であると言える。
ここでA3,4の反証としての確からしさを評価することは敢えて避けるが、>>1で示された文脈の全容は簡単に「意見→反論・反証→反論への反論・反証」と整理することが出来るだろう。
私見だが、この問題を最もスマートに、最適化するとなれば、ここで真に論じられるべきはB1の「否定」意見がこの文脈において如何に論理的な効力を発揮しているか、という点ではないだろうか。
B1の確からしさを論証する上でA3,4が反証の1つとして援用されるべきであり、決してB1とA3,4は同等な論点として扱われるべきでない、と私は考える。
結論として「B1の正当性を論証すべきでしかない」と結んでおくが、長々と弁を垂れてはみたはいいものの、この場で議論されている方々はとうにお気づきの点ばかり論っていたのかもしれない。
これは言葉遊びパズルを解くつもりで考えた自己満足論でしかないし、なにぶん掲示板に書き込むのは慣れていないので見るに耐えがたい駄文でしょうから、どうぞ読み流してください。では。
>私の判定が絶対正しいなんて言うつもりはないし、異論はあるだろうけど、異論のある人とまた喧嘩を続ける気はない。
…と、私は言った。
これが全てだし誰が認めようと認めまいと何も言いません。
「前提条件が違うため、その後の論理が正しくても解決しない」
こういうことは日常茶飯事です。人間は、「前提→ 事実 → 結論」という流れで、結論を出しています。(前提には大前提と小前提に分かれるときもある)
つまり、大前提が根っこにあり、それに基づいて、事実を判定し、結論を下しています。その大前提というのは、別の言葉で言えば「思い込み」と言ってもいいかもしれません。この「思い込み」は通常、会話には上がらないため、故意に確認でもしない限り、わかりません。
この「思い込み」がコミュニケーションする双方にとって共通認識であれば問題は起こりませんが、微妙な違い程度ならまだしも、全く違っていると、大きなトラブルになります。そしてこの種のトラブルが実は日常生活で頻発しているのです。
例1)仕事上で、取引先丸正商事へ連絡する際、部下の山本さんが連絡するのが通例であるが、非常に大きな問題が発生したため、山本さんは上司の山田さんが連絡すると勝手に思い込み、連絡をしないという結論を出したため、その後大きなトラブルになった。
・【部下の山本さん】 前提(大きな問題のときな上司が担当する)→ 事実(大きな問題が発生した)→ 結論(連絡しない)
・【上司の山田さん】 前提(常に担当者が取引先と連絡する)→ 事実(大きな問題が発生した)→ 結論(担当ではないので連絡しない)
例2)夏休みの宿題について親は、一々うるさく「早くやりなさい!」「まだやってないの?」「ここのままじゃ終わらないわよ!」と繰り返す。その結果、子どもは嫌々ながらやるものの、結局終わらない状況となった。(実は子どもは、やる計画を立てていたが、親から強制的な用語を浴びせられ、やる気を失ってしまったケース)
・【親】 前提(夏休みの宿題は早めにやってしまうべき)→ 事実(子どもが勉強していない)→ 結論(小うるさく言う)
・【子】 前提(夏休みの宿題は計画に行う)→ 事実(親から小うるさく言われる)→ 結論(やる気を喪失)
例3)宿題をやってこない生徒に対して先生が怒る。この宿題は毎回出しているものであるため、先生はいちいち言わなくてもやってくることが当たり前であると思っている。一方で生徒は、先生に言われたことに対して宿題であるという認識である。そのため先生が、怒っている最中、生徒は先生が言わなかったからこのようなことになっていると心中思っているが、特に口に出して反論する生徒はいない。なぜなら、この先生は口答えして反論めいたことを言うと、さらに怒りが激しくなると生徒たちは思い込んでいるからである。
・【先生】 前提(宿題は毎回出しているためやるのが当然)→ 事実(宿題をやってこない生徒)→ 結論(激しく怒る)
・【生徒】 前提(宿題として言われなかったことはやらないのが当然)→ 事実(先生は宿題であると言わなかった)→ 結論(やらない)
さらにこの問題はもう一つの前提の食い違いがあります。
【先生】 前提(勘違いがあるならいうべきだ)→ 事実(特に生徒は何も反論しない)→ 結論(やってこない生徒がわるい)
【生徒】 前提(反論すると先生の怒りは増幅する)→ 事実(怒っている先生)→ 結論(反論しない)
