この板だけはサイトポリシー適用外です。
掲示板の機能不全に陥るもの以外は何をしてもOKです!
※法律は守りましょう。
『🍮』
見にくいし~
何いってんのかよくわからないんだけど~
何がしたいんだ~?
『り』
それどこまでが引用でどこからが本文か分からないんだよね~
○○言ってれば何とかなるとでも思ってんのかなこいつ~
『🍮』
このコピペマン見にくいし何いってんのかよくわからないんだけど、何がしたいんだ?。
かわいそうなロシュから矛先そらそうとしてんの?
『り』
それどこまでが引用でどこからが本文か分からないんだよね。きっとコミュ障。
28: 太ももおっぱい◆prin/sdAts
2018-12-03 12:29:04
ID:EPsG5ZQU
これまでの簡単経緯
だれか:「小石係をランキングの載せないの」
ぷりん:「ログがあれば判断できると思うよ」
だれか:どっか別の掲示板の当該URLを貼り付け。
ぷりん:「どちらも馬鹿すぎて何いってるのか、正確に把握できんw馬鹿は放っておこう」
小石係:勝手に反応。厳密でない箇所を指摘しろ、まともに喧嘩しろと騒ぐ。
ぷりん:厳密でない箇所を指摘したら、「厳密に議論すると宣言しろ」とする。
小石係:別人の話を出して、喧嘩する気は一切ないと逃亡。
小石係の捏造:(自分の頭が悪くて)理解できない。極限だ確率だ(ぶつぶつ)
本来の意図:(馬鹿すぎて厳密にかかれていないので)理解できない。
極限も確率もわかってないからだろう(馬鹿は放っておこう)
*厳密でない箇所の一部には触れていることすら気が付かない捏造感想馬鹿ww
*予言どおり小石係に専念w その後、ステはん活動が活発化w
なにこれえ( ・◇・)?
えっと、なんだっけ?
見にくいし何いってんのかよくわからないんだけど、何がしたいんだ?^^^
かわいそうな知的障害者は論点をそらそうとしてんの?^^^
37: りD4C(Dirty defeats done dirt cheap)◆LBD4CrY...
2018-12-04 13:12:05
ID:VizC66LE
草草言ってれば何とかなるとでも思ってんのかなこいつ。
38: りD4C(Dirty defeats done dirt cheap)◆LBD4C.xi/s
2018-12-04 21:04:07
ID:VizC66LE
長さと粘着は無関係草
この流れは草アァー
草ガー 草ガーwww
1: よしお
2018-12-04 22:17:20
ID:f6wjRjX.
「天井空いてるから雨入っちゃう〜」
り「空いてるなら天井とは言いませんね。完全論破5963」
り「なら抑顕微鏡で見ればモノは全て穴があいてますね。完全論破5963」
>>302
俺からのひていをむししてるじゃん
否定返しできないとか俺とのけんかからそむいてるじゃん けんかが始まっていないとにげとは言えないのか?そんなことはないな
けんかじたいから逃げてればそれは喧嘩から逃げているということになる
可能性うんぬんじゃなくてまずそれだけのはんだんざいりょうだけでそうとはんだんすることが愚かなのさ
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/16958/1536463543/125
ということなので
このスレにいる去年2017年4月?春以降にあった>>127の悪魔はおでんではない
別の人ということになりました
舛錯
意見の舛錯は活発な議論を生み出す
自家撞着
しかしその議論において矛盾、もとい自家撞着の発言は身を滅ぼす
527年 磐井の乱
朝鮮半島への出兵での負担の増加により九州北部で起きる
物部氏が抑えたことにより物部氏の影響力が強まる
おでんが幻獄で掲載してた。
http://itest.5ch.net/hayabusa/test/read.cgi/news4vip/1391430558/
嗚呼……ここは………吹雪さんのファンスレです。
吹雪
・14歳
・栃木県出身(要出典)
・自演人数10人(現在)
・国宝級の独特な文章
・自スレは4つほど
・将来の夢は作家界の皇帝
・数学偏差値52、国語偏差値27、理科偏差値37、社会偏差値44、顔面偏差値11(要出典)
・現在作品は一つのみ
・喧嘩では全戦全勝(本人談)
713: 吹雪◆Q0eNVWbaO.
2018-10-23 22:47:26
ID:oa3GyY0E(sage)
ひんにゅーが羨ましい←
吹雪ちゃん可愛い
吹雪さん、自演のこと他で叩かれてましたが、めぐみって奴の方がヤバイです
めぐみ
・自称小五
・関東甲信越在住
・自演人数未知数
・国宝級の独特な糞文
・自スレは未知数
・将来の夢はアイドル
・国語偏差値御臨終、コミュニケーション偏差値御葬式、社会適合偏差値御通夜、自意識偏差値もはや神
・警察には目をつけられてる
・糖尿
・被害妄想と自己愛は世界を凌駕するレベル
・すでに他のチャットサイト二ヵ所を追放された
・本当は高校生
564: 吹雪◆CjYZN4Yscs
2018-10-28 19:40:23
ID:vCVajvvY(sage)
日本の首都は東京都
東京都の首都は新宿区?って言われているらしいよ
565: 特命◆Nm2em3DSW6
2018-10-28 22:23:18
ID:2nffE4M2
>>564
東京都の首都ってなんやねん
566: ma&◆uxi5IRZxn.
2018-10-28 22:25:39
ID:vCVajvvY(sage)
間違えた
>県庁所在地
567: 特命◆Nm2em3DSW6
2018-10-28 22:28:27
ID:2nffE4M2
>>566
都庁所在地やろ
小学生みたいでかわいいw
Twitter界隈に移り住んだらしいけど、その他は消えたんか?
古参組の文章の考えについて聞きたいんやけどなあ。
どんな組み立て方をしていたの?とかねー( *´艸`)
叶わぬ夢やろかい
あすはひ(=明日檜)の木、この世に近くも見ず聞こえず。御嶽(みたけ)に参りて帰りたる人などぞ持て来める、枝ざしなど、袖ふれ憎げにあらましけれど、なにの心にて、あすはひの木と付けけむ。あぢきなき予言(かねごと)なりや。誰か頼めたるにかと思ふに、聞かもほしうをかし。
ねずもちの木、人々しう、人並々なるさまにはあらねど、葉のいみじう細かに小さきがをかしきなり。楝(あふしち)の木。山梨の木。
椎の木。常磐木(ときはぎ=常緑樹)は、いづれもあるを、それしも、葉(<は>[た])がへせぬ例(ためし)に言はれたる、をかし。
白樫(しらかし)といふもの、深山木(みやまぎ)の中にもいとけどほくて、二位三位の袍(うへのきぬ)染むる折りこそ、葉をだに人の見るめれ。をかしき事にとり出づべくもあらねど、雪の置きたるに見まがへられて、素戔嗚尊(すさのをのみこと)の出雲の国へおはしける御供にて、人丸が詠みたる歌など思ふに、いみじうあはれなり。言ふ事につけても、一節(ひとふし)あはれともをかしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥・虫も、おろかにこそ覚えね。
楪(ゆづるは)のいみじう艶めき房やぎたる葉はいと青く清げなるに、思ひかけず似るべくもあらぬ茎の赤うきらぎらしう見えたるこそ、あやしけれどをかしけれ。なべての月頃は、つゆ見えぬものの、師走の晦日にのみ時めき、亡人(なきひと)の食ひ物に敷くを見るがあはれなるに、またたとしへなく祝ひの折り、歯固(はがため=新年の行事)の具にも敷きて使ひためるは、いかなるにか。「紅葉(もみぢ)せん世や」と言ひたるもたのもし。
柏木、いとをかし。葉のまだ小さき折りより、葉守(はもり)の神のおはしますらむもかしこし。兵衛督佐尉(ひやうゑのかみすけぞう)などをもさ(=柏木と)言ふ、いとをかし。
姿なけれど、棕櫚(すろ)の木、唐(から)めきて、わろき家の具とは見えず。何となけれど、やどり木といふ名は、かなだちていとをかし。
9 70
草の花は、なでしこ。唐(から)のは更なり、大和(やまと)のもいとをかし。女郎花(をみなへし)。桔梗(ききやう)。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壷(つぼ)すみれ。
