初めまして、タイラクと申します。YouTubeのコメント欄で喧嘩をしていました。先日友人に誘われてキャスフィ喧嘩板に来た次第です。喧嘩歴は一年といったところでしょうか。是非、キャスフィの皆さんの実力を田舎者の私に見せてください。
いいですよ喧嘩しましょう
というかコメント欄喧嘩ってどんなんですか?
私がぱっと思い浮かべたのは、好きだー嫌いだーのような低レベルな応酬なんですけど、もしかしてそういうことをしていたわけではないですよね?
>>1
初めまして、デルタと申します。同じくYouTubeのコメント欄で喧嘩をしていました。一週間程前に論争できる掲示板を調べて見た所ここがヒットして書き込んだ次第で御座います。喧嘩歴は6ヶ月と言ったところでしょうか。是非、タイラクさんの実力、新参者の私に見せて下さい。^ ^
>>1
初めまして、岡野昌と申します。youtuberをしておりました。先日、youtubeでおちんちんを晒しておりましたところ、リスナーの方からちんぽに造詣の深い男がいると紹介されここにやってきた次第です。喧嘩歴は8年のベテランといったところでしょうか。是非、そのテク、私に試してみてください。
岡野の負け。ウケるとでも思った?夢見てんじゃねえよカス
592: りD4C(Dirty defeats done dirt cheap)◆LBD4CrY...
2019-02-14 17:42:40
ID:197Qm9gM
>589
お前を喜ばせるために書きこんだわけじゃないんだけど?自分が中心だと勘違いしちゃてんの?しんだら?
>>5
私はyoutubeにおちんちんの動画をあげたと言っただけで女性と経験があるとは言ってませんよ
よって童貞の反感を買う覚えはないためあなたがわたしにイライラをぶつけるのは不当な八つ当たりですはいろんぱ
>7
せめてコミュ障治してから掲示板デビューしてくださいね?
>>2
まず何故好きだ嫌いだという価値観の衝突により生じる論争が低レベルなのかというのをお聞かせ願えますか?
>>4
ジュポジュポぼぼばばパボっっっジュルルるるるるピッジュルルる!!!ビチチッビチチッっび!!!
>>8
同郷でしたか。殺し合いましょう。
>>12
誰に対して言っているのでしょうか。もし私でしたらなぜ低レベルなのか、そしてなぜ低レベルだといけないのか、というのをお聞かせください。
>>3
いいですね、見せ合いましょう。深淵を覗く時は深淵もまたこちらを覗いているのですから。とは言いつつも貴方の中での実力というのは何を指し示しているのか分からないので、語義の提示、また基準の提示をお願いできますでしょうか。
ところで
>>11
のように一日も経っていない状態で放置していると判断し、ゴミ扱いする人のために予め言っておきます。私はそこまでこまめにチェックできないです。速攻返して欲しいというようなせっかちホモ共は我慢汁垂らして次の餌を待つか、お引き取り下さい。
>>13
純粋に好き嫌いという感性に対しては否定のしようがないからね
パンよりご飯が好きだと言っている人に対して、パンの合理性を説くことはできるが、それによって”ご飯がすき”という感性まで否定できるわけではない
つまり好き嫌い論争においては根本的な部分での決着はつかず、いわば不毛な争いとなる
それゆえに私はそういった類の論争をレベルが低いとみなしている
質問に対する回答は以上かな
>>18
何故合理性を主張することが根本的解決に繋がらないと断定しているのでしょうか。ご飯が好きであるという感性を合理性をもって否定することが出来れば、相手の感性の健全性を否定したも同然なのではないでしょうか。よりどちらの感性の方が優れているか、というのは当事者間の主観的側面から見た場合確かに分かりにくいかもしれません。しかし客観視した場合にどちらの感性の方がより優れているかと比べることは容易いと思われます。そうすれば客観的評価をどれだけ得ることが出来るかという勝敗の基準を持っている論客にとっては十分足り得る論題なのではないでしょうか?