このような状況はいくらでもあると感じています。だいたい問題が起こると、その根っ子には双方の認識の違い(前提が食い違っている)ということがあり、その点を確認しないで進めるものだから、問題の本質である根っこから遠ざかり、いつまでも解決しないということです。
しかもやっかいなことに「前提→事実→結論」では、「事実→結論」の部分が論理的に正しいと、相手は反論ができません。しかし「何となく違う!」と感じるときは、論理が正しくとも、実は根っ子の「前提」が違っていることが少なくないのです。
では、このような問題が起こってしまったらどうすれば、いいでしょうか。対策は簡単です。次のマジック・ワードを使えばいいのです。
「そもそも・・・?」
「そもそも、なぜやらないのか?」
「そもそも、どうすべきだと思っていたの?」
と聞けばいいのです。ただし、問題が発生しているときは、感情が高ぶっているので、多少クールダウンするという技術を身に着けなくてはなりませんが・・・。
「そもそも・・?」という問いかけは、上下関係がある中では、上の者から行う必要があります。関係が下の者であると、矛盾を感じながらも、意見を言うことや反論に当たることは通常言うことはできません。つまり発言すること自体が憚れるのです。ですから上の立場にある人が、「そもそも・・・・?」と聞き、確認作業を行う必要があります。
国を超えた人々で会議をすると、非常にコミュニケーションが難しいといいます。その背景には、国による文化・伝統・思想に大きな差があるからです。その目に見えない文化・伝統・思想が前提となり、ある事実に対して結論を下していくのですから、コミュニケーションギャップが起こらないはずがありません。ですから、グローバル社会では他の国の人の意見を尊重するという立場を取らなければならないとされます。これは何も、グローバルな場で話だけではなく、日常の会社、学校、家庭の中でも身近に起こっている現象なのです。
「そもそも」というマジック・ワードを使って、原点や前提に戻り、その点を確認してから会話を進めてみてはいかがでしょうか?これまでの問題はきっと解決するはずです。
例1は上司は監督責任があるのだから、慣例で流してしまった責任を上司が負いますね。
例2は、親が注文をつけたのだから、子も同程度に親に注文をして然るべきであり、計画的にやる等の抗弁をする事が出来た。にもかかわらず、それをせずに腐ってしまったのは子に非が大でありますね。
例3は先生による威迫行為が日常的であるため、これは先生に非がありますね。
問題行動を起こすきっかけが全て目上の人なので、その人に「そもそも~」と注文をするのは無理があるような。そのような配慮が最初からあればトラブルは元から発生しないかと。
>>183あなたは、こんな想像をしたことがあるだろうか?
「もしかしたら、「痛さ」や「悲しみ」を感じているのは自分独りだけであり、自分以外の人間は、ただロボットのように、何も感じずに、ただ状況に反応して自動的に動いているだけではないだろうか……?」
もしかしたら、僕の周りで、
「ありがとう、とっても嬉しい♪」
「……好きです」
「痛いよ!もうやめてよ!」
「おまえなんか死んじまえ」
とか言っている人々は、実は、なんの主観的な体験も持たずに、ただ機械的にそう言っているだけかもしれない……。
―という、そんな想像である。
このように、
「外面的には、普通の人間とまったく同じように振舞いながら、内面的には、意識を持たない……主観的体験を持っていない人間」
のことを「哲学的ゾンビ」と呼ぶ。
このゾンビは、物質的には普通の人間とまったく同じであるのだから、もちろん脳も神経も持っている。だから、ゾンビに「赤いもの」をみせれば、彼の脳内の「赤」を認識する部位が反応を示し、
「今、わたしは赤いものをみています」
と話すだろう。
したがって、脳科学的には、まったく普通の人間と区別がつかない。
だが、にもかかわらず、彼は「赤(クオリア)」を見ていないのである。
もしかしたら、自分の友人、恋人、家族が、こういう哲学的ゾンビではないかと疑ったことはないだろうか?彼らは、口では「痛いよ!」とか「おまえを愛しているんだ」と言っているが、実は、何の主観的体験もなく、クオリアを感じないまま、脳という機械が、ただそう言っているだけなのかもしれない……。
もちろん、人間だろうが、犬だろうが、石だろうが、「自分以外の他人がどんな主観的体験を持っているか」なんてことは、原理的に知りようがないのだから、「アイツが哲学的ゾンビかどうか」なんて疑ったところで、まったく証明しようのない不毛な疑問にすぎない。
●では、哲学的ゾンビから何が語れるか?
