弱虫水上の実況タイムですよ

110天使◆w13SR5tpU.
2017-11-12 11:01:15
ID:cMzuYh7Q

>>95
あらあら。一文一文を掻い摘んで返答するというお得意の手法ですか。
文章能力乏しい君には確かにうってつけの手法ではありますが、議論に紛擾をもたらすようなことはしないでくださいね。

では反論に移って行きたいと思います。
まず「小説を指して膨大な書籍としても間違いはないですね」ということをおっしゃっていますが、それは間違いです。
あなたが>83で示してくれた校正文とやらは、私が>60で書いたものを校正したものです。
そして>60はというと、>24での「知識はいかにして身につけたのか?」という名無しさんからの質問に対する返答です。
つまり、知識をどうやって身につけたのかという問いかけに対し”多大な読書を通じて涵養してきた”ということを私は言っているわけであり、
知識を身につける本というのは小説ではなく、学術書や研究論文を想定しています。
私が小説ではなく学術書等を指して>60の文を書いているにも関わらず、あなたの勝手な解釈や都合によって”小説を指している”としてしまえば事実の捏造になります。
あくまで>83は私の文を校正しているのですから、その校正によって本来持ちあわせている意味内容や事実を書き換えていいわけがありません。
校正とは不備を正すことであって意味内容を変更することではありません。変更してしまえばそれはもはや校正ではなく書き手の意思を無視した作り変えとしか言えません。

次に>83で述べられた”小学生時代は一文が長く読みづらい”という件についての記述です。
>95においてそれらに関する記述が見当たりますがはっきりいって意味不明です。なにが言いたいのでしょうか。
私は”小学生時代の一文は長い”ということについて経験則をもって懐疑的であることを述べ、議論を進めるためにもそれを明らかにする根拠の提示を求めています。
あなたは”小学生時代は文章が長く読みづらい”ということを前提に据え、同じように天使の文も長いわけだから文章能力が低いということを言いたいんでしょ?
でも私はその前提に懐疑的なんですよ。その自分の主張を通したければ、前提部分が事実であることを示すほか無いでしょう。
そうしないと議論はいつまでたってもスタートしませんよ。がんばってください。

最後に”読書の数量化"についてです。
「数量化が出来るというのは数量化をまだしていないという意味ですね」というのはどういう論理を経て導出された結論なのでしょうか。
まあこれについては全く答えを期待しませんけど。
なぜならここでの要点は「多大な読書」という表現が妥当か不当かということだからです。
そして私は君が提示した「多大」という言葉の語義に従い、次のように妥当性を主張しました。

・読書というのは量で計れる行為、即ち数量化が可能な行為である。
・そして「多大」とは数量や程度の大きさを示す言葉である。
・従って、読書という数量化が可能な行為を数量の大きさを示す多大という言葉で表現することは極めて妥当である。

この主張に対して、「数量化はまだされていない〜・。・」なんていう的を大きく外した返答ではそもそも反論として成立しません。
「されているかされていないか」、ではなく「できるのかできないのか」が重要であり、できるのであれば多大という言葉を以てして表現することに何の不備もありません。


おまけ。
「③には反論しないのですか?」と言われていますが、一体なにに反論しろというのです。
③とは>83ででてきてるものだと理解していますが、そこに書かれているのは「涵養」という言葉の語義と「いつ育ててきたのか?」という意味不明な質問があるのみです。
なんら反論すべき箇所が無いように思うのですが一体どこにどのような反論をすればいいのでしょうか。

はあよわ。


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