>>22
貴方の中の悪い悪くないの基準はどのようなものでしょうか。私の経験則上、馬鹿は論争を見れない場合が殆どです。そしてその様な馬鹿達の中には上から目線で大した根拠も述べられずに戯言スピーカーの真似をしている輩がいました。もしその様な分類をされるのに不快感を覚えるのでしたら、貴方はその部類に入ってしまわないように頑張ってくださいね。
>>24
どう検索したらと言われましても…色んなジャンルで存在しますよ。例えば歌い手の信者を叩いたり、料理動画にコメントしている人達と論争したりなど。
>>20
ご飯が好きであるという感性を合理性をもって否定することができれば、と言っているけれど私としてはそれは基本的にできないという立場なんだよね
例えばご飯よりもパンの方が栄養もあり、食事時間も短く、そして後片付けも楽であるというふうにいくら合理性に優れているとしても、「ご飯がすきだ」という理由がそういう合理的な理性に基づいたものではなく、先程述べたように「純粋な感性」に理由があるのであればいくら合理性を説いても否定できないじゃん
感性というのは理性ではない、だから合理性をもって否定するのが難しいのによく簡単に感性を合理性をもって否定できれば〜なんてことが言えるね
だいたい感性の健全性ってなんだよ(笑)?
思うに、個人の感性については希少や夥多を認めることはできるけれど、健全も不健全もないだろ
一体どういう意味で「健全性」なんて言ってんの?
そんでさ、どちらの感性が優れているかは客観視した場合に容易に比較可能ということをいっているけれど、なら実際にやってみてよ
ご飯が好きだと言っているAさん、パンが好きだと言っているBさん、この2つの価値観を君という客観的立場から実際に比較してみてよ
>>26
ご飯を人殺しに置き換えれば分かりやすいのではないでしょうか。人殺しが好きな人の感性を「変える」ことは出来ないですが、その人殺しが好きという感性が生み出すデメリットを説くことにより第三者から見て「悪だ」と思わせることが出来ます。
貴方はもしかして純粋な感性の否定を、「純粋な感性を変える事」と間違えていませんか?それは妥当ではないと思われます。例えば、デカルトは自分の能力の範囲外の、いわばコントロール出来ない事象に於いては負い目を感じるべきではない、という主張をしています。これはつまり能力の範囲外で起こった事象に対して負い目を感じる人種の「感性」の健全性を理性的に否定したこととなります。実際にその感性を取り除くことが出来なかったとしても、そうであるべきではないという否定をすることは容易であり、実際に長い歴史の中で幾度となく行われています。
貴方の主張というのは「感性」というものが何かしらの特別なベールに包まれているという謎の公理が存在しませんか?感性は否定出来ない、という主張における根拠が最も大切な筈なのにも関わらず言及が枯渇しています。
因みに感性の健全性の基準というのは客観的視点に於いて様々な種類が存在します。例えば「国のために利益になるか否か」といった基準で感性の優劣を決める人もいるでしょうし、「自分に利益があるか」といった基準で決める人もいるでしょう。具体例をあげるのならば
ご飯好きのAさんは、パン好きのBさんと比べ、日本産のご飯を食べているからこそ、日本の利益に貢献している。よって日本に貢献しているからこそ、日本が好きな私にとっては健全性のあるものだと言える。
と言ったように、日本に貢献することを健全だと判断することも出来ます。
そして、このような様々な判断基準を持つ第三者の薄っぺらい共感を得ることで欲求を満たすことも出来ます。
また、自分の中で「理性的」に相手の感性のメリットを理解し、それを心の中に留めておくことも出来ます。そうした場合、他の人にものを勧める場合に自身の感性とは切り離して、合理的によりメリットがある方を勧めることが出来るからです。
このように好き嫌いの論争は様々なメリットを齎すことが出来ます。この時点で不毛ではないと思われますが如何でしょうか?
>>25
ちょっとざっくり過ぎて探すの難しそうやし君のじゃなくてええから適当にやり合ってるウラルでも貼ってくれへん?この文字で検索したらすぐ見つかるよ!みたいなワードでもいいし