時間空いてるのでまとめて最後まで話しておきますね。
まぁ、更に言えばですね。バロウズさんは、「言語や文字というものを、風景やセリフを表すための「道具」としてしか使わない普通の小説は、映像や音を直接使うことのできる映画やドラマに勝てない」
とも考えていました。つまり、この方向で戦う限り小説に未来はないと思っていた
だからこそのカットアップなんです。
カットアップで描かれた世界は、間違いなく小説でしか実現できないモノですから
(つまりは映像化不可能ってやつですね。)
また、カットアップには「言葉を既存の文脈から開放する」という狙いもあったんです
例えば「好き」という言葉には様々な意味や可能性がありますよね
恋愛的な意味での「好き」なのか、
(http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=free&mode=thread&no=7460&res=857-858)
ラーメンスレ等の流れで話し出す食べ物の好き嫌いの話なのか
好きの度合いだって「ほどほど」から「これがないと死んじゃう!」ってくらいまで幅があります
でも、「好き」という言葉を一度文脈にハメ込んでしまうと、そのニュアンスが固定化されてひとつの意味しか持てなくなってしまう
それを開放しようとしたのが、カットアップによる切り刻みというわけです
切り刻まれた単語達は、普通の文脈の中では持ち得なかった意味を持つようになりますから
私は興味が湧きましたよ。自分もコアな連中の一人になるかもしれませんね
寝ている時に見る夢って、論理的なつながりがなく唐突に設定変わったりするじゃないですか
「夢を読んでる」ソレみたいな感じなんですよ
全体的に散りばめられているホモやSFチックなテイストも良いスパイスになってるし、そういう不思議な感覚が感じられてきました。
では、最後にバロウズさんの残した名言を読み上げてお別れとしましょう。
【麻薬は快楽のための刺激剤ではない。麻薬は生き方なのだ】
・・・それでは皆さん、また会える日まで