天使対アメリカ人の喧嘩の審判募集

16C◆grFikwy8q6
2018-07-22 09:31:50
ID:OGGgiedw

「仮に」と言っているように、合理性10%というのは実測値ではなくて、あくまで説得力の話だよ
「仮にスカウターがあったとして」程度の話です

それはそうとして
> はあ弱そう
> (妄想)だとしたらなんなのかね?
という部分から俺は非常に濃い反発心を感じ取ったのだけれども
事故死というきみの判断について俺は是も非も唱えておらず
判断する際に重要なのは妥当性であるとしたうえで「なぜ事故死である可能性が高いと思ったのか(どのような妥当性があるのか)」を尋ねているだけです
きみが間違ったことを言わない限りは取って食おうだなんて思っていないので、あまり身構えないでくれよ


と、いうわけで、きみの言葉を借りて>>8および>>10-11を補足していきます

> 荒唐無稽な結論を出したならまだしも(道路で死んでるんだから銃殺されたはず、とかな)
> 俺は、道路という場で起きやすそうな死因を考慮し「どう表現するのか」の結論を出した。
つまりこれも「妥当性の低い判断(銃殺だと判断するような)」であれば咎められる対象たり得るという意味において俺の意見と一致しているよ

死骸が落ちていた場所は路肩であった、それをもとに交通事故によって死んだのだろうと判断するプロセスには論理的な繋がりがあるよね
それに対し「路肩に落ちていた」ことと「銃により死んだ」ことには論理的な繋がりが見受けられない
その論理的な繋がりの強さこそが妥当性(合理性)だと俺は思うわけ

何かを判断するにおいて
「事実性が100%である必要はない」けれど
「100%に近ければ近いほど説得力がある」し、逆に「0%に近いければ近いほど荒唐無稽となる」とことは言わずとも分かるでしょう

きみの言う「考え方の癖」が極端に偏っている場合は信用を失う(場合によっては発想の柔軟性を讃えられる)わけだけれど
個人の体感により結論が変わる案件について喧嘩の審判募集をかけたのはきみだよ
事故死だというきみの判断にどの程度の妥当性があるのか第三者として判定するために「なぜ事故死である可能性が著しく高いと思ったのか」を尋ねたわけ
審判するというシチュエーションにおいて論理的分析によるメス入れがされることはごく普通だよね

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