よく読んでないからやべーこと言うかもしれんけど、URLの喧嘩、
シュタインの主張は
"観測者としてのアートマン"と言う存在が死ぬだけで、アートマン自体が死ぬわけではない。
ある人間Aが映画を見ているとき、その人間Aは
"映画の観測者としての人間A"足り得る。
そして映画が終わり、観測できなくなると、
"映画の観測者としての人間A"ではなくなる(ただの人間Aになる)。
この時、死んでいるといえるのは、
"映画の観測者としての人間A"と言う存在であって、"人間A"が死んでいるわけではない。
というもので、きいろちゃんの主張は
不死(死ぬことがない)と言っているにもかかわらず、「映画の観測者としての人間A」が死ぬということ自体が矛盾的だ。
不死であるならば、どのような時も死なない存在であるべきであり、映画を観測し、それが終了する時にも死を受け取るという状態があってはならない。
みたいなものだと思うんだけど、
これってシュタインが"人間A"と、"何かをしている人間A"をそれぞれ別々のものとして捉えているって話じゃないの?
人間Aでありながら、"映画を観測している人間A"になることは可能だが、"映画を観測している人間A"が死ぬということは、人間Aの死としてカウントされず、それはあくまで"映画を観測している人間A"というまったく別のものの死とされる。
というような感じ。