今年、オウム真理教の一連の事件で教団の元代表 麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人は7月6日に、ほかの6人は7月26日に刑が執行された。教団に対する強制捜査から23年余りがたって死刑囚全員に刑が執行された。
また、今月27日、確定死刑囚2人の刑が執行された。
このことから、今年は死刑執行が例年に比べ多い年といえる。
みなさんに死刑制度の賛否を伺いたい。
死刑制度は反対ですね
冤罪での死刑の可能性がある、その可能性があるから死刑はしてはいけない
いたずらに命を奪うかもしれないこともあるため
実際袴田事件とか無理矢理な捜査や取り調べで犯人に仕立てあげられることもあるから
本当にその人が死刑に値することをしたかとか100%正しく裁けられるとはいえないため
生きている価値とかそこらへんは見る人によってはとかもあるけど
税金での生活がとかお金的なことなら死刑とみなされた死刑囚はそれに見合った危険な仕事なりして自身の生活を賄えるくらい、それ以上の労働を強いるなど
そういった方向性に法を改正するなりして
金銭面、精神面に代価を強いさせればいいのでは
こういう話でよくある犯罪抑止とかの話
実際どの程度抑止力あるかは定かではない
アンケートとかでの話も事前に死刑があった方がいいですよ的な前フリとか誘導めいたものがあるみたいなので微妙
被害者側の希望とかも、これも人によるところがあったり、時間を置くと意見が変わったりとかもあり賛成、反対の材料としては抑止力、被害者側の話は信ぴょう性にかける所がある
冤罪というものがある、真相がどうとか正確に出せないこともあるので死刑は反対
その代わり死刑に相当する人にはより重い労働などのことをさせるようにすればいい
と自分は思う
金銭的なこと、税金でとか、罪として甘いとかで死刑があった方がいいと言うならば
それに代わるやり方作った方がいいってことですね
あとよくある犯罪抑止とか被害者がとかの話はデータとしては不明瞭なとこ、誘導とかでのデータがあるので賛成、反対の話をする時には信ぴょう性がない所がある
ついでに貼っておきますね
https://www.youtube.com/watch?v=iZvw47QTXeE
>>2
冤罪での死刑の可能性がある、その可能性があるから死刑はしてはいけない
そもそも、冤罪かどうか定かではない状態のまま議論を進めていくのは不毛だと思う 何故なら「冤罪でない可能性」も大いにあるから。冤罪が罰するに値しないのは[死刑制度]に限定されない。
死刑制度の賛否を論ずるならまずその人間が人を殺めている前提で議論しよう
税金での生活がとかお金的なことなら死刑とみなされた死刑囚はそれに見合った危険な仕事なりして自身の生活を賄えるくらい、それ以上の労働を強いるなど
そういった方向性に法を改正するなりして
金銭面、精神面に代価を強いさせればいいのでは
>>2
私は死刑制度はあってもなくてもどっちでもよいのですが、
>冤罪での死刑の可能性がある、その可能性があるから死刑はしてはいけない
この理屈で言うと、冤罪の可能性もあるからそもそも拘置すること自体が間違っているという屁理屈がまかり通ることになりませんか?
拘置して肉体的労働による生産によって罪滅ぼしをすることはよくて、犯した罪と同等の肉体的苦痛によって償うことを否定する、その基準は一体何でしょう?
実際袴田事件の話は有名ですが、そんなものは今や昔の話ではありませんか。それこそ、刑事の勘が第一に信頼されていた時代です。しかし、当時から半世紀以上も経っている。科学技術は大幅に進歩しましたし、何の根拠もない刑事の勘だなんてものが当てにされる時代でもありません。同列に語ってよいもか、些か疑問に思います。
>>11拘置すること自体間違っているけど
冤罪かどうか判明するのはなかなか難しいだろうね
いくら技術的なものが進んでも人である以上間違い起こす可能性もある
同列にするのは技術的なものではおかしいかもしれないけどね
いくら技術的なものが進歩しても
未だに人的ミスなのはあるしね
警察で押収した証拠品を無くすなんて話はあるし
なんか億近いお金を無くしたとか耳を疑うような話も今年だっけ?去年?もあったし
拘置するかしないかの話は死刑の話とはまた違う話かもしれない
拘置しての所は税金的なところの話でもあるけど
否定した部分の基準?的な話としては死んだらもうやり直すことはできない
冤罪が発覚したときにその人を死刑にしてしまっていたらどうするの?
