ひまつぶし

301ナチュラル◆G/VJPxflaA
2022-08-25 06:06:16
ID:Oio4OWg2

広辞苑や明鏡は、概念の内容を明確に限定して他の概念と区別できるようにしなければならないというスタンスを取っている。
このスタンスに則るのであれば、循環参照に陥っているものを、他の概念と区別できるほどの明確さがあると言えるのかどうかは議論の余地があるかもしれない。

個人的には明確であるかどうかの基準をどのように設定するかどうかで答えは決まると思っているのだけど、どこに設定するのが最も妥当なのか、それを測り定めるのに相応しい規格となるようなものの存在を俺は知らない。故に俺のスペックでは絶対的な正解を見出すことは、現時点では未達成。
1つ疑問なのが、それが定義であるかどうかは別として、ある言葉を説明するのに別の言葉を複数利用しているわけで、その複数の言葉を説明するのにも、また別の言葉を必要とするわけだ。つまりどんな言葉もいずれは循環するようにできているのではないか?ということ。
どのように循環しているのか、その複雑さ等は言葉によって違いはあれど、循環しない言葉なんてこの世にあるのかどうか、俺如きには分からない。もしそんなものがないという結論に至ることができたのなら、循環しないものに限って定義と呼ぶ場合、そんなものが存在し得るのかさえも理解する能力が俺にはない。

そこで、新明解の記述を引用してみる。ある物事について、それを表す用語の意味や適用される範囲を、これだけの条件を満たすものだと定めること。とある。
なるほど、このスタンスに則って、単にその言葉を用いて表現できるようにするための条件を言うだけなら、前述の数々の疑問を解決どころか無視しても問題はなさそうだ。

更に、ブリタニカからの引用でも俺はフリーズせずに済むということが判明した。
言葉や物、事象をほかの言葉、物、事象で規定し、説明すること。だそうだ。
要するに定義したい言葉を、その言葉自身を使わないという制約プレイができれば定義と呼べると。とりあえず俺はそう解釈したが、これもこれで前述の疑問を抱えずに思考停止したままでも気軽に「定義」という言葉を使えそうで安心した。

というわけで、俺は広辞苑と明鏡の説明は読まなかったことにするぜ!

名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: