言い争うことは喧嘩だって話で、重要なのはその関係性だろ。
"何で"言い争っていたから喧嘩になるの"何で"が"文字で"だろうとなんだろうと言い争っていた時点で喧嘩であることには変わりないんだ。重要なのは喧嘩とは何かであり、そこさえわかっていれば言い争いとの関係性を元に喧嘩に当てはまるという判断はできるのだから、その背景を定めるのはただ、その言葉の範囲を狭めるだけ。
争いに言い争いが内包されることが当たり前だとわかって、「争う事」が喧嘩のひとつの定義だとわかって、「こういう言い争いに「喧嘩」と云う表現を用いるのって相応しいと思う?」なんて台詞が出るんだ。定義の定義から学べ。