取り返しがつかないよね
そういう可能性がある以上死刑はなくした方がいいってことね
>>12
死刑に反対であることは否定しませんが、その理由の部分が気になってしょうがない。
可能性論の話をしだしたら切りがない。冤罪である可能性が0とまでは言いませんが、その可能性って限りなく低いではありませんか。証拠が不十分で不起訴となることはあっても、証拠が不十分にもかかわらず法で裁かれることなどないでしょう。なぜなら日本国憲法に定義されている通り、国民は法の元に平等であって、疑わしいのなら罰することはできないからです。かつては動機やアリバイの有無を根拠にしていましたが、今日では物的証拠の有無で確実な判断ができるレベルにまで達しています。証拠を無くしたところで証拠不十分で有罪にはならないし、人的ミスで防犯カメラや指紋、DNAがでっち上げられることなど科学的に考えてもあり得ないことくらい分かるでしょう。仮にもしも、無罪であるはずの人が死刑にされることがあったとしても、先述の通り、本当に法を犯した者が死刑に晒される場合の方が圧倒的多数ではありませんか。事実>>1で挙げられている死刑が執行された容疑者らの身内は、容疑者自身も含め誰一人、1度も無残を主張していません。
法は国の秩序と繁栄のためにあり、それを実現するのが憲法による犯罪者への抑止力というものでしょう。人間にとって死は最大の恐怖と苦痛をもたらすものであり、その刑はそれ相応の罪を犯した者にしか下されることはありません。それでこそ抑止力というものです。
この抑止力を活かしつつ冤罪を防ぎたいというのなら、抑止力そのものを排除するのではなく、冤罪を防ぐ方法を考えることの方が重要ではないでしょうか。あなたが言っているのは自動車事故が多いから自動車そのものを無くしてしまおうというのと同じことです。自動車という長距離の移動に長けた乗り物は利便性に長けており、その需要は尽きることはないでしょう。自動車による移動手段という正の恩恵と事故という負の恩恵、これらの足し引きをすると、どう考えても恩恵の方が大きい。ならば正の恩恵を受けつつ、負の恩恵を消す方法を考えるのが打倒ではないか、ということです。
>>13
死刑に反対に否定はしないとありますが
では何故否定しないのか聞いてみたいです
可能性の話をしたらきりがないとは思うけど
でもゼロとは言いきれないのがこの話では大事なことでもある
技術や何か進歩してもDNAのとこだと人的ミスで取り違えなんてこともあったみたいだし
物的証拠を無くしただけではなく別の関係の無いものをなんて話もあったかな
いつのニュースかわからないからあれだけど
いくら技術が進んだとかでもイージーミスや人的ミスはあるでしょう
人は完璧ではないので、技術によって精度は上がっても扱うのは人なので万が一はあります
こういうたられば的な話をしても水掛け論みたいになるから不毛だとは思いますが
ゼロだと言いきれるものではないと思います
事件性の大小抜きにして、実際人的ミス等はある
万が一がある可能性がある以上取り返しのつかない死刑はない方がいい
抑止力等の話は前にも書いたけど
データ的なものは信用性がない所がある
アンケートのとり方によっては抑止力があるとか、ないとかにもなるし
興味があればこの手のアンケートのとり方で操作や誘導があるみたいなことをアンケート用紙とか出して説明しているサイトとかあった気がしたので探してみてください
死が最大の恐怖と苦痛というのも人によっては死が解放とか救いだと言う人もいるので人それぞれなとこもあるのかな
そういう側面で死刑どうこう話となると各々の価値観的なものになるのでどれがいいとはその人次第みたいで議論として組み込むには微妙だと思う
車とか包丁なんかで危ないからなくした方がとか
使い手によってとか、便利なとか
そういうのとはまた違う気もするけど
言いたいことはわかりますよ
冤罪をなくすといってもゼロにはできないでしょう
冤罪を無くすようにすることは必要でしょうけど
ゼロにできるかできないかでいうとどうでしょうね
死刑における正の恩恵が抑止力
でもそれに代わるような抑止力はできないのかな?
これも前にも書いたけどそれに代わる労働なり、何なりでできないかな?それこそ入ったら本当に出られないようにするとかも
方法は1つじゃない気もするけど
ただ死刑というものは
してしまったらもう取り返しがつかない
執行したあとに間違っていたとしてもその人が死んでしまったらもうやり直せない
その点は代えが効かない
だから死刑はなくした方がいい
>>15-16
冤罪による死刑を防ぐために死刑そのものを廃止すべきだ、という話をされていますが、ジャッジミスの可能性の話をするのであれば、死刑制度どころか司法そのものを否定することになりますよ。冤罪で死刑によって命を奪われた例は私は知りませんが、冤罪によって数十年もの懲役刑で人生を台無しにされてしまった例を私はいくつも知っている。例え軽い刑罰だとしても、犯罪者のレッテルを貼られてまともな社会復帰ができないという例もある。こういうものは認めて、死刑は認めない。その基準がぼやけてよく見えません。
しかし、だからといって司法はおろか、死刑そのものを廃止してしまおうとは思いません。
どれほどメリットがあっても、どんなことにも少なからずデメリットはあります。しかし、人類はメリットをより大きく、デメリットをより小さくすることで文明を発達させてきました。デメリットは0にならないのだとしても、幾度となく0に近づけることに成功してきたことで、いずれは0にすることができると人々は信じてきたからです。その志が日々人類を進歩させているというのに、冤罪を防ぎたいがために、犯罪者を裁く手段そのものを奪うだなんて素っ頓狂にもほどがある。かえって逆効果ではありませんか。それならば、死刑そのものを無くしてしまおうだなんて素っ頓狂なことを考えるより、人的ミスを防ぐ具体策を考えた方がよほど建設的ではないでしょうか。
ちなみに私が死刑廃止論を否定しないのは、死刑が万人が何が何でも逃れたいと思うほどの極刑に値するかどうか疑問に思うところがあるからです。とはいえ死刑も重い刑罰であることは疑いようのな事実ですから、あろうとなかろうとどちらでもよい、というのが私の考えです。
>>19司法そのものを否定するわけじゃないんだけど
死刑という取り返しがつかないやり方はとらなくてもいいんじゃない
社会復帰できないとかの話だけど認めているとか、認めていないとかは言及してないよ
それはそれでまた違う話だろうけど
それでも生きていれば補償されるなり挽回の可能性はうまれることもある
そういう点からも死刑によってそれすらも無くすことはおかしい
そもそも冤罪を防ぎたいために死刑を反対ではなく
もし冤罪だったとき死刑にされた人がいたら取り返しがつかないって話だよ
そこを間違わないでほしいな
人的ミスを無くすことを考えないとも言ってないしそれはすべきだと思う
そういう所もあなたはこちらの意図を間違って認識しているんじゃないかな
死刑廃止論についてどっちでもいいって感じなのかな?
これはすごく難しい問題ですね。賛成論も反対論もそれなりの正当性があります。
私は死刑制度賛成派です。
反対派の論拠は主に二つあると思います。
・冤罪だった場合に取り返しがつかないこと
・冤罪でなくても、死刑自体が基本的人権の根本的な否定であること
この二つの反対論が間違っていると私は言いません。
私としては、冤罪の可能性を完全にゼロにすることは不可能かもしれませんが、限りなくゼロに近い確証がある前提で死刑制度に賛成します。
死刑には犯罪抑止効果が無いとはよく言われることですが、死刑の対象はよほどの凶悪犯罪だけであり、仮に抑止効果がなくとも、再犯は確実に防げます。
再犯を確実に防ぐ方法としては、死刑以外に終身刑があります。死刑反対派は、死刑廃止の代わりにしばしば終身刑の導入を考えます。しかしながら、終身刑というのは衣食住を生涯保証するうえ、常に適切な医療も受けられるので、自由の代償として一生生活の不安がありません。有期・無期ともに懲役刑は、社会復帰を目指すわけですが、終身刑は社会復帰を目指す必要がありません。つまり、多大な税金を投入してただ「一生養うだけ」という、受刑者の利益になりかねないことをするわけです。
強制労働をさせればいい、という人もいますが、受刑者の必要経費を捻出できるほどの生産性が確保できるわけではありません。刑務所の維持費や人件費を考えると、受刑者の生活費をはるかに上回る生産をしなければ追いつかないし、身体的にそれほどの労働が不可能な場合もあるでしょう。
結局、死刑反対派の言い分そのものは間違っていなくとも、死刑に代わる制度がなければ廃止できません。終身刑を導入せずに死刑廃止をすれば、犯人はいずれ釈放されるので再犯の可能性があります。また、一部の外国で性犯罪者に行うようにGPSを埋め込んで注意喚起するような方法では、凶悪犯の場合出所後の社会復帰がまず不可能になりますから、追いつめられてかえって再犯の可能性を高めてしまいます。
抑止効果がなければ江戸時代の公開処刑のように「見せしめ」的な観点では無意味でも、安楽死による死刑は、必要悪だと考えます。あとは、死刑判決の可能性のある裁判は特に慎重に行うことや、最新の科学技術を導入して、冤罪の可能性を今よりさらに減らしていくことが必要でしょう。
>>21
死刑に代わるものについて話し合えばいいのではと思うんだよね
お金の問題もそれを解消することをさせるような考えをしていけばいいかと思うのと
お金の問題で人を殺していいのか
万が一の場合取り返しがつかないけどお金がかかるから殺しても構わないとまでいくのかな?
