シュタインvsカジティブ

18シュタイン◆.p5v7MoS/s
2022-05-17 01:58:20
ID:TZ8dD2Z2

> もし『論理的な指摘のダメージ』の定義がそういった物も該当する物を指してるのであれば、お前の言ってる『真面目さ』の定義と組み合わせたら、『真面目さ』がない状態で『論理的な指摘のダメージ』が生まれる可能性がある事になるから、これは大半から除外されてるて事?

 これも俺が指す「真面目さが含まれる状態」への誤解で起こった解釈だ。
先述したとおり、カジティブは本人の意図をどう解釈するかのみが、真面目さの含有に影響すると誤解している。
引用部分でカジティブが論証したのは「リキが真面目な意図を含めていないことと論理的なダメージが両立すること」に限る話だ。
そこには環境要因や、客体の価値観などが全く考察されていない。

 仮に俺が論理的なダメージを与えたとしよう。
そうすると、論争では大抵「論理的なダメージが通じる脈絡」と認識していることになる。
それが必然的に相手の発言を「真偽に関係するもの=真面目なもの」と示す。

この論理を果たして崩せるだろうか。

 それにしても、やはりカジティブは全体を通して誤解をしている。
 俺が不自然だと指摘しているのは、あくまで意図も踏まえた上で「真偽無効と"認定"すること」である。
決して真偽無効の意図を含意することを不自然としているわけではない。
解釈とは何も真意を汲み取ることのみを指すのではない。
発言の性質を解き明かすことも指すのだ。
今回で言うのならば、リキの批判に「真偽に関係する」という性質が含まれていると理解することである。
実際その性質があったにもかからず、リキは「真偽が関係しない」と主張した。
だから真偽が関係しないとするのは不自然な解釈だと反論しているのだ。
これが俺の指摘する不自然性である。

 また、勘違いしないで欲しいが、俺は「真面目さ」に真意が全く関わらないと言っているわけではない。
確かに真面目なつもりではなかったと開示することで和らぎは得るだろう。
例えば、ドッキリのネタバラシがそれに該当する。
ドッキリであると判明すれば、大抵の人は安心するだろう。
けれど、仮にドッキリ中に仕掛けられた人が泣き始めたらどうだろうか。
あるいはドッキリ中に骨折したらどうだろうか。
ドッキリだと済ませられるほどふざけたものとして考える人は少数だ。

今回も同じだ。
本人は真面目さを意図したわけではないのかもしれない。
しかし周りは、批判が真面目さを含む、つまり論理的な真偽に関係すると解釈するのではないだろうか。
俺はそういったメタ的な視点で物事を批判している。

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