1: 霧雨◆P6E20zqG7c
2020-07-29 08:45:37
ID:GSsOJF0E
俺実は、ちんこが異常にデカすぎてさ…
四つん這いになろうとするといつもちんこが地面にくっついて“五つん這い”みたいになっちゃうんだよね…
喧嘩は負けてももちんこは負けませんよ。ははは
273: 霧雨◆MistDNAtX.
2017-05-03 05:21:59
ID:t2ZbxQLU
そんでとりあえず、晒しの楽園にいた「宇宙」っていうデブのヤクザみたいな男が、俺と水月を1週間くらい家に泊めてくれた。見た目の割にお人好しだったな。性格やばかったけど。
んで、そろそろ出てけって言われたから出ていって、水月連れて水戸まで来ちまった。そんでとうとうやばくなってきたから、親に話して児童相談所に行って、なんやかんやで水月が家に運ばれておしまい
吹雪「哲学系か法律系読もうかなー」
https://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=thread&no=14975
1: あ
2020-09-21 21:00:42
ID:82oy9ELY
19: 夏樹◆sCeRnLS8SA
2020-06-26 13:44:13
ID:YGqL9IH6(sage)
日曜日は図書館に行って小説か哲学系か法律系読もうかなー
3: あ
2020-09-21 21:02:45
ID:82oy9ELY
結局何読んだんですか?
4: 吹雪◆z.tgnmbxG6
2020-09-21 21:03:29
ID:xjU8q3H6(sage)
小説
5: あ
2020-09-21 21:04:22
ID:82oy9ELY
何てやつ?
あと好きな哲学者誰?
7: 吹雪◆z.tgnmbxG6
2020-09-21 21:08:59
ID:xjU8q3H6(sage)
任侠系
好きな哲学者はいないかなー どちらかというと題名で見る派だから。
21: マスー君◆32omrENSVA
2020-09-21 21:33:18
ID:qlFJqUAM
令和のルソーとは俺のことだ
24: 亀頭ひろき
2020-09-22 00:28:18
ID:A9ojtNhQ
【キャス避喧嘩師の思想的傾向性】
メルトダウン……東浩紀
夏樹(吹雪)……アルフレッド・アドラー
マスー君……吉行エイスケ
無政府主義おねえ♂(梨乃)……奥崎謙三
天使……平野啓一郎
霧雨……汎性欲主義(ジークムント・フロイト)
サビぬき。……カール・グスタフ・ユング
26: ハッシー
2020-09-23 00:41:37
ID:fkJ66ddA(sage)
吹雪、女体化、犯す。
くぅ~疲れましたw これにて完結です!
堂本さんは全板での発言をチェックすることができましたが、
吹雪さんは発言量が膨大すぎて、喧嘩板での発言のみとなります。
実は、ネタレスしたら代行の話を持ちかけられたのが始まりでした
それから早10年!皆様の応援のコメントも含めて10万レスに渡りました!
本当にありがとうございます!!
本当は話のネタなかったのですが←
ご厚意を無駄にするわけには行かないので、ラノベから哲学書まで千冊以上読み漁り
テレビ・ネットすべての流行りのありとあらゆるネタで挑んでみた所存ですw
また私事でございますが、娘も保育園を卒業して春からランドセルです!
連載中に結婚した妻も喜んでいます!来月から部長に昇進です!
以下、堂本さん達のみんなへのメッセジをどぞ
堂本香織「みなさまご機嫌いかがかしら?
いくらキャス避小説でもサイボーグとして戦うハメになるとは私も思いもよりませんでしたわ。
さらに物語の発端が未来世界の霧雨さんが私と吹雪の遺伝子を混ぜ合わせて新人類を創造していたとは驚きでしたわ!」
吹雪「・・・ありがと」ファサ
吹雪Ⅱ「・・・ありがと」ファサ
吹雪V7super「どもーっwwwwwアリガトッす!!」バサバサバサ
ケンシロウ「みんな、俺達の戦いを最後まで見届けてくれて礼を言いたい。
少々悪党どもを懲らしめ過ぎたが・・・まぁ下衆に墓標はいらんからな!」
レイ「フッ…まぁありがとうでも言っておくか。
南斗神拳の極意、十分に堪能してくれたか?」
ジャギ「ウァハハハ!俺の名前を言ってくれたのは嬉しいが…ケンシロウがいるのはやはり気に食わねぇ!!」
ラオウ「俺の拳が天を衝く様!神にも届いたであろう!