竜胆(り<ゆ>うたん)は、枝ざしなどぞむづかしげなれど、他花(ことばな)のみな霜枯れたる中より、いと花やかなる色合ひにて、さし出でたる、いとをかし。
また、わざと取り立てて、人めかすべきにはあらぬ様なれど、かまつかの花、らうたげなり。名ぞうたてある。雁(かり)の来る花とぞ文字には書きたる。がむひの花。色は濃からねど、藤の花にいとよく似て、春秋と二たび咲く、いとをかし。
夕顔の花は様も朝顔に似て、言ひ続けたるもをかしかりぬべきを、葉の姿ぞ憎きや。実の様こそいと口惜しけれ。などかさはた生ひ出でけむ。ぬかづき(=ほほづき)などいふ物のやうにだにあれかし。されどなほ夕顔といふ名の付きそめけむいとをかし。しもつげの花。葦の花。
「これに薄(すすき)を入れぬ、いとあやし」と人いふなり。秋の野のおしなべたるが、をかしさには、薄こそあれ。末(すゑ)のいと濃く蘇枋(すはう)にて朝霧に濡れて、うち靡(なび)きたるは、さばかり(=これほど)の物やはある。されど秋の終(はて)ぞいと見所なき。色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなう見所なう散りにたる後(のち)、冬の末まで、頭の白く、おほどれたるも知らず。昔思ひ出で顔に、風になみよりひびろぎ立てるめる人にこそ似たれ。よそふる心ありて、あやまりてそれをしもぞあはれと思ふべけれど、いさや。
10 67
花なき草は、菖蒲(さうぶ)。菰(こも)。葵(あふひ)、いとをかし。祭の折りに、神代よりして、さる挿頭(かざし)となりけむよりはじめ、物の様もをかしきなり。
おもだかは、心あがりしたらむと思ふ名のいとをかしきなり。三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔。こたに。日かげ。雪間の若草。かたばみは、綾の紋にてあるも、をかし。
あやふ草、岸の額(ひたび)に根を離れて、実にたのもしげなうあはれなり。いつまで草は、壁に生ふらむまたいとはかなうあはれなり。岸の額よりも、いま少しくずれやすからむかし。真(ま)と(=まこと)の石灰ぬりたらむには、え生ひずやあらむと思ふこそいとわろけれ。ことなし草は、思ふ事をなすにやあらむと思ふこそいとをかしけれ。
しのぶ草、いとあはれなり。道芝、茅花(つばな)、蓬なども、いとをかし。山菅(やますげ)。山藍(あまあゐ)。浜木綿(はまゆふ)。葛(くず)。笹。青つづら。なづな。苗(なへ)。浅茅(あさぢ)、いとをかし。
蓮(はちす)は、よろづの草よりも世にすぐれてめでたし。妙法蓮華経のたとひにも、花は仏に奉り、実は数珠(ずず)につらぬき、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なき頃、みどりなる池の水に、紅(くれなゐ)に咲きたるもいとをかし。されば翠翁紅(すいをうこう)と文字に作りたるこそ。
唐葵(からあふひ)、日の影に従ひて傾(かたぶ)くこそ、草木といふべうもあらぬ心なれ。さしも草。八重葎(やへむぐら)。
つき草は、うつろひやすなるぞうたてある。
11 48
鳥は ほかの鳥なれど、鸚鵡(あふむ)いとをかし。人の言ふらむ事をまねぶらむよ。郭公いとめでたし。くゐな。しぎ。都鳥。ひは。ひたきどり。
山鳥(やまどり)は、友恋ひて鳴くに、かげを見て慰むらむこそ、心若うあはれなれ。谷を隔てたらむ程も心苦し。鶴は、見目(みめ)もなつかしらず。おほのかに、うちなき様なれど、沢にて鳴く声の雲井に聞こゆなる程思ひやるにいとけだかし。頭(かしら)赤き雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥(をとり)。たくみ鳥。川千鳥(かはちどり)の友まどはすらむいとあはれなり。
鷺(さぎ)は、見目も見苦しう、眼(まなこ)ゐなども恐ろしげに、よろづ取り所なけれれど、「ゆるぎの森に一人は寝じ」と争ふらむ心ぞ捨て難き。
