> 真面目な態度には真面目な精神が宿る
これにはかなり共感できる
ただ、鶏と卵どちらが先かみたいな話になってしまうけれど
「真面目な精神は真面目な態度を示す」というパターンもあるわけだよね
根が真面目だからそれにあわせてモーションやエモーションも真面目なものになるというのは
言ってみればシラフの自分をそのまま曝け出して等身大の自分で喧嘩しているようなもので、まぁ極めて普通だ
荒っぽいヤツがDQN口調で立ち居振舞うのも同じ
この場合は「精神と態度が自分にとって一致しているかどうか」という自分目線に比重が置かれているね
よって自発的なコントロールが比較的容易でもある
で、もう1つがアメくんの言っている「ある態度にはそれに相応しい精神が宿る」というパターンだ
キャラを演じるという言い方をしてしまうと物凄く薄っぺらく聞こえてしまう(何て言えばいいんだろう?)けれど
これはどちらかと言えば相手目線に比重を置いた考え方なのだろう
言葉遣いを正せば性格も変わるとかいう心理学じみた自分目線の話ではなくて
本来自分が持っている気質を置き去りにして、相手にどうに見られるかにフォーカスする感じだ
こうしたほうが強いとか弱いとか、このような口調にはしかじかのメリットがあるとか
そういうのって正直ただの副次効果というか・・・どうでもいい気がするぞ
喧嘩師どうしの人間関係をざっくりまとめると
1.ステハンの上に築かれた一時的な人間関係
2.コテハンの上に築かれた継続的な人間関係
3.それぞれの人間性の上に築かれた人間関係
という感じでステージ分けが出来て、下に行くほど関係としては深くなるわけさ
例えばきみらツイッターで繋がってるのか知らんけど、そういう段階の人たちは2に位置するのだろうし
3の段階になると、ステハンを名乗って少しくらい口調やキャラを変えたところで「あ、こいつ〇〇だな」ってのは伝わったりもする
古参の連中が名を変えキャラを変え喧嘩して、そのあとカミングアウトという段階を経ていないにもかかわらず
「この前の〇〇ってキャラ超良かった」みたいに言っている光景は何度か見たことがある
日本のジャニーズ俳優とか、ハリウッドの例えばスティーヴンセガールとかって
どんな作品にどんな役として出演していても「この人はセガールだ」ってなるよな、こいつらはいわばコテハンを売っているんだよ
もちろん、演技力不足でそのキャラしか演じれない場合とか、似た作風の似た役としてしかキャスティングされていないといった事情もあるだろうけれどね
それと比較して、例えばトムハンクスなんかは優しい父親であったり殺し屋であったり様々な役で出演していて
グリーンマイルで看守を演じているとき彼は看守のポールとして俺たちの意識上に存在しているし
それを見ている最中にプライベートライアンのミラー大尉がチラついたりすることはないわけだ(熱心なファンでもない限り)
喧嘩の目的は弱いものをいじめることだとか言っているけれど
負けるより勝ったほうが基本的には楽しめるとかそういう都合上の問題で勝利を目指すのがオーソドックスではあるものの
喧嘩をする根源的な目的って「楽しむため」でしょ
エンターテイメントなんだよ