>329
>なら弟子の感覚が基準でもいいですね。
⇢だめです。
感覚が基準なのではなく、感覚によって基準が決められるのです。
>客観的に判断できる基準を求められてるわけではないので明示義務はありません。弟子が主観的に判断出来ていればいいんです。
⇢「明らか」になっているのかどうかを巡って争っているので客観的に観測できる必要があります。
というより、客観的に観測できない状況こそを「明らかでない」と言えると思います。
>弟子にしか分かりませんよ
⇢ええ、弟子にしかわからないでしょうね。明らかになってないのですから。
>そこまで求められてませんが。
>基準は弟子基準であるとは明白である。弟子基準を明確にせよとは言われてません。
>ちなみに「弟子の基準」という文句が初めて登場するのは>110ですね。
⇢ちょっと何言ってるかわかりません。
>そのまんまですが・・・
>弟子の判断という基準によって長文か短文かの判定が下されるんですよ。
>君のしていることは根拠の根拠を調べるようなものです
⇢今回の弟子の判断というのは「38は長文だ」です。この「38は長文だ」というのが基準だというのですか?
「38は長文だ」によって長文か短文かの判断がくだされるというのですか?
あれあれ。それはおかしいです。
仮にそうだとれば、300文字は長文ではないと結論付けられるじゃないですか。
あなた自分でそういう判断はできないと言ってたじゃないですか。矛盾してます。