再犯とかの心配ならば死刑宣告された人は出さないようしたらいいのではと
それこそ技術的なことで管理してしまうとかの方向にいかないのかな
凶悪犯はもう社会復帰させないとかは言い過ぎかもだけど
ある程度のことをした場合の対応を死刑をなくす代わりに設けるとかしたらいいのではないでしょうか
そこらへん具体的な事言ってないから突っ込まれそうだけど
死刑に対しての抑止効果については捕鯨のと同じようにどちら側の言い分の都合によってアンケートとか、データが変わるからそこらへんはよく分からないんだよね
慎重にしても、科学技術が発展しても可能性をゼロにまでというとそこが難しいんだよね
それこそやるなら一人一人完璧に監視するような世界とかなら生まれた時からチップ埋め込まれてとか
>>22
>再犯とかの心配ならば死刑宣告された人は出さないようしたらいいのではと
つまり死刑の代わりに終身刑にすればいいということですかね。
死刑廃止論ではそう唱える人が多いです。
私は、>>21で「お金がかかるから死刑にする」という主張はしていません。多大な税金をかけてとは書きましたが、私が終身刑に否定的なのは、社会復帰という目標もなく生涯生活の面倒を見ること、これが果たして刑罰として成り立つのかということです。再犯防止のために隔離する意味はあるにしても、罰にならないということです。
お金の話をしているのは、強制労働をさせればいいという意見に対する反論です。
>慎重にしても、科学技術が発展しても可能性をゼロにまでというとそこが難しいんだよね
もちろん完全にゼロにすることはできません。そのことは>>21の前半でも言っています。
ただ死刑判決を受ける場合、裁判で「更正の見込み」についても検討されて、更正の見込みが無いという結論に至ってから死刑判決になる場合が多いです。刑務所にいても更正しないということは、釈放すれば再犯する可能性が高いわけです。必ず再犯するとか予言できないまでも、可能性が高いわけです。
まず、殺人犯以外は死刑にならないので、死刑判決を受けるような被告を釈放すれば、再び殺人事件を起こす危険が非常に大きいわけです。
全く罪のない一般人が再び犠牲になる確率が高いとなれば、その犯人を社会の中に戻すという選択はありません。ですから、選択肢は、死刑か終身刑しかありません。
その中で、終身刑は「隔離」としては有効だけれど、刑罰にならないと。刑務作業はあるにせよ、一生、安泰な暮らしを保障する実質的な「報賞」にさえなりかねないので、私は終身刑に反対なのです。
世の中には、まれに「死にたいから死刑になるためにわざと事件を起こした」という人もいますが、それは本当に稀なケースです。しかし、懲役刑を受け、刑期を終えて釈放された人が、「刑務所に戻りたいからわざとまた犯罪を犯す」というのは珍しくありません。そういう人たちにとって、終身刑は「願ったりかなったり」の刑になります。
社会に戻すことができず、終身刑も無ければ、死刑しかないということです。冤罪の可能性は完全にゼロにはなりませんが、ほぼ犯人で間違いなく、再び殺人する可能性の高い人を、社会の中に解き放った場合のリスク…全く罪のない人が殺されるリスクの高さと比較すれば、可能な限り冤罪の危険を排除したうえでの死刑は、「必要悪の制度」と考えています。
>>23出してしまったら再犯がということから単純に出さなきゃという感じになりますね
刑罰として成り立つ、罰にならないとかな
それに代わることを何か見つけられればいいのではないですかね?
それらを理由に死刑にする必要ということになるのでしょうかね?
選択肢が死刑か終身刑しかなら
終身刑について変えていきどうにかならないかを考えた方がいいのでは?
もし冤罪だとしたときに死刑にしたら
取り返しがつかないことになる
社会に戻すしかも、それも何かしら違う形でとか
終身刑もどうにかすればとか何か代わりのものができるかもしれません
全く罪のない人が殺されるかも
死刑に該当する人を出さないようにすればとそっちの方向に考えていくのはダメですかね?
終身刑は願ったり叶ったりは現行の保証のある暮らしがそうさせるのなら
横暴だろうけどそこをそういう思わせないような厳しい環境にするなりしていけばどうなのでしょうか
と言った風に何か変えていけばそれこそリスクが減らせたり技術的なことで何かできるかもしれない
けれど死刑で冤罪かもしれない人を死なせた場合はその場合は取り返しがつかない
代えが効かないんですね
冤罪発覚したあと生き返らせることができますか?できませんよね
色々再犯とか、罪にたいしてどうするとかは色々改善とか何かできる可能性はあると思う
けど冤罪かもしれないのに死刑にされたら死んでしまったら可能性も何もなくなってしまう
どうこうしても死んだらそれまでです
その、可能性がある時点で死刑は反対ですね
それに、代わることについて詰めていく、考えた方がいいと思います
この手の話では死刑になる人の対応をどうするか的なことを考えていけばいいのではと思うけど
死刑賛成の人は死刑になった冤罪だった人が出た場合
それは仕方の無いことと思うのかな?
他のリスクやコストとかに比べたら仕方ないってことでその人が死んでも仕方ないって思うのかな?
そんなことは滅多にないからもしそうなって死んでしまっても仕方ないよねってことで終わらせるのかな?
死刑にすることなく、有効な刑罰があれば、もちろん死刑を廃止してそちらに変えるべきです。
ただ、>>24-25では死刑の代替になる刑を具体的に提示できていません。
>それに代わることを何か見つけられればいいのではないですかね?
>どうにかならないかを考えた方がいいのでは?
>どうにかすればとか何か代わりのものができるかもしれません
>そっちの方向に考えていくのはダメですかね?
