AIのべりすと実験スレッド

135名無しさん
2023-05-28 16:10:42
ID:3545.BVE

北条政子は1157年に、伊豆(現在の静岡県)で役人をしていた北条時政(ときまさ)の長女として生まれました。

実は、「北条政子」は、彼女の本名ではありません。
当時、女性の名前は公にしないことが常識でした。名前で呼ぶのは両親くらいで、本人が名乗ることも、他人に呼ばれることもなかったのです。政子も例外ではなく、本当の名前は不明です。この小説では、それを「隆子」としています。
1218(建保6)年、政子は朝廷から「従三位(じゅさんみ)」の位を与えられました。このときに記録用の名前が必要となったため、父・北条時政(ときまさ)から一字を取って「政子」に決まったといわれています。
従って、当時すでに亡くなっていた頼朝や時政が、彼女を「政子」と呼ぶことはありえないのです。


政子の父の時政は、京都から伊豆へと島流しにあった源頼朝を見張る仕事をしていました。
政子の弟には、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公になった北条義時(よしとき)がいます。


1177年ごろ、政子は源頼朝と恋愛関係になり、やがて2人は結婚します。
二人は幼馴染で幼少の頃からひかれあっていました。

ところが、当時の頼朝は罪人という立場だったため、父親の時政は政子の結婚に大反対します。
北条氏は平氏の流れをくむ一族だったうえに、頼朝の監視役を命じられていたのですから、時政が反対するのは当然です。

ですが、時政らの反対を押し切って2人は結婚。
他家に嫁がされそうになったところをひそかに抜け出し、頼朝と一緒に逃げたという話も伝わっています。娘の頑なな態度に根負けした時政は、ついに結婚を認めます。

さらに後には引けない時政は頼朝の身内として、ともに平家打倒に立ち上がることになるのです。

弟の義時も頼朝に協力し、ついに頼朝は平家との戦いに勝利します。


政子は頼朝との間に4人の子どもを産んでいます。

長女の大姫が産まれたのは1178年。
長男の頼家が産まれたのは1182年。
次女・三幡は1186年で次男・実朝は1192年でした。
このうち長男の源頼家は鎌倉幕府の2代目の将軍に、次男の実朝は3代目の将軍になります。

ですが、この4人の子供は、すべて政子より先に亡くなっています。
特に長女の大姫は、婚約者である源義高(よしたか)が頼朝に殺されたことで心を病んでしまい、わずか20歳で亡くなっています。
次女の三幡も14歳で亡くなっているのですが、この後すぐに頼朝も死去しています。


これらの史実から考えれば、政子と義経が恋愛関係に陥るなど在り得ないと思われるかもしれません。

しかし、何十回、何百回とループする世界では、少しずつ歴史の内容も変わり、背徳院カルマの小説「暴虐滅殺記」で示された「史純度」という概念を用いなければ理解することができないような、「歴史の純度」が異なる無数の異世界、無数の平行世界が可能になります。

頼朝と政子は幼少の頃からひかれあっていましたが、それがループしているうちに義経に移ることも在り得ないとは言えません。


また、政子が第2子を妊娠中に、源頼朝は「亀の前(かめのまえ)」と呼ばれる女性を、近所の屋敷に住まわせて通っていました。出産後に、その事実を知った政子は嫉妬に怒り狂い、親族に命じて屋敷を襲撃させます。
屋敷は破壊され、亀の前は命からがら逃げ出しました。現代なら、夫の浮気に妻が怒るのは当たり前ですが、当時は男性が複数の妻を持つことは普通だったのです。
にもかかわらず、政子は強烈な手段を用いて亀の前を追い出してしまいました。思いもよらない政子の行動に、頼朝も周囲の人々も驚いたことでしょう。
このタイミングで、復讐のために義経と通じた、などということも在り得るのではないでしょうか。いろんなパラメータを変える必要はありそうですが。

平家を滅ぼした後、頼朝は弟の義経(よしつね)を追討することになります。都にいた義経は、寵愛していた白拍子(しらびょうし)の静御前(しずかごぜん)と別れて逃亡生活に入りました。
白拍子とは、歌や踊りを生業(なりわい)とする女性のことです。まもなく静御前は捕らえられ、鎌倉に連行されます。義経の行方を尋問した頼朝は、何も言わない彼女に業を煮やし、得意の歌舞を披露するよう命じました。
すると静御前は、頼朝に当てつけるかのように、義経を想う言葉を歌にして舞います。怒った頼朝は彼女を処刑しようとしますが、政子に止められました。
政子は静御前の姿に、かつて周囲の反対を押し切って頼朝と一緒になった、自分の姿を重ね合わせたのです。政子には、愛する男性を想う女性の気持ちが痛いほど分かっていたのでしょう。
静御前が解放されて鎌倉を去るときには、生活に困らないように宝石を与えたといわれています。

もし、静御前が存在しない世界で、政子の同情が義経に直接向かったとしたら・・・?


そこには、いろいろな世界が在り得るのではないでしょうか。もし、それが「論理的に」禁じられているのでなければ。


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