俺がこの世を全て手に入れる!それまでは引かぬ!媚びぬ!退かぬぞ!」
トキ「・・・ありがたい・・・うっ!」ゴホゴホ
では、
堂本香織、吹雪、吹雪Ⅱ、吹雪V7super、ケンシロウ、レイ、ジャギ、ラオウ、トキ、俺「皆さんありがとうございました!」
終
堂本香織、吹雪、吹雪Ⅱ、吹雪V7super、ケンシロウ、レイ、ジャギ、ラオウ、トキ「って、なんで俺くんが!?…まぁ最後ぐらいいいか。
改めまして、ありがとうございました!」
これどんな超大作書き上げた後の深夜テンションでやっちまったかと思ったら
10レス程度の短編SSだったらしいぞ元スレ
そうなるとスレ主もスベリ芸見越した完全ネタ目的でお人形遊びやっただろうし
馬鹿にしてる方が実はまんまと踊らされてる
ここへきて、なんとなくメモ帳代わりに更新していたこのスレッドの性格が明らかになってきた。
要するに、私は「小説を書くためのブレインストーミング」のようなものをやっていたようだ。
「ブレインストーミング」とは集団でアイデアを自由に生み出すことで、思考発想、問題解決などのため、仕事、教育シーンに愛用される手法の一つです。
しかし、正規のブレインストーミングが何か会場みたいなところで紙とかホワイトボードを使ってたくさんの人を動員して行うのに対して、
このスレッドでは、ほとんど私のメモ書きのようなもの、それにチョロっとコメントがつくという感じだ。
それでいいのです。わざわざsageているのは、目についてスレッドに脊髄反射で書き込んでしまうような人間のコメントをできるだけ排除するためである(もちろん排除できなくても構わない)。
sageをフィルターとして使うというのは、掲示板ではありふれた手法だが、それを「メモ書きとブレインストーミングの関係性をコントロールする方法」として使用しているところが
このスレッドの眼目である。
ただのメモ書きならば、わざわざネット上に書く必要はない。実際、私の部屋の作業棚にはこの小説(『大論界Ⅱ』)のための夥しいメモ書きがあるが、
このスレッドに記されているものとは全く違う。
どうやら、一人でもくもくとメモ書きをしながら考えていることと、
ネット上で少ない読者を想定して(実際にはゼロでもいいのである。私が読者を意識できれば)書き込みながら考えていることは違うようだ。
同じ人間の脳味噌の中で起こっている思考であるにもかかわらず、である。
問題は今後、その二つをどのように統合、ないしはリミックスしていくか、ということである。
また、スレッドベースの思考においては、実際の反応も大変刺激になる。
堂本香織本人による「難しい」というコメントは大変参考になった。
「へえ~難しいんだ」という反応が自分から出てきて、それも面白かった。
また、それに対して自分が「ショック。俺かわいそう」と言っているのも新鮮である。
「へえ~ショックなんだ」と思って、またそれに「へえ~」とか感心することが面白い。
昔の日本人は、何かに対して直接「面白い」と思って笑うのではなく、
何かに対して笑っている自分に気付いて後から「面白い」と思った、というような話を聞いたことがあるが、
今、このスレッドを使ってブレインストーミング的メモ書きをやっている自分の意識はまさにそのような形態をとりつつある。
紙のメモ帳を使った「現実」でのメモ書きは、それ自体がフィルターの役割を果たす。
「書き写すという行為は、十分な強さのないものを評価しない:書き写すだけの筋力が湧いてこないのだ、筋肉というのはそうするだけの価値があるかどうかを自問させるものである」(ロラン・バルト『小説の準備』)
これに対して、ネット上の文献や資料のコピペにはどんな筋力も必要ではなく、それ故、「強さ」をもたない材料がどんどん入ってくることをあらかじめ想定して行うのでなければならない。このスレッドに集まってくる情報は、もちろんある種の選別とある種の評価を経て集まってきているのであるが、それはあくまで眼と脳による選別と評価であって(コピペしなかったら“損”だから、とりあえずコピペしておこう)、筋肉によって選別・評価されたものではないのである(わざわざ鉛筆を持ち上げてノートに書き付けるに値するかどうか)。
「というのも、時間と存在の釣合いが、感覚活動(サンサシオン)および観念の数の多さと強烈さによって、すっかり混乱させられているからだ。一時間のあいだに何人もの人間の生を生きる、とでも言おうか。その時あなたは、書かれる代わりに生きているような一篇の幻想小説に似たものでありはすまいか?」(ボードレール「人工天国」)
メモ書きについて詳細に語っている『小説の準備』という本からのメモ書き(抜粋)自体が、紙ベースのメモ帳とスレッドベースのメモ帳(このスレッド)では全く違う抜粋を行っており、抜粋によって構成する論も全く違うというのは、実に面白いことである。
そもそも紙ベースのメモを行っている時には、「メモ書き」ということ自体が全くどうでもいいことであった。それがこのスレッドではえんえんと「メモ書き」について抜粋的メモを作成している。おいおい、“私”はいったいどうしちまったんだい?
「手帳の概念の意味するところはただ、重要なのは必ずしも目ではなく、ペンなのだということである。ここにひとつの『哲学的』問題がそっくり見られる:人間主体はただ『話す』ものとして、言葉を話せるものとして定義される:ということはつまり、それは話すことしかできないということ、いつも話してばかりいるということだ;生きること、それは話すことである(外的にであれ、内的にであれ)。」(『小説の準備』)
というわけで、文字喧嘩は、たとえそれが音声ではなく「文字」でなされているとしても、人間主体が行う「話すこと」に属する。
一方、メモ書き、およびその極限としての「小説」は、人間主体の“外”で、自分自身の「生」を生きはじめる。
だから、「私」が「書くこと」に逃げ込むのは不可能であるが、それに参与することはできる。
ちょうど、自分の子供を育てることが「自分の拡張」ではありえず、ただ遺伝子か法か人情かによってつながった何者かに対して参与できるだけのことであるのと同じように。
「小説9割とれて嬉しかった
評論で点数とれるよりも人間として認められてる感じして嬉しい」(マスー君◆32omrENSVA)
仏教のようなこころの学問を収めると芸術やビジネスで大成功してる人が多い
しかしその意識で得たトリックやロジックは、無意識で暴走を始める
その暴走は遺伝子の情報に基づき、高度な人間ほどより無意識で暴走を始め、自我を書き換えていく
どうなるかは遺伝子次第で死んだ人も多い
オマージュ→憧憬を前提にお手本にすること
パロディ→まねて笑いのネタにすること
パクリ→まねて手柄を横取りすること