>何か変えていけばそれこそリスクが減らせたり技術的なことで何かできるかもしれない
>色々改善とか何かできる可能性はあると思う
>それに、代わることについて詰めていく、考えた方がいいと思います
このように、何ら解答を示すことができないから、死刑を存続することになるわけです。もちろん、死刑に代わる何らかの制度はないかと考えることは重要です。でも、その解答をみつけるまでは、代替できるものがありません。
>他のリスクやコストとかに比べたら仕方ないってことでその人が死んでも仕方ないって思うのかな?
それでは、その犯人を社会に出した結果、再び犠牲者が出てしまったらその犠牲は仕方がないと思えますか?
思えませんよね。だから社会に出せません。では終身刑でしょうか。
終身刑では問題があると私は言っていますが、それも「どうにかならないかを考えた方がいいのでは」ですよね。もちろん考えます。考えますが、結論が現時点ではありません。
①死刑廃止に向けて、死刑に代わる制度を考えること
②冤罪の確率を、ゼロではなくとも少しでも低下させる努力を続けること
この2つを同時進行させるべきですが、①の解答が得られてこそ廃止が実現します。
最初から言ってるように、「廃止すべきだ」という主張そのものは正論です。ただ、廃止してどうするか、という問題なのです。どうするか具体的な答えがないままでは廃止できません。
解答示さないのはまだそこに触れる前に
冤罪での死刑になる人に対してのことを解決してからかなっとのことと
死刑に代わるものがあれば死刑を廃止してもいいということを詰めてからかなと思う所がある
無責任かもとは思うけど
もし冤罪で死刑にしてしまって殺してでも死刑はあった方がいいのかどうかそこを賛成の人はどう思っているかを聞きたいですね
廃止してどうするかの前に滅多にない冤罪での死刑に目を瞑ってでも
リスク回避のために死刑を続けていいのかを詰めた方がいいんじゃないですかね?
もちろんリスクとかコストで考えた方が賢いかもしれませんが
その滅多にない人のことはないがしろでいいのか
冤罪ゼロに近づけるということで努力するから
死刑を続けてもいいのか
犯人を社会に出してしまって殺されるリスクがあるのならば
出さないようにするような仕組みがあればいいのではと
それを考えるけど
今のところは考え中だから冤罪でも死刑になることもあるかもしれないけど死刑は続けるでいいのでしょうかね?
南雲さん的には具体策出してからやってほしいと思いますが
こんな感じでやってしまってすみませんね
>>20
>司法そのものを否定するわけじゃない
>社会復帰できないとかの話だけど認めているとか、認めていないとかは言及してないよ
>冤罪を防ぎたいために死刑を反対ではなく
>もし冤罪だったとき死刑にされた人がいたら取り返しがつかないって話だよ
>人的ミスを無くすことを考えないとも言ってないしそれはすべきだと思う
もちろん全て承知しております。言葉の筋を辿って深く言及していくと、どうしてもそういう理屈になってしまうという話です。なんだか意地悪な書き方をしてしまって申し訳ないです。決して悪意を持って書き込んでいるわけではないので、そこのところどうかご容赦ください。
>死刑廃止論についてどっちでもいいって感じなのかな?
その通りです。死刑にしろ終身刑にしろ、そのコンセプトは犯罪抑止です。そのコンセプトには私自身大いに賛成しておりますが、死刑はそのコンセプトに最も適したものであるかどうか疑問に思うので、あってもなくても変わらないのではないか、という考えです。
>もし冤罪で死刑にしてしまって殺してでも死刑はあった方がいいのかどうかそこを賛成の人はどう思っているかを聞きたいですね
確かに冤罪によって取り返しがつかないことになってしまっては元も子もありません。そこは否定していませんし、むしろ賛同します。しかし、死刑制度のメリットに比べるとちっぽけなものです。犯罪抑止として極刑に値するかどうか疑問に思うと述べましたが、いずれにせよ抑止力としてはあまりあるものだと思っているので、わざわざ廃止にする必要はないと考えています。多少の犠牲があろうとも、発展のためにはよりベターな方を選ばなければなりません。100人死ぬか1人死ぬかだったら私は迷わず後者を選びます。
ただ、いくら技術が発展しているといっても、リスクが0に限りなく近づいているだけで、0になったわけではないのは否めません。そのために死刑を廃止するだけでなく、それにとって代わる、今までにない、全く新しい、革新的とも言えるような素晴らしい制度があればいいと理想論を唱えることはとても良いことです。しかし、その具体策がないのなら、南雲さんもおっしゃっている通り、机上の空論にすぎません。今すぐにそのアイデアを出せとは言いませんし、それを実現するのはかなり難しいでしょう。しかし、だからといって決して思考停止しないで、これからもひたすらに考え続けてください。