そのまえに、はっきりさせておこう。
もし、我々が、一般的な物理主義の立場をとるのであれば、
「人間のイシキやココロなどによって、物理法則が変化することはありえない」
と考える。
ようは、僕のイシキによって、ボールの軌道が曲がったりしないよ、という当たり前の話だ。
この物理主義の立場では、今、僕に起きている「イシキ、主観的体験」というのは、「脳という物理的な機械」の動きに付随して発生している現象にすぎない。その証拠に、「脳という物理的機械」の物理構造をいじってしまえば、僕のイシキは、そのとおりに影響される。
(たとえば、脳をいじれば、「赤」が見えなくなったり、見えるようになったりする)
では、「イシキ、主観的体験」というものが、「単に脳という機械に付随するもの」であり、「物理法則と一切関係しない」のであれば、当然、「イシキ、主観的体験」が、脳という物理的機械の動きに、影響を与えることはない。
至極当然の話のように思えるが、そう考えてしまうと、少しだけ奇妙な疑問がでてくる。
というのは、「イシキ、主観的体験」が、脳に一切影響を及ぼさないのであれば、脳は、「イシキ、主観的体験」があろうがなかろうが、機械的に淡々と物理法則にしたがって動作するだけなのだから、脳に「イシキ、主観的体験」なんかなかったとしても、まったく問題なく、なに不自由なく人間生活ができるということになる。
そこから導き出される結論は、
「イシキとか主観的体験なんて、全然必要なかった」
ということになる。
もっと、はっきりいえば、
「この私」の意識なんて、この世界に、まったく必要の無い存在なのだ
ということだ。
だって、「私の意識」が「赤(というクオリア)」をみなくても、「あの夕日、赤いね、綺麗だね」と脳が話せるのだとしたら、そもそも「赤(今、現に意識の上に映っているこの色)」なんか余計なものであり、こんなものは見えてなくてもよかったのだ。
ある日、朝起きたら、「私」は内面的に死亡してしまって、「私の意識」がなくなってしまったとしても、私の体は、淡々と、起きて、食べて、友人と笑ったり、恋人と喧嘩して寝て……と今までと変わらず生活ができるのである。
結局のところ、「私の意識」は「私にしか必要のないもの」なのだから、大きな観点からすれば、「哲学的ゾンビの方が自然」であり、むしろ「この私」の方が、
「イシキ、主観的体験という元来必要の無い付随機能を余計に持っている不自然な存在」
ということになる。
しかし、どんなにイシキや主観的体験が不自然な存在だったとしても、事実として、現に、今、私は意識を持っており、主観的体験により世界を見ている。
これは一体何故だろうか?
一体、なぜ、機能的には、まったく必要のないものが、わざわざ発生しているのだろう?
もし、逆に、
「イシキや主観的体験も、機能的に必要だから存在している」
というのであれば、
「われわれは、イシキや主観的体験が、脳という物理的機械の動作の決定になんらかの影響を与えている」
ということを受け容れ、物理主義の考えを改めなくてはならない。
ディビット・チャーマーズは、この哲学的ゾンビという喩えを用いて、イシキ、主観的体験における新しい哲学的課題を提示し、当時の人々に大きな衝撃を与えた。
まず論点は、共通認識が成り立たない言葉は本当に使えないのか?、という疑問や
事実による実証を経た証明がない物事(科学や事実)は確信しえないのか?、という疑問の意味で
「人は何を”共通認識ができる客観的な物”としているのか?」を争点としよう。
まずは言葉。言葉は人間が後天的に身につけるものだ。その通り。
さらにそして、”言葉は辞書によって意味が定義されている”と、思いがちだけど、実は違う。
卵が先か鶏が先かみたいに考えると分かるけど、これは明らかに、言葉が先に作られ、辞書は後から言葉をまとめたものだ。
昔には辞書がなかった。しかし言葉はあり、会話はできていた。
この事実が何を意味するかというと、言葉の根源は「表すこと」である、という事。
つまりは「言葉=表すこと」であり「言葉≠意味の定義」ではないんだ。
「意味の定義」とは「言葉が表したい物事を説明したもの」に過ぎない。
だから「意味の定義」というのは不変的なものでもなければ絶対的なものでもない。
その証拠に、「昔と意味が変わった言葉」もあるし、「新しい言葉」もある。さらには辞書に乗らないスラングという言葉もある。
では、言葉に「意味の定義」は必要ないのか?というと、そうではない。
言葉には共通認識となる定義がなければ会話がとても困難になるのは事実だ。
