https://mobile.twitter.com/YuukiYuust122/status/1019705112141287425
はいどうぞ
> 人は著しく可能性が高いと思うことを決めつけて言いきる生き物
> 断言に100%の事実確認を求めるのなら世間のおおよその断言を容易に指摘できるようになる
> どれくらいの状況で断言するかの癖は信用にかかわるけど信用を失うことは論破ではない
これらの意見は全て正論だとは思うけど
道路わきでくたばってたカラスを見て、交通事故が死因である可能性が著しく高いと思った理由は何なのさ
「100%でなくとも良い」からといって「1%あれば良い」というわけではない
仮に判断の合理性が10%にも満たなければ、それは単なる妄想だと言えるよ
仮に判断の合理性が10%にも満たなければそれは単なる妄想でしかなく
仮に妄想であるなら「交通事故が死因である可能性が著しく高いと思ったので断言した」という理屈に繋がらないので
交通事故が死因である可能性が著しく高いと思った理由は何なのさと尋ねているわけですが
> 人は著しく可能性が高いと思うことを決めつけて言いきる生き物
この理屈を「自分の判断が不適切でないことの理由」として援用するためには
「著しく可能性が高いと判断するに足る要素があった」ことを示さなければならない
例えばカラスと車が衝突する瞬間を目の当たりにしていたのであれば、カラスの死因は交通事故であるという判断は妥当性を帯びたものとなる
その際に「車と衝突する前にすでに死んでいた可能性」などをわざわざ考慮して事実性100%を目指す必要はない
> 人は著しく可能性が高いと思うことを決めつけて言いきる生き物
という理屈は、このような場合であれば通用するよ
きみがそのような判断材料(衝突の目撃など)を持っているのかどうかが不明なので
「死因は事故死である」という決め付けが妥当なのか不当なのかも不明でしょう
なので俺は
>> 道路わきでくたばってたカラスを見て、交通事故が死因である可能性が著しく高いと思った理由は何なのさ
と尋ねているわけ
>>10
はい一個ずつ片づけていくかな
判断の合理性のパーセンテージって誰が決めるの?合理性スカウターでも持ち歩いてんの?
そもそも
・カラスが路肩で死んでた
この1点だけで、事故死と思う合理性は10%超えてそうなんだけど…
いや、俺はスカウターを持ってないんで想像ですけどねw
荒唐無稽な結論を出したならまだしも(道路で死んでるんだから銃殺されたはず、とかな)
俺は、道路という場で起きやすそうな死因を考慮し「どう表現するのか」の結論を出した。
もちろん100%事故死だなんて思ってるわけじゃねーぞ?
事故7割、その他の可能性3割くらいじゃないのか?
厳密にはどういう可能性が高いのかという検証もできるかもしれねーが
世の中、すべての可能性を数字で割り出せるスカウターがあるわけでもないし、数々の可能性がある中でどの可能性が高いと感じるかは
もはや、「考え方の癖」の世界だと思う。
それを非論理的だと思う奴もいるだろうけど
俺は見て取れる事実から沸く数々の可能性、のどれが飛びぬけて優勢であるか、を測る上での「考え方の癖」は重要だと思う。
そこは言語化不能であることが多々あると考えてもいいかもしれないが、
世の中を見てみなよ、 誰かが言い切ったことに対して知識にたけた研究者の間でも「いや、これがこうなんだからこの可能性が高いだろう」っつー水準の議論はよくなされてるわな?
双方、考え方の癖、の次元でやりとりをしている議論ってわけだ
だがしかし言語化不能だからといって、可能性の高いと思える現象を優位にして考えないことは無粋というもの。おっと、むつかしい言葉使っちゃったかな?俺の知力の高さが露呈してしまった形になったってわけか。
そして俺は「こうだろうとは思うが100%そうだとは思わない」くらいのノリで言い切っているだけだし
カラスの話から議論が進んでも「事故死だ!」ということありきで進める気はない。
理由は、所詮俺だけにしか通じないかもしれない「考え方の癖」の話であることを理解しているから。
「こうなんだか毒殺なんじゃないの?」みたいな意見をかましてきた奴がいたとしても俺は「そうかもしれないね」で済ますかもしれない
べつにその感覚的箇所にこだわって「事故死だ!」とか言い続ける気はない。
ようは、話の優先順位としてはものすごく低い場所に置いているってことだ
事故死かどうかなんてそれほどこだわった話をする気はなかったからね
それを誰かが妄想といおうと、俺は新たな根拠を入手し、「俺の考えは間違っていた」と思えたなら考えを変える気だし
暫定的に「自分の癖ありき、自分の世界ありきで導き出す事実」を語っただけだよ
もし考え方の癖、を延々と「そうなる根拠は?」で突き詰めていくと理屈の無限後退になりかねない。
そして言い切りなんて世の中の人間はその程度のもんであると理解してくれていると信じています
今んとここんなとこかな
喧嘩的議論をこじらせちゃった人間は、杓子定規的、根拠でしか事実や正当性を見れないのか知らんが「感覚的」ってもんに異様にアレルギーがある気がする。
俺みたいに柔軟になりなよ、世の中はお前らが思うよりも自然と柔軟にできてるんだぜ
「仮に」と言っているように、合理性10%というのは実測値ではなくて、あくまで説得力の話だよ
「仮にスカウターがあったとして」程度の話です
それはそうとして
> はあ弱そう
> (妄想)だとしたらなんなのかね?