雁の声は近劣りすれど、秋待ちえて霧の絶え間にほのかに聞きつけたる、いとをかし。また、冬のいと寒き夜など雲井に鳴きたるも、羽(はね)の霜払ふらむほど思ひやられていとをかし。
鶯は、さまかたちよりはじめ美しう。初めて谷より出でたる声などは、かばかりあてにめでたき程よりは、夏秋の末までありて、白声(しらこゑ、←前田本「同じ声」→三巻能因本「おい声」)に鳴くと内裏(だいり)のうちに住まぬとぞ、いと悪ろき。人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかり候(さぶら)ひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは竹も近う紅梅もいとよく通ひぬべき枝のたよりなめりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所なき梅の木などには、いと花やかにぞ鳴き出でたるや。また、夜鳴かぬもいといぎたなき心地す。
郭公は、あさましう待たれ待たれて、いみじう夜深ううち出でたる心ばへこそ限りなう目出度(めでた)けれ。六月などには、やがて音せずかし。それも雀などのやうにてのみあらば、鶯もさしも悪ろくもおぼえじかし。春の鳥とて、年たち返る朝(あした)より、まづ待たるるものなれば、少し思はずなる所のあるも、かく口惜しうもおぼゆるなり。人をも人げなく、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをば、謗(そし)りやはする。
鳥の中にも、鳶、烏などのことをば、見聞き入るる人なし。これはなほ文などに、いみじうつくられたる物なれば、程よりはと思ふに、なほ心ゆかぬ心地するなり。
をかしなどの方にはあらねど、にはとりの子の小さき程こそあはれなれ。
12 50
虫は、松虫。鈴虫。きりぎりす。はたおり。蝶(てふ)。われから。ひぐらし。蛍。ひを虫。
蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みければ、親に似て、これもや恐ろしき心あらむとて、男親(をおや)の、あやしき衣をひき着せて、「いま秋風吹かむ折りぞ来むとするまでよ」と言ひおきて、往(い)にけるをさも知らず、風の音(おと)を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いとあはれなり。
額(ぬか)づき虫、またあはれなり。さる心地に道心を起こして、つき歩りくらむよ。思ひもかけず暗き所などに、ほとほとと、し歩りきたるこそをかしけれ。
夏虫、いとらうたげなり。火近う取り寄せて物語(ものがたり)など見るに、草子(さうし)の上に飛び歩りくさま、いとはかなびてをかし。
蟻は、憎けれど、身の軽ろくて水の上などに、ただ歩りくこそをかしけれ。
13 11
山は、小倉山。三笠山。このくれ山。いりたち山。わすれ山。かたさり山こそ、誰に所置(ところお)きけるにかとをかしけれ。五幡山(いつはたやま)。かへる山。後瀬山(のちせやま)。まゆみ山。笠取山(かさとりやま)。ひらの山。鳥籠(とこ)の山は、「わが名もらすな」と帝(みかど)の詠ませ給ひたるがをかしきなり。伊吹の山。朝倉山は、よそに見るらむいとをかし。大比礼山(おほひれやま)、をひれ山も、臨時の祭思ひ出でられてをかし。三輪の山。待兼山(まちかねやま)。玉坂山(たまさかやま)。耳無山(みみなしやま)。嵐の山。葛城山。位山(くらゐやま)。更級山(さらしなやま)。小塩山(をしほやま)。吉備の中山(きびのなかやま)。
14 12
峰は、ゆづるはの峰。阿弥陀(あみだ)の峰。弥高(いやたか)の峰。
15 196
野は、嵯峨野さらなり。印南野(いなびの)。交野(かたの)。こま野。飛火野(とぶひの)。しめし野。宮城野。粟津野(あはずの)。紫野(むらさきの)。そうけい野こそすずろにをかしけれ。などさはつけけるにかあらむ。