「言葉=表すこと」という原始的なルールにのっとた原始的な言葉は「あれ」とか「これ」といった指示語だ。
これらは実態を持たず「指定する物を指し示す」という、原始的な言葉の意味合いしか持たない。
そして「指示語」と同じ働きをする音声やジェスチャーを理解する動物は、人間以外にもいる。
例えば、犬に「ボールとって来なさい」と命令しボールをもってくる事は、犬が「ボール」という物を理解していて、
さらに「とってくる」という行動を理解して、「ボールをとってくる」という行動をしている訳ではない。
犬が理解しているのは「あれをこうする」というレベルの認識だ。
なぜ、こう言い切れるのか?というのには「時間」と言葉の関係を知る必要がある。
指示語とそうでない言葉の決定的な違いは「時間」にある。
つまり、指示語とは「今そこにあるもの」でなければ「表すこと」ができない。
しかし一方の「ボール」は、今そこになくても「ボール」という言葉によって、物体をイメージさせる事ができる。
「ボール」という言葉は、今ここにない「ボール」を頭の中に産む事ができるが、
犬にボールを見せてボールを指示する事は「これ」という意味合いに留まるので、そこにない「ボール」を理解させる事はできない。
これらがどういう意味をもつかというと、
言葉には「今ここに無いものを表すことができるもの」と「今ここにあるものしか表せないもの」という、2つの考え方ができるって事だ。
言葉に意味の定義と辞書が必要なのは「今ここに無いものを表す」言葉が「実際何を表しているのか?」を説明する必要があるから。
「ボール」という言葉を聞いて”リンゴ”を思い浮かべてたんじゃ困る。
だから「ボールは物である」や 「リンゴは食べ物である」といった”概念”による区別をして、
言葉が表したい物はなんなのか?を説明していくんだ。
ここまでで「言葉=表すもの」であり、
「言葉≒意味の定義」であり「意味の定義=概念によって”今ここに無いもの”を説明する行為」という事がわかったと思う。
つまりは、言葉というのは概念によって説明される(区別される)ものであるわけ。
”ringo”という言葉は、果物の「リンゴ」を指し示すよう定義された公理としての言葉なんだ!っていう考えは、半分間違っていて、
果物の「リンゴ」を思い浮かべてる時は、同時に「果物」だったり「赤い」だったり「実」であったり「植物」だったり、
そういった概念を複合的にイメージして、抽象的な「リンゴ」をイメージしてるんだ。
この抽象的な実態を持たない絶対的なシンボルの「リンゴ」の事をイデアって呼んだりする。
つまり、人が言葉を使うという事は
「その人が表したいものを、概念で区別し、その概念で区別した表したいものを、個別の言葉で表すこと」であるわけ。
ここまで厳密な定義にすると「言葉は公理である」って事が「半分正しくて、半分間違ってる」意味が、なんとなーく分かるんじゃないかと思う。
例えば、抽象的な考え方をすると「物語」と「旅」は類義語になるんだ。
なぜかというと、物語とは「様々な出来事が、どのようにして起こったか?」という概念的意味合いを持ち、
それは同時に、旅とは「様々な出来事が、どのようにして起こったか?」という概念的意味合いも持つからだ。
哲学的な話の中では、人生のことを「旅」とも例えるし、「物語」とも例える。
なぜ、こういう例え方をするかというと、「人生」という「人が生きる過程」に起こる
「様々な出来事が、どのようにして起こったか?」というポイントを、こういう共通する抽象的な概念をもった言葉で語るからなんだよ。
「その人が表したいものを、概念で区別し、その概念で区別した表したいものを、個別の言葉で表すこと」というと
とても難しいことをしているように思えるが、実はそうでもない。
ぼくらは、普段あやふやに言葉を使っているけど、それが「なぜ、あやふやなのか?」といえば
ぼくらが言葉で重視しているものが「厳密な意味の定義」ではなく、「概念によって物をあらわす」という事に基づいているからなんだ。
だからぼくらは「不可解な言い間違い」をする。それは「言葉が概念によって説明されているから」起こる出来事なんだ。
そして、ぼくらが使っている「言葉」は「概念を示したいもの」であるんだ。
少し補足すると、「旅」と「物語」が哲学的には類義語と言えるというのは、
別に”哲学的だから特別”という話じゃないんだ。
英語ではよくある事で、ある特徴を持った状況を、同じ特徴を持った言葉で説明し、それがのちに正式な用語になるっていう事は
不思議なことではなく、言葉の使い方として正しく、自然に起きる事なんだ。