といったところで、この議論はおひらきにしましょう。
>>28
いやこちらもぼかしながら書いている感じになっているから
変な流れな書き方になって迷惑だと思うので
気にしないで楽な気持ちで書いてくださいな
犯罪抑止での死刑ってどうなんだろうね
昔この話したときは色々調べてみたけど
データとかだと微妙だったんだよね
海外の場合とか、アムネスティ?だっけとかのだと、死刑廃止反対のとこの出したやつとかでも違うし
アンケートのとり方でそうさせるような文言入っていたりとか
無いわけではないだろうけど
死刑の話でどうしても冤罪での死刑になるケースが引っかかる
感情論と言えばそうなのかもだし
実際にそんなことあったら取り返しがつかないし
けど理想論的な話でもあるわけで、リスクやコストという効率的な話だとまた違うんだろうと
やり方とか色々話もしたけど
実際やれるのか、現状としてはでどうも冤罪で死刑になる人のことを軽視している感じが多い気もする
綺麗事な気もするけどその冤罪で死刑になる人のことをもっと考えてあげないとって色々賛成、反対どっちもやった上でそう思ったんですよね
俺は「日本の」死刑制度に賛成だよ
しかもただの賛成ではなくて圧倒的賛成
死刑判決を下すための基準を高くするor低くするなどの選択肢はあるけれど、廃止という選択肢は俺の中にない
俺がそう考える理由はいくつもある、山ほどある、書き切れない程ある・・・のだけれど
今回はその中から幾つかをピックアップしていくよ
紹介しきれなかった理由についても、機会があれば後々また書くつもりだよ
------
理由その① :確率的な理由
まずは感情的な部分は切り離して、数字で考えてみる
裁判を通して有罪判決をうけた人のうち冤罪が占める割合はどの程度なのか、というのは皆も気になるだろうけれど
日本は、起訴されたら90%有罪になると言われている国なんだ
日本の警察が優秀なのか雑なのかはさておき、このパーセンテージは物凄く高い
例えばアメリカだと、よくて5割程度なんだよ
そして、2018年現在、日本の人口はおおよそ1億2千万人
「俺」や「あなた」を割合で示すなら、もちろん1/120000000となるわけさ
つまりどういうことかというと・・・
「ある日、ある人物が殺される」という出来事が起こるとして
その殺される人物が俺である確率は言うまでもなく1/1億2千万になる
これはパーセンテージに直すと0.000000008333...%になるんだ
それとは別に、この事件の容疑者として「俺」が起訴される確率も1/1億2千万なのだけれど
起訴されたら90%の確率で有罪になるのだから
俺が冤罪を食らう確率は「0.0000000083×0.9」で0.0000000075%ということになるんだ
俺が殺される確率は0.0000000083%
冤罪にされる確率は0.0000000075%
見て分かるように、冤罪の確率よりも殺される確率のほうが高いんだよ
もちろんこの計算は超大雑把なものだし、俺が都心部に住んでいるのか郊外に住んでいるのかなど状況次第で数字は大きく変わってくるけれど
不確定な要素も全部ひっくるめて「全員が同じ確率で同じ出来事に遭遇する」というベースで考えるならば
とある1人が冤罪で死刑になるリスクよりも、とある1人が殺人されるリスクのほうが高いんだ
だから数字に言わせると「冤罪リスクを回避するために死刑を廃止する」というのは本末転倒だと俺は考える
屁理屈っぽいって?自分でもそう思う(笑)
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理由その② :そもそも法律って何?
語弊を恐れずに言うならば、法律は「こうなったほうが国にとって良い/悪い」という目安にもとづき、人の手によって作られたものだ
本来この世界には国どころか善や悪さえないのだけれど、人は人の手で国という枠を作ったうえで「国にとって」良いか悪いかという物差しも作ったんだよ
そしてその物差しを使って「殺人が起こった?よし、ではこの物差しで測ってみよう・・・なになに悪と出たぞ!」と物事を測っているわけさ
人の手で作られたものである以上、完璧な状態なんて実現し得ない
「国にとって」ならまだしも、「全ての個人にとって」完璧な法律なんて尚更のこと存在しないんだ
そのことは道路交通法という身近な例をひとつとってみても明らかだ
「法定速度60km/h以下で走行しなければならない」というのは「70km/hでもしっかり運転できる人」に配慮していないし
また逆に「60㎞/hで運転するのは少し危険な人」のことも配慮していない
運転技術のキャパシティが時速70kmであれ50kmであれ、そういう個人差を無視して「全員に 平等に 一定量の」規則を課すのが法律なんだ
ならば死刑はどうだ
そう、死刑についても同じであるべきだ
