喧嘩での強そうな文体研究所

64天使◆w13SR5tpU.
2018-10-27 10:43:51
ID:voZXa.1M

本当の美とは、人を黙らせるものであります。
そういう信仰が滅びなかった時代には、批評にもおのずから職域があった。
批評は美を模倣することに尽きたのであります。
つまり批評は、美と同様に、人を黙らせることを最後の目的とした。
これは目的というよりは、むしろ無目的であります。
美によらずして沈黙を招来するのが批評の方法になった。
そこで頼られたのは、論理の力であります。
批評の方法としての論理は、美のように有無をいわせぬ力で、相手の沈黙を強要せねばならない。
そしてその沈黙の効果は、批評の効果として、今確かにそこに美が存在したと錯覚させるほどのものでなければならない。
いわば美の代位の空間が形づくられなければならない。
そこで初めて批評が創造に役立ち得たのであります。

しかるに美が人を黙らせるという信仰は、いつかしら過去のものとなるに至りました。
もはや美人は人を黙らせず、たとえ美が宴の只中を通り抜けても、人々はおしゃべりをやめないようになる。
京都へいらした方は、竜安寺の石庭を必ずご覧になるはずでありますが、あの庭は決して難問ではない、ただの美であります。人を黙らせる庭であります。
ところが滑稽なことに、御庭を拝見にまかり出る近代人は黙るだけで満足しない。
何か一言なかるべからずというので、俳句をひねり出すようなしかめ面になる。
美が饒舌を強要するようになった。美の前へ出ると、何か大急ぎで感想を述べる義務を感じるようになった。美を急いで換価する必要を感じるようになった。
換価しなければ危険である。美は爆発物のように、所有の困難なものになった。というよりは、沈黙をもって美を所有する能力、この捨身を要する崇高な能力が失われたのであります。

ここに批評の時代が始まりました。
批評は美の模倣をではなく、換価を職分とするようになった。
創造と反対の方向へ批評が力を添えるようになった。
むかし美の従者であった批評が、今度は美の株式仲買人になった。美の執達吏になった。
すなわち美が人を黙らせるという信仰が衰退に向かうにつれ、批評は悲しむべき代位の主権を美にかわって振るわなければならなくなった。
美すら人を黙らせない。いわんや批評をや、というわけであります。
こうして今日の饒舌に饒舌を掛け合わせた、耳を聾するばかりの悪時代がはじまりました。
美はいたる所で人々を喋らせます。
おしまいには、この饒舌のために美人が人工的に増殖されるに至る。
美の大量生産がはじまるのであります。
そして批評は、自分たちと本質的には同じところから生まれているこれら数限りない偽物の美に向かって、罵詈雑言を浴びせかけるようになりました。

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