16 13
原は、奈志原(なしはら)。甕の原(みかのはら)。あたの原。その原。うな<ゐ>[ひ]こが原。篠原(しのはら)。萩原(はぎはら)。こひ原。
岡は、船岡。しのびの岡。
18 115
森は、うへの木の森。石田(いはた)の森。仮寝(うたたね)の森。いはせの森。大荒木(おほあらき)の森。たれその森。立聞(たちきき)の森。浮田(うきた)の森。こひの森。信太(しのだ)の森。木幡(こばた)の森。
19 66
里は、ながめの里。ねざめの里。ひと<つ>まの里。たのめの里。夕日の里。十市(とほち)の里。長井の里。つまどりの里は、人にとられたるにやと、いとをかし。伏見の里。生田の里。
20 223
駅(むまや)は、梨原(なしはら)の駅。野口(のぐち)の駅。
21 114
関は、逢坂(あふさか)の関。須磨の関。くきたの関。白川の関。はばかりの関、衣(ころも)の関。勿来(なこそ)の関。清見が関。横はしりの関。みるめの関。ただこえの関、はばかりの<関>[何]は、たと<し>へなきがをかしきなり。また、よしなよしなの関こそは、いかに思ひ返してけるぞと、いと知らまほし。これを「な来(こ)そ」とは言ふにやあらむ。逢坂などをかく思ひ返されたらむこそ、佗(わび)しかるべけれ。
22 17
陵(みささぎ)は、しよろう(=「諸陵」とすれば注釈の言葉が本文に入つたか)。うぐひすの陵(みささぎ)。柏原(かしはら)の陵。あめの陵。
23 18
渡(わたり)は、たまづくりの渡。しかすがの渡。みつはしの渡。こりずまの渡。
24 65
橋は、あさむづの橋。長柄(ながら)の橋。あまひこの橋。浜名の橋。小川の橋。かけばし。うたたねの橋。轟(とどろき)の橋。佐野の船橋。<小>[水]野の浮橋。鵲(かささぎ)の橋。山菅(やますげ)の橋。ゆきあひの橋。人は見ぬものなれど名を聞くにをかしきなり。一筋渡したる棚橋。心狭(せば)けれどをかし。
25 16
海は、水うみ。与謝の海。川口の海。伊勢の海。<よ>[か]この海(=余呉の海)。
26 188
島は、浮島。八十島(やそしま)。たはれ島。豊浦(とよら)の島。籬(まがき)の島。松が浦島。なと島。
27 189
浜は、<そ>[う]と浜。吹上(ふきあげ)の浜。長浜。ちひろの浜、いかに広からむと思ひやらるるにをかし。打出(うちいで)の浜。
28 190
浦は、塩竈(しほがま)の浦。名高(なたか)の浦。こりずまの浦。しのだの浦。
29 222
川は、大井河。おとなし川。水無瀬川。飛鳥川、瀬も定めざなるこそ、をかしけれ。耳敏川(みみとがは)は、何事をさしもさくじり聞きけむと思ふにをかし。いづみ川。細谷川。
30 15
淵は、かしこ淵、いかなる底の心を見え、さる名をつきたらむと思ふもをかし。ないりその淵、誰にいかなる人の教へけるならむ。青色の淵こそ又いとをかしけれ。蔵人などの具にしつべきよ。いな淵。かくれの淵。玉淵。のぞきの淵。
31 64
滝は、音無の滝。布留(ふる)の滝は、法皇の御覧じにおはしましけむがめでたきなり。那智の滝は熊野にありと聞くがあはれなるなり。轟(とどろき)の滝、いかにかしがましかるらむ。
32 117
出で湯は、ななくりの湯。有馬の湯。那須の湯。つかまの湯。ともの湯。
33 45
池は、贄野(にへの)の池は、初瀬に詣でしに、水鳥の隙(ひま)なうゐてたち騒ぎしが、をかしく見えしなり。
水なしの池こそ、あやしう、などかう付けたらむと問ひしかば、「五月など、全て雨いたう降らむとする折りは、この池に水といふ物なむなくなる。いみじう日照るべき年は、春のはじめに水などいと多く出づる」と言ひしを、「無下になく乾きてのみあらばこそ、さは言はめ、出づる折りもあなるを、一すぢにも付けけるかな」とぞ答(いら)へまほしかりし。
猿沢の池は、采女(うねべ)の身投げたるを聞こしめして、行幸(みゆき)のありけむこそ、いとめでたけれ。「ねくたれ髪を」と人麻呂が詠みけむなど