冤罪は確かに残念な出来事ではあるけれど
そういう「個人基準の良し悪し」が「国にとっての良し悪し」に先立つことは、あってはならないんだ
もちろん可能な限り冤罪を回避するための努力というのは必要だ
例えば「国に認められた職務に就く者が現行犯で逮捕した場合」といったような条件の厳格化は必要だろう
そうやって冤罪が起こる可能性を極限まで減らす必要はあるけれど
「死刑制度を廃止する」のは、今現代の日本において「国にとっての善悪の物差し」で測るならば、良い判断ではないだろう
「法に保護されたい」のであれば法律を支持すべきで、その法律とは人の手で作られる不完全なもの
つまり法に保護されたいのであれば「不完全なものを支持する覚悟」が求められるのは当然のことなんだよ
死刑制度に関して言うならば
時と場合によっては自分が冤罪判決を受けるかもしれないという覚悟がそれにあたると俺は考えるよ
では私の発言の「締め」といたしまして、もう一言。
冤罪が起きたらどうするのか…に今回は焦点が当てられてしまいましたが、死刑に反対する専門家の議論では、それと同時に私が>>21で示した二つめの問題点、
・冤罪でなくても、死刑自体が基本的人権の根本的な否定であること
も大きく取り上げられています。
基本的人権とは、すべての人間が例外なく自然的に保有している権利ですが、「他人の基本的人権を奪った(殺した)人間」に基本的人権は無いのか。殺人犯だから殺してもよいという死刑制度は、国家的殺人だ、という主張です。
そして私は、理論的にその考え方も正しいと思っています。
それでも私が死刑制度の存続を主張するのは、論理的には矛盾なのです。しかし、現実問題として廃止した場合にどうするのか、という処方箋が明確でなければ、現存する最高刑を無くすという大改革はできないと思っています。
今ではありませんが、いずれ死刑制度は廃止に向かうべきでしょう。先進国のほとんどが死刑制度を廃止しているので、それらの国々を参考にしながら、日本に合った「死刑に代わる制度」を考えていくべきでしょう。
それでも、社会的影響を熟慮してからでなければ廃止できないと思います。それまでは、冤罪を可能な限りなくしながら、「正しい選択とは言いがたい死刑」を続けざるを得ないと思います。
死刑廃止論は間違っていない。それでも今は廃止できないというところ、この問題は非常に難しいと思います。
死刑に該当する罪の話ではないけど
性的被害による嘘の証言で6年近く身柄拘束された人の話が8日に出た
この事件のようにいくら技術的なものが進んでも
人が人を裁く上で間違いや偏見等で誤った判決を下してしまうこともある
技術的なものがいくら進歩しても取り扱うのは人なのだから完璧なことは難しい
やはり冤罪をなくすことは難しいんだなと
この話を見てそう思った
>>31
1.まず以ってその数値の計算が必要以上に雑
思春期女子が好むような「アナタと出会える確率」と同じで、母体があまりにも不確定すぎる。人間心理がデータだけで管理できない以上は殺される確率は単に全国民分の一とはならないし、冤罪も然り。屁理屈云々以前の話だと思う。
2.冤罪という国を挙げての理不尽な殺人
それを回避するのは個人の利益ではなく国全体の人権の保障を意味するから、「冤罪の回避→個人が国に先立つ」とはならないのでは?
・現行犯のみ死刑
これは現実的じゃない。地下鉄サリンがいい例だよ。その制度だと麻原彰晃は今でも生きてることになるし、事件の本質的な解決というよりただ報復的な要素しか含まないものになるし、組織的な犯罪のリスクも高まるだろうから本末転倒になってしまう。法治国家にいる以上ある程度の制約が必要なのは間違いないのではあるけれど、その制約は最小限でなければならないよ。死をもった制約は悪法も法なりと言って、ナチスと同じ考え方になってはならない。
君の言う通りの覚悟を持たなきゃいけないのであれば、全国民はこのように誓約書を書かなきゃいけなくなるんじゃないの。
「法律に守ってほしいなら私は冤罪で死んでも仕方ないです。何故ならそうすることで治安が守れるのだから」
>>34
計算が雑なのはその通りだと思うけれど
「犯罪が起こった」という事実を前提にするならば、個人ごとの殺されるリスクの差異を均一化することにさして問題は無いはず
>>31では「俺が冤罪を食らう確率」という表現をしてはいるものの、冤罪を食らうのが俺ではない他の誰かであっても
冤罪の確率よりも殺される確率のほうが高いという結論には同じように行きつくからね
で、そこで気を付けなければならないのが
犯罪が起こったという認識がそもそも誤認であるケースだ
現行犯という一例は、犯行の事実性をとりわけ重視すべきだという意味を込めて出したものだけれど
冤罪の可能性が少しでもある(ゼロではない)ということを理由に死刑制度を懐疑的な目で見るのであれば
それこそ麻原彰晃はなぜ死刑になったのだろうか?
