最近消えたコテハン

569hydrogen
2017-12-12 19:20:54
ID:vm0L.2Qs

>>525(ぼうず)
普遍的事実とは、証明されたものである。
証明された時点で普遍的になるので、普遍的事実以外かつ、ないもの、の証明は不可能である。

普遍的事実の定義:証明されたもの。
証明された(P)ならば(→)普遍的事実である(Q)
>>528>>529(俺)
証明された時点で普遍的になるのであれば、証明されてない地点から証明された瞬間の地点にかけて、普遍的ではないゾーンが存在するので、普遍的な事実かつ、ないことを証明することはできる。証明することによって普遍的になるだけだ。

ここからシリーズは後付け編へ

>>532(ぼうず)
はぁ?酷すぎwww普遍的事実だから証明できるんだけどぉ??wwww

そもそも証明された時点で普遍的に"なる"はず、つまり、それ以前は普遍的ではないはずなのに、なぜかいきなり最初から普遍的事実であるという主張にすり替わっている。

「証明された→普遍的になった→普遍的事実以外のものを証明するのは不可能だ」

という論理構造だった主張の整合性を合わせようとした結果、いつしか、「普遍的事実→証明できる→普遍的事実」という循環論法に陥ってしまったのだ。

この時点で既に詰んでいるのだが、他の観点からも反論をしてみよう。

ぼうずの主張は、証明される=普遍的事実=誰にも否定できないもの(>>535)

という見るからに支離滅裂な図式が存在していなければ成立不可能である。が、この図式は見た目通りとても脆く、少し刺激を加えるだけでバラバラと瓦解する。
誰にも否定できないものの例として、よく世界五分前仮説が挙げられる。これは、「世界が五分前に作り上げられていて、五分以上前の記憶はすべて作られた偽物の記憶である。」というものだが、こんなものは証明などされているはずもなく、そうするとぼうずの定義に則って普遍的事実とはいえない。
「誰もが否定できない」かつ、「普遍的事実ではない」または、「証明されていない」ということは両立可能なのである。

>>538に於いて、自分の定義のおかしさに直感的にでも気づき始めたのか、表現を引用しただけと言い、言及を止めたところは面白いが、もっと面白いのは>>525にて持ち出したP→Qの構図を否定しているところである。
そして同じく>>538で、「もしそんな理屈通るなら1+1=3じゃないことも普遍的事実じゃなくなるだろがw」と述べているが、まさしくそれはぼうずくんが発言していること。言質をまとめているので、自家撞着から逃れられなくなってしまう。ここでの立ち回りは、立ち回りだけが全ての喧嘩師、ぼうずくんにとってかなり苦しかったと見える。

>>549
「地動説を当時は誰もが否定できなかった」これはまさしくお前曰く普遍的事実、の定義に合致するのであり、思われていただけで普遍的事実ではなかったという言い訳は通用しないだろう。

また新たな定義が出てきた

「地動説が誰もが否定できないものとして証明されてたらな」

誰もが否定できないものとして証明されていることではなく、誰もが否定できないものは普遍的事実であり、証明されているものは普遍的事実だ、という定義をお前は持っていなければ破綻する箇所が出てくる(>>522を受けた上での>>525のレスと>>535のレス)。

一体、矛盾しまくりの定義をあとどれだけ適用させれば気がすむのだろうか。お前がやっている行動は姑息、一時凌ぎそのものであり、大局的にみると、より劣位に立たされるものばかりである。

そもそもここら辺で、証明も否定も正しい証明と否定に限定するというような話が出ていたが、正しい証明には正しい否定などできないため、「誰もが否定できない〜」という定義は持ち出す必要がなかったのではないだろうか(笑)

小話を一つしよう。常識、論理、知識、などは、時代、人間、場所などによって左右されるものだ。
今我々が正しいと思っている、フェルマーの最終定理(数学の性質上証明されてしまうと否定されにくいが、あくまで一例として)でさえも、数学の誤りなどが時代や人間たちの変遷・進化に起因して見つかり、最終的には間違っていたことが証明されるかもしれない。
詰まる所定説なんて簡単に覆るわけだ。物理、数学……学問体系は仮定で成り立っていることが多い。その特性上、定説として証明され、誰も否定できなかったことが不意に否定され、間違っていたと証明されることも多い。
高校生のくせに、中学生でも意味がわかる内容のフェルマーの最終定理の内容が理解できなかったお前に、もっと身近な例を出してやろう。

運動によって蓄積される乳酸、これは長い間疲労物質として知られ、誰にも否定されなかった。
これが否定されるまではこれが正しい説だと考えられていたし、お前のように「この普遍的事実を覆されることはない」とすら考えられていたわけだ。だが、時代は進み、人は進化し、覆された。

今のお前と同じではないか。

「現在正しいと言われているから、現在覆しようがないから、だから、これは普遍的事実なんだ!」

お前はこのように考えているわけだな。こんな体たらくな思考は人類にとっての停滞を齎す。疑うことを知れ。正しいとされているものを全てそのまま飲み込むことをするな。

普遍的事実:正しいこと

この定義が醜いお前の最終形態か。繰り返しにはなるが、正しさなんていうものは時代や人、場所によって変わる。
地動説をお前は実際に正しくなかったから普遍的事実ではない、そう宣った。そのときは、正しいと盲信され、「これは普遍的事実である」と考えられていたのにである。では今はどうか。お前や世界は普遍的事実だと思っているかも知れない、未来に否定される可能性を孕んでいるのにも関わらず、だ。

つまり、この定義に則ったとき、真の答えはわからない、であり、あれは普遍的事実だ!とか、これは普遍的事実ではない!と決めつけるのはバカの所業。

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