【悲報】hydrogen、ナチュラル9ごときに蹴散らされる

63hydrogen
2018-01-24 19:07:01
ID:hDiA8HTk

>>59
>”守れないようなことを守れなくてきれる”と”守れないようなことを守れなくて批判する”は全くの別物であるので、
>り が守れないようなことをされてきれた例 というのは不適切ですね。長い文章書いてもらったところ悪いけどやり直し

じゃあなんで、

>例えば友達とファミレスで飯食ってたら友達がいきなりブチギレました。

っていう状況設定作ったんだよこのゴミ(笑)ブチギレられて結局は批判されてるわけだから、「ブチギレることと、批判されることは違うので、キレている例は不適切ですね」って主張は、正鵠を射ていないにも程があるだろ(笑)

俺が作った設定も、お前が作った設定も、「ブチギレて、かつ、批判をしている」っていうものなのに、なんでお前は、この「ブチギレ」という部分にのみに着目して、「は?今回は批判のことだから別の話なんだけど?」なんていう的外れな反論かましちゃってるの??同じ理屈でお前の例示も否定されてしまうけど………

>守れないようなことを守れないのは批判対象になりえないんだからって。

クソガキがトートロジー的に言い訳してるみたいで草。いくら相手が、俺の批判するポイントを知らなかったとしても、相手の行動を俺が相手を批判したならば、それは批判であることに変わりない。

映画監督りおしが、自信満々に新作映画を発表しました。題は「天使なら私のベッドで寝ていますが?」です。りおし自身は、非の打ち所がない完璧な傑作だと思っていましたが、映画批評家達には各方面から批判されました。りおしとは異なる観点を持っていたためでしょう。でも、りおしはこの映画批評家達の観点なぞ知る由もないので、これは批判に当たらない!と言い張りました。

お前が言ってるのこういうことだぞ…?w

喧嘩の例でもいい。自分が自分の観点で、いかに完璧な主張をしたと思っていても、考えてもみないところから批判されることなんてのはよくある話。自分が想定しているか、ないし、想定しうるかは相手の発言が批判であるかどうかに関係しない。

>”キレる”と”批判する”の違いも説明が必要ですか?

一応しておいて。

>急にそんなルールを持ち出してきて過失扱いをするのは、"共通認識でないことを、共通認識かのように扱うこと"に該当すると思うよ。つまりブーメランといえよう。
>は正しかった

どんな飛躍だよ(笑)

お前のルールの元ではそれがブーランになったとして、俺の中には「ブーメランではない」という認識はあるわけだ。つまり、認識に相違があるのだから、そこで相手の意見を否定するのは問題ない。
それに、俺は第三者目線のお前の観点は持ち合わせていないため、お前が今やっている指摘を俺は想定していなかった。わからないなら、お前の指摘や批判意見を俺が守れないのは致し方ないわけである。
ということは、お前の理屈でいくならば、俺には過失はないことになってしまう(笑)一体なにを責(攻)めようとしているのか。
(そもそも第三者が持ち出した新たな基準を用いて、当事者に当てはめる行為をブーメランと呼んでいいのかは、甚だ疑義が残るところではあるが…)

しかも、「これでも共感できないのなら〜」って前提を置いてんのに、何を「最初から逆らってくるなよ馬鹿^^」とかイキリ立ってんのかもわかんないし(笑)主張して初めて共感を得ていないことがわかったんだけど?焦んなって。

というか、流れを一旦思い出して見てほしい(笑)お前は俺のこれでも〜おしまい。のレスを持ち出して、「結局>>27が正しかったので、最初から逆らってくるなよ馬鹿」という結果論を重きに置く立場を取っているわけだが、>>27以前に>>24で俺は、『俺は「共通認識でないものを共通認識であるかのように取り扱っているのを叩いている」だけで、「共通認識でないものを発言したことを批判しているわけではない」の。だから、ブーメランなんかじゃない』と、こう述べている。

言いたいことはわかるか?

>これでも共感できないのなら、それはそれで、「どういうものを、共通認識かのように振る舞う行為だと捉えるのか」というルールが、お前の言う通りに千差万別であり、「俺とお前の価値観やルールが違っていただけ」という展開になっておしまい。

上記の俺のレスが採用されるのならば、>>24の時点で俺は正しいことを言っていることになり、その正しい意見に>>27で逆らってきたド馬鹿はお前だったという構図が出来上がってしまうわけだ。

>厳密に言えば共通認識があるかなんて他人がわかることじゃないんだから↑が正しいって今なら理解できるよね。

まず、個人の認識できる意思は主観のみ。では、それなのになぜ共通認識という言葉が存在するのか、なぜ議論を煮詰める上で共通認識という考えがよく採用されるのか、そこら辺の背景を考えてみろ。

喧嘩や討論、はたまた日常会話に於いても、相手が簡単に言い逃れできないようにするため、また円滑に話を進めるため、等々の目的を満たすために、本人以外にわかるはずもない真意や心内などは無視して、そいつが言明した立場、主張、意見…これらを以って相手の認識と"みなす"ことはままあることだ。

つまり、「共通認識である」と「みなせる」ならば、「共通認識を取れた」といえる。逆も然り。

真意は○○だ。
本当の意見は××だ!
いや、実は△△だった。

それは、喧嘩に於いてこういう言い逃げ避けるためだ。

だからこそ、共通認識であると「みなせるかどうか」の部分が大事で、これを測るために蓋然性や妥当性というものが使われるわけであるが、それらの測り方は、お前述べてくれたように、個々人のルールによる。これはつまり、「ただ、俺が、俺のルールによって、共通認識ではないとみなしただけのもの」に指摘してきた馬鹿が、やはりお前だったということを意味しているわけだ。最初から逆らうなよ馬鹿^^

てか、お前が「厳密には共通認識なんてわからない。共通認識を取ることは実質的にできない。」という立場を一貫するのなら、「なちゅらるがハイドロの認識を分かっている上で、その認識通りに話を進めたのではないか?」みたいな都合いい主張やめろよ(笑)

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