麻原彰晃に刑が執行されたのは、彼が冤罪である可能性と今後起こり得る潜在的なリスクを天秤にかけた結果に他ならないと俺は思っている
「冤罪の可能性があるから死刑反対」って言ってる奴はウッカリアクセルとブレーキ踏み間違えて通行人ぶっ殺すかもしれないから車乗るなよ?笑
「かもしれない」を最優先に置いてたら秩序も利便性も無くなる。
俺は死刑制度存続派だな。
理由としては複数あるが、まず一つは「死刑制度」という最高刑があることで、犯罪を抑止できるという佳所が考慮できる。
個々の精神に一寸でも内在しているであろう邪念、言うならば悪事に至ろうとする精神が実際的な行動を実行しようとしないのは、この「死刑制度」が齎す"死への憂懼"がその一因であると俺は考える。
そうであるのならば、死刑制度が齎す"死への憂懼"を淘汰してまで廃止にする佳所はないのではないだろうか。
死刑制度というものには「冤罪」というケースがあることも考慮できるかもしれない。
だが、それと死刑制度の問題は別のベクトルであり、同列で考えるべきではないように俺には思える。
冤罪という捜査上の内容の問題を問うのならば、それは死刑に限らずあらゆる刑罰に於いて成立する。
故に冤罪というものはそもそも死刑制度を廃止したところで根絶するわけでもない。
そもそも日本の裁判では「疑わしきは罰せず」という原理に沿って行われていることも事実。
その上でも判決が下されているのだから、ある程度仕方がない部分は考慮できる。
また死刑制度があることで犯行が再発されにくいというのも存続する所以ではある。
無論、犯人に刑を執行することで再発防止というのもあるが、報道を聞いた第三者が学習して二次的な犯行が行なわれないこともあり得ると俺は考える。
それに少し無慈悲なことを上げるが、終身刑の被告に浪費する税金(食事代や医療費…etc)を削減できる。
死刑執行というピリオドを定めることで、税金の計画も立てやすいし執行されれば負担は消える。
因みに外国で死刑制度がない国の中には銃社会だからそれで治安を維持できる、という側面もある。
以上のことを事由として列挙し、俺は 存続肯定 の立論を掲げる。
>冤罪という捜査上の内容の問題を問うのならば、それは死刑に限らずあらゆる刑罰に於いて成立する
その考え方は間違っています。死んでしまえば刑事補償を受けられず、裁判をやり直すこともできません。そのため、冤罪という前提において、他の刑罰と比べれば死刑というのはより一層あってはならない問題として捉えるべきだと分かります。
俺は賛成だな。
死刑判決という言葉があるだけで凶悪犯罪は少なくなく・・・
あるんだがなぁ・・・
犯人はなぜ死刑になるようなことをするのか?まぁ話が脱線するから伏せておこう。
刑の執行によりこれから「あいつ殺してやる!」という人がニュースをみておびえ、実行を妨げる事ができる筈だ。
>>43でもさあ・・犯人を死刑にしたって
その人がよみがえるわけじゃないし…
これ以上人殺す必要ある?って思うんだけど…
うーんでも、死刑が廃止されたとしたら殺人事件も増えることは目に見えてるし…
自分の家族を殺した奴がいきてるっていうのはどうなんだろう・・・
死刑制度をなくしても犯罪が増えたという統計もあるし、特に変わらないという統計もある
そこら辺の因果関係ははっきりしていないけど死刑制度廃止した場所でそこまで顕著に犯罪が増えたという話もないし
増えたとかいう理由で、死刑制度復活したという話もたしかないはず
増えそうだという思い込みによるところだね
被害者の中には死刑に対しても一貫性はなく
加害者が死んだことによって苦しんでしまうこともあるし
ずっと刑務所にと思う被害者もいたり
そこらへんも何が正しいかははっきりしてはいない
感情論や、犯罪が増えるかもしれないといったはっきりしない話は死刑廃止の話ではしてもキリがない
False conviction
How many people are dead in false charges
There is much worse
>>46 死刑に代わるものについて話し合えばいいのではと思うんだよね
お金の問題もそれを解消することをさせるような考えをしていけばいいかと思うのと
お金の問題で人を殺していいのか
万が一の場合取り返しがつかないけどお金がかかるから殺しても構わないとまでいくのかな?
再犯とかの心配ならば死刑宣告された人は出さないようしたらいいのではと
それこそ技術的なことで管理してしまうとかの方向にいかないのかな
凶悪犯はもう社会復帰させないとかは言い過ぎかもだけど
ある程度のことをした場合の対応を死刑をなくす代わりに設けるとかしたらいいのではないでしょうか
そこらへん具体的な事言ってないから突っ込まれそうだけど
死刑に対しての抑止効果については捕鯨のと同じようにどちら側の言い分の都合によってアンケートとか、データが変わるからそこらへんはよく分からないんだよね
慎重にしても、科学技術が発展しても可能性をゼロにまでというとそこが難しいんだよね
それこそやるなら一人一人完璧に監視するような世界とかなら生まれた時からチップ埋め込まれてとか
賛成。
悪いことしたら、罰せられる。当然。
死刑を廃止するなら、終身刑を作るべき。
(ある意味死刑よりキツい?)
僕に文句をいう悪人は死刑
https://pbs.twimg.com/media/EXltslWVAAAGp8N.jpg
世の中には死んで逃げるだけでは許されない程の重い罪もあります。少し極端な例になりますが「死んだ方がマシだ!!」などの言葉もある通り、場合によっては死刑制度よりも歳をとって老衰死するまでにずっと重い刑を与え続けた方が良い場合もあると思います。ある意味犯人の死は罪から逃げた事にもなる考えも無くはない為。