ここの喧嘩やピグの喧嘩はきっかけが言葉の辞書的な意味だったりすることが多いし
所謂相手の粗探しだったりすることが多い屁理屈で喧嘩が起きることが多い場
ガワが重視されてる場ってことな
そんなヌクモリティにあふれたゆとり感あふれた場で内側、を持ち出されるといいわけが自由にできてしまう
そして自由にいいわけができるということは相手の意見を殺せない弱い人間から見ると無限にらせん階段が続いてるような恐怖すら感じるものに感じるんだろう
で、頭が悪いからそれを「粘着」とか不毛な状態だと思い込み非優秀性と結びつける、と
小さくてショボい喧嘩会場で話がぜんぜん派生せずコンパクトに話をまとめられてるのは見てる人間(審判等)にとって
考える幅が少なくて済む便利な状態だし
辞書喧嘩的な、俺が上で書いてる小さい攻め方をする人間にとって大きい攻め方に容易に呑み込まれる、そして小さい喧嘩を好んでた奴は大きいものに免疫がないんだろう
そういう馬鹿と馬鹿のうまい組み合わせでこの低質な場が成り立ってるんじゃないかと予想
そしてその馬鹿と馬鹿に非常に欠けた喧嘩に最も重要なものがあるんだよね
それは「相手を殺し黙り込ませるセンス」
ゆとり対ゆとりの喧嘩で、馬鹿故に黙り込むようなケースを言ってるんじゃねーぞ?
最後に
見られる馬鹿(参加者)と見る馬鹿(ジャッジ、評価人)の相乗効果でこの場では
強弱関係の意識がゆとり感にあふれた人間にとって都合がいいものとして完成してしまってるんじゃね
と思うがなんか反論ある?