例えば「確信犯」という言葉は「間違いに気づかないで、正しいと信じこみ行われる行動」を指し示す言葉だけど
「確信的」という、よくにた別の言葉は「間違いを心の底で気づいている様子」を示す言葉で
この2つの言葉が似ている影響から、確信犯が「間違いを心の底では気づいているが、あえて行動をする事」という意味に変化していった。
これは「言葉の意味が分かっていない、いけない間違い」ではなくて、「よくにた言葉の、よくにた概念が混同されてしまった結果」でしかない。
そして、この新しい「確信犯」の解釈は今では辞書にのっている。「~から転じて」という注釈の元に。
さらに、辞書で言葉を調べて言えると「~から転じて」という言葉が少なからずある事もわかると思う。
ここからも分かるように、言葉とは概念の区別をするために使われるものであって、意味の定義ではなく、概念が先行する。
その概念の混同によって、後追いする言葉の意味の定義そのものが変えられる事は「間違い」ではなく、”言葉の法則”からいって「正しい」事なんだ。
これが「言葉」というものの仕組みだよ。
だから、クレームを「知恵、主張、閃き」と表現する事は、言語化さえしていないが、
”その人の個人性に依存する経験、あるいは思考から導きだされた意見・知識”を概念的に表す言葉の使い方として正しい。
じゃあ、最初の疑問に戻ろう。
共通認識が成り立たない言葉は本当に使えないのか?
ここでの共通認識とは”概念が共有できているかどうか”である。
この意味において「概念が共有できていなければ、言葉は使えない」という事が言える。
しかし「概念が共有できていれば、言葉は使える」という結論がわかるね。
すると、やっと「言葉」についての本題が見えてくる。
それは「概念は主観であるか、客観であるか?」という問題だ。
そして残念ながら、この答えば「概念とは原則主観的なものであるが、実証において客観的なものである」という答えになってしまう。
というのも、ぼくの持っている概念と、キミのもっている概念を、明確に比べて、
それがまったく同一であるか、あるいは一定の基準以上で共通性が認められるか?というのは、調べようがない。
調べようがないが、”言葉”を通じて概念を運用する限り、
少なくとも、この日本で「概念の区別を言葉で区別する事で示す、表したいもの」は、そこまで食い違いは起こっていない。
一定の基準値以上の共通性が実証的に観測できると言っていいだろう。
それを、仮にここでは、”言葉”としての客観性を、こう定義しよう
「原則主観によって発せられる言葉が他者に受け取られたとき、話に食い違いがない事を、主観から言葉が”切り離された”とし、客観とする」
この”定義されてる事実”は、”実証として食い違いなくやりとりのできる概念の事”と捉えよう。
この”実証として食い違いなくやりとりのできる概念の事”を否定したら
「概念が共有できていなければ、言葉は使えない」という事が言えるので、言葉は使えない事になる。
しかし、共通する抽象的な概念をもった言葉を複数述べることで、
「表したいもの」を示す事は、「言葉のルール」からいって、ちっとも間違った事ではない。
きちんと状況を把握すると分かるけど、
実は「意味の定義」に拘っている賢二がしている事は
「辞書に明記されていない概念を受け入れない事」であり、
つまりそれは、”実証として食い違いなくやりとりのできる概念の事”を否定している事であり、
「概念が共有できていなければ、言葉は使えない」という事が言える。
しかしオレがしてる事は、共通する抽象的な概念をもった言葉を複数述べることで、「表したいもの」を示す事だ。
あのー。引用をするならどこからどこまでが引用であると示さないと法令違反ですよ。それと真に自分が言いたい事を示す事が出来ませんよ。
Copeはcみたいなこというなぁ。
全ての言葉を辞書にこだわって使う必要はないのは当たり前。哲学書なんか辞書にない言葉を使うこともあるし、辞書にある言葉でも本書ではこういう意味で使うよということが書いてある。
そもそも一つの概念を説明するために一冊まるまる使ったりするわけなんだよね。
それと混同に関しては致命的となることもあるからその辺は色々だね。^ - ^
>>178
まあ色々大変なのはわかるが、かわいそうだったんで鍛えるチャンスと思って1について答えてみて。
生協にユーモア感じるお前が理解できねえ
第一copeにユーモアある改名をする気になれないわ
文章長すぎてドン引きしたよね
まあどうやらコピペみたいだけど、、、
これ殆どコピペだよねえ。自分の意思がどこにもない。こぺは反論をしていない。
>反論ないなら俺の勝ちだが?
こぺが反論をしているとは認められないので、こぺは最初から負けているのである。
生協って不必要なものデリバリーしてくるのかよw
そもそもデリバリーって注文したものを送ってくるシステムだと思ってたんだけどw生協やばすぎだろ。朝日新聞の宣伝かよw
天才tinko(あろく)のレスのコピペと飲茶って人のブログのコピペなのは見たことあるから分かるが、他の元ネタは何だろうな。
デュラチャにもcopeみたいなコピペ基地外いたわ。デュラチャのやつ馬鹿ばっかだから、コピペしてんの気づかずに「この速さでこのクオリティのレスできるのすげえ。相手黙り込んじゃってるじゃんwww」みたいなこと言ってたけど。
だって本当にコピペだったら夢も希望もないじゃん
仮にコピペにしか見えなかったとしても本当に書いたと信じたいじゃん
りもんだけ別格すぎるわ
つかここで会ったが100年目っていうか
俺が喧嘩師に引き込まれたのって9割りもんのせいだからね
霧雨辛いの好きなのかー
ペヤングの
激辛MAX ENDと
もっともっと激辛MAXって
食べたことある?
その二つで辛い方を通販で買ってみようと思うんだよねー
>>202
そういう想像をかきたてるワードチョイスとしての、生協
あと生臭そう
不必要なものを、注文もしないのに、大量に届けてくる、生協、とかいう奴がいたらウケると思うの
いや、人格的にでなく、笑いものとして
おお、そうか
つかいつから読点キャラになったの?
40歳くらいの大人が送ってくるLINEあるあるすぎて笑うんだけど
>>218
正直、この場からしたらおっさんみたいなもんだから、そう見えても違和感ないならそれはそれでいいんじゃねー
ほら、笑えよ^^
ここであったが なんちゃらーとか書いてあったけど、
そんな気持ちでそのレス書いたの?
>>1
面白そうなスレ発見
はいはいB2を殺すのは簡単(問題を解くとは言ってない)
おいおいBの理論でいうなら、
例外があったら本筋は成立しないってなら
B2にも例外があったら成立しないってことじゃねーかアメリカンドリーマー
>>例外があるのは当然
↑これ否定できてない時点でB2の負けwwwwwwww
何事にも例外があるのは当然だと認めるということは
自分の論理にも例外があるというのは当然だということさ
そこにさっき主張した論理に例外があったら本筋は成立しないというのが自分に刺さり死亡
つまり!ジ・エンド!
乙wwww
懐かしいな
米騒動に巻き込まれるの面倒だったから口出さなかったけど今なら言えるわ
傾向があるって言葉は「全部とは言えないがAである」って意味伝えたいときに使うよね
で、言いかえればAでないものが存在するかもしれないってことになると思うわけ
これの否定が「Aでないものは存在しない」
つまり全部Aである(主張A)が否定じゃないかと思うのよ
だから傾向が存在しない!(主張B)ってのは別に否定になってない。
反論に「十分」だけどね
で、アメリカ人は主張Aにも主張Bにもたどり着いてないっていう(笑)
わかりやすく言うと
蚊を退治するのに最適なものは?って聞かれて「傾向どころか全部そうだ」って答えたなら蚊取り線香ってことになる
もし「傾向が存在しない」って答えたらそいつは地球破壊爆弾を取り出すってこと
自分でも最低限の論理的なんとかはねーと思ってるけど当時僕はアメリカ人をぶっ叩いてた立場だった。
要するに感覚じゃね。僕天才だし。てへ
ロシュ こういう傾向があるみたいだね
↓
アメリカ え?これは違うよ??え?え??
この図見て最初、なんだこの小学生って思ったね
俺の言わんとすることをわかってないみたいだなメルトダウンちゃんは
いまいちはっきりしない問題であって相手は具体定期内訳、根拠を説明せず「こうならこうらしい」って言ってきたんなら
こっちとしても根拠として「こういうこともあるしそうとは思えないよ」的な突っ込みを入れただけだろ
別に、俺の出す一例を根拠に「こういう場合こうなる傾向がある」の論理体系が崩壊するなんて言ってねーんだわ
俺は「~だからその本に書かれてることは間違いだ」なんて言い方をしたんならともかくそんなことは言ってねーし
「似たようなことは多々起きるんじゃないの?そういったケースをどう処理し、どう傾向を導き出すのか根拠が不足してるよねぇ」的なことを考えてたんだけど
どんだけ議論下手なんだよ、日本人は議論が下手だって言われてるらしいけど
議論が下手な人、の次元で物を見ないでくれねーかな
俺は「疑問視」をしているんですよ
即座に明確な結論を導き出せるような話ではないから
こっちの持ち出す話が微妙になってはいるが
そこは話の性質上しかたのないことなんですよね
否定については
語義を用いて
>その関係を承認しないこと。
で説明済み
>承認
>そのことが正当または事実であると認めること
をしてない、ってだけの話
「俺個人が」そうしてないという話ね
別に俺の負けにしてもいいけど
俺としては「ああ、やっぱ喧嘩師の人だなぁ」ってあきれちゃうだけだよ
俺は「こういうこともあった」という話をしたんだけど
突き詰めれば俺だけの話じゃなく、その他大勢の人間心理、の話につながるんだよね
別に俺だけに現れた傾向とするのも自由だがそれが大衆心理のどういったものから現れてるとするか、等は議論することはできる
もちろんその本と逆を行くような話に派生し得るわけだけど
そういう面白い展開を期待した話のきっかけ作りで話がほぼ停滞するのってまずいよ
喧嘩師的には、「何かの論」をかざわれれば相手は「その論をつぶす確実な攻撃をしないといけない」みたいな思い込みでもあるのか知らんが
そんなんだから「一般人に常勝できてしまうんだよ(これ皮肉ね)」
余裕持てよ
たしかそのあとは
ロシュ「傾向があるっつってんの!例外を否定してないの!」
俺「あると言ってるのは認めてんのwwww」
みたいな感じだっけ
別に俺のような事象が例外だとは限らないし
結局、議論の過程としてその辺をどう処理していくかぶん投げてるよなぁ
どこまで言い訳聞いても「絡み方キモ(笑)」としか思えない
普段周りの人とどんなコミュニケーションとってんの
例外、と思ったものを例外としか処理できない感じがするよな
ぶっちゃけ俺のような事例が例外だとは限らないわけだし
人々のいろいろなシーンで大多数が受ける思考パターン、脳の影響パターンなのかもしれないのに
頑固親父で構わんよ
ただロシュ限界みたいなゴミクズが評価されるようじゃ喧嘩界が軽んじられてもしかたないと思うよ
喧嘩のつもりなら俺のいいわけに反論したらいいし
議論のつもりなら「俺のいいぶん」を理解するべきだと思うよ
なんか「」多用するやつ頭悪い説みたいなのあったよな。
なんかちょっと頑張ってる感じがして僕は好きだよ。つま先痛めないでね!
そうかそうか
がんばれよ、お前らはぜ信念を曲げずにロシュ限界みたいなやつを目指しておけばいいと思うわ
だいたいの奴が喧嘩界隈をチラっとみて萎えて去っていく中で
残ったお前らがこの巣を守っていけよ
じゃあな!
だいたいの奴がレスをチラッと見て萎えて去っていく中で
残ったアメリカ人がスレで勝ち誇る
うん違和感ないや
ロシュ限界とその予備軍の喧嘩は安い議論しかできないゴミの観察キットとして一本にまとめて売り出したらいいと思うよ
こうなったらいけない、という反面教師的な価値はあると思うしな
集中力、っていうものすごーく難しい問題を語る上で
自分に起きた出来事、分析は正しく、ほかの人にも広く起きる可能性があるかもしれない、と考えるのはあいまいな物事を語る中での最低限の妥当性はある
少なくとも「本にこう書いてあった」ってだけで「じゃあ自分は考え違いをしてるんだな」と思う必要はねーわな
本の妥当性をたいして説明もせず
俺の身に起きた出来事やそのことへの考察を「例外」として扱うのが会話不全じみてる
まるで「本の絶対性が保障されてる状態」という保証をもって物を見てるようだね
こういうことだよロシュ限界君
まだトラウマが強くこびりついてんのか
死んだほうが楽になるんじゃね?
パチンカス人生なんていらんしはよ死ねや