という部分から俺は非常に濃い反発心を感じ取ったのだけれども
事故死というきみの判断について俺は是も非も唱えておらず
判断する際に重要なのは妥当性であるとしたうえで「なぜ事故死である可能性が高いと思ったのか(どのような妥当性があるのか)」を尋ねているだけです
きみが間違ったことを言わない限りは取って食おうだなんて思っていないので、あまり身構えないでくれよ
と、いうわけで、きみの言葉を借りて>>8および>>10-11を補足していきます
> 荒唐無稽な結論を出したならまだしも(道路で死んでるんだから銃殺されたはず、とかな)
> 俺は、道路という場で起きやすそうな死因を考慮し「どう表現するのか」の結論を出した。
つまりこれも「妥当性の低い判断(銃殺だと判断するような)」であれば咎められる対象たり得るという意味において俺の意見と一致しているよ
死骸が落ちていた場所は路肩であった、それをもとに交通事故によって死んだのだろうと判断するプロセスには論理的な繋がりがあるよね
それに対し「路肩に落ちていた」ことと「銃により死んだ」ことには論理的な繋がりが見受けられない
その論理的な繋がりの強さこそが妥当性(合理性)だと俺は思うわけ
何かを判断するにおいて
「事実性が100%である必要はない」けれど
「100%に近ければ近いほど説得力がある」し、逆に「0%に近いければ近いほど荒唐無稽となる」とことは言わずとも分かるでしょう
きみの言う「考え方の癖」が極端に偏っている場合は信用を失う(場合によっては発想の柔軟性を讃えられる)わけだけれど
個人の体感により結論が変わる案件について喧嘩の審判募集をかけたのはきみだよ
事故死だというきみの判断にどの程度の妥当性があるのか第三者として判定するために「なぜ事故死である可能性が著しく高いと思ったのか」を尋ねたわけ
審判するというシチュエーションにおいて論理的分析によるメス入れがされることはごく普通だよね
はい、しかし俺はお前を審判として採用したいとは思ってません、
メスを入れてくれたみたいだけど、そこから派生した話で俺が言い負かされてるならともかく、特に苦しいとも感じないし
今のままどちらかの勝ちにしようとか言い出すなら不満っすねぇ~
お前らが今まで意識すらしてなそうな「感覚的支持」とその存在のしかたなさについて俺は語ったんだけど勉強になったかな?
ああ、お前レベルの頭悪そうな奴だと
俺には蓋然性が伝わらないんでアメリカ人の負け、とか言いそうだな
俺はもともとそれが伝わるものだとか思ってねーのになぁ~
俺はもっと深いとこに話の焦点を当ててんのになぁ~
こういうのがあるから審判付きって嫌いなんだよなぁ~
自分の目前にまですべての論理を提示してもらえない場合相手に非がある
という思いこみ
あると思いま~す
だから、勝ちとか負けとかありきの喧嘩はつまらない
論理にメスを入れるということだが
俺の論理は表現を変えるのならば
「カラスが路肩で死んでいたということは俺は事故死したんだと思うし、そう信じられるシーンを初めて見た」だよ
で、感覚的支持の説明でした通り、その感覚を万人が共感できるとは思わないしそう思われる努力をする気もない
重点を置いてないってのはそういうことな
論理にメスぅ?発言のバックグラウンドに大きく違いがあるんだろう
俺の感覚的意見、の客観に向けた納得を求める方向に舵を切るのではなく
俺の考え方にメスをいれてくれねーかなぁ~
もともと俺は客観的納得に至るつもりの発言をしていないんだよ
>審判するというシチュエーションにおいて論理的分析によるメス入れがされることはごく普通だよね
ああ、そういうこともあるだろうね
だが俺はもっと深いところまで入り込んだ話をしてるんだわ
「感覚的意見は自分以外の人間に理解できるとは限らないし説明は困難」ってこと、お前はいつも何か選択をするときにいいと思うほうを選ぶだろうけど、厳密に言えばすべて感覚的なんだよ
いくら理屈らしいことを並べても、その並べた根拠をどの程度重宝するかはお前の感覚、な。で、説明は困難だろう。
審判をする上で、対戦者の理屈を感覚的な面を排除してほしいのはわかるし
理屈にメスを入れたいのはわかるが
直接的に突きつけられた開き直りに対応できねーのなら審判を諦めてくれ
少なくともここでは俺とお前の喧嘩みたいになってるし
審判感、自分はここを重視する、みたいなことを抜きにして対等に理屈と向きあえよ
審判という肩書を主張したら自分の見たい部分、重視したい部分だけに焦点を当てていい権限でも得たと思ってんのか?ってことだね
しょうもない権限をかざして都合よく物事を見るんではなく
俺についてこいよ
> 今のままどちらかの勝ちにしようとか言い出すなら不満っすねぇ~
とか言って、まだ起こってないことまで事前に想定して身構えてるけど、いちど肩の力抜きな?
俺は「今のままだとどちらの勝ちか判断しきれない」からこそ
「なぜ事故死である可能性が極めて高いと判断したのか」を>>8で訪ねたんだよ・・・
日常的な会話において「さっき路肩で事故死したカラスの死骸を見かけた」と言われたのならば
俺も感覚的に「へぇそうなんだ、運転中は気を付けるよ」とでも返すよ、世の中それくらいの緩い認識で回ってるってのは理解してるさ
事故の瞬間を目の当たりにしたのか?とか問いただしたり、わざわざ論理的な精査なんてしない
日常的な会話ならね
今回は「喧嘩の審判募集」と書かれていたので論理的に分析してるんだよ、審判ってそういうもんじゃないの
それとも、どちらの勝ちだと思うかを「感覚的に」審判すればよかったのか?
俺個人の感覚としては「事故死したという判断」は自然な解釈だと思うよ、これでいいのか?
>>25
>今回は「喧嘩の審判募集」と書かれていたので論理的に分析してるんだよ、審判ってそういうもんじゃないの
>それとも、どちらの勝ちだと思うかを「感覚的に」審判すればよかったのか?
ああ、はい
ぜひお前には「感覚的判断」から沸いた「独断的な結論」について回答お願いします
審判として、じゃなくていいぞ
ポジションを主張したら好きに落としどころを作れると考えてるのか知らねーけど
俺は考えられる範囲で言うべき意見はすべて言ったはず
何か本題において思うところがあるんなら意見どうぞ(笑)
あと、勝手に審判として参加してくれてるんなら
お前が結論にたどり着ける道のりが長そうな今のルートで考えるよりも
俺が天使に返した「論破」に関するやりとりを見ることをお勧めします
道端にカラスの死骸が落ちているのを見て「あぁ、コイツは車にはねられたんだな」と判断する人がいること自体は不自然でも何でもないと思うよ
ただ、もう少し視野を広げてみるならば
「カラスが交通事故で死ぬ可能性が高い」のは間違いなく道路付近だけど
カラスの死因って、交通事故だけではなく病気や衰弱とか他にも色々あるわけ
空を飛んでいたカラスが、例えば心臓発作を起こして死亡し、たまたま路肩に落ちる可能性は
「道路密度の高い都心部」と「道路密度の低い山間部」ではどちらが高いだろうか
前者だよね
ほとんど道路がない山だらけの場所において路肩にカラスの死骸があったら、事故死したという判断の説得力はより高くなる
山でもなく畑でもなく、よりによって路肩に落ちてたんだ、たぶん事故死したんだろう、と俺なら思う
逆に、そこらじゅう道路だらけの都心部だと、何らかの原因で死んだカラスが路肩に落ちがちでしょ
事故にあったのかもしれないけど、他の原因で死んだカラスがたまたま路肩に落ちたのかもしれない、と俺なら思う
俺に備わっている「考え方の癖」としてはこんな感じだよ
なぜ審判募集したんだ・・・
どのような能力を持つ人物に、どのような方法で審判してもらおうと思ってたんだ・・・
>>30
審判募集っつー触れ込みはただの客寄せ目的
感覚的判断を審判という有利な観点抜きで押し通すような意見を作れる奴がいるのか気になったこと
あと、論破、と言う天使に対して俺が返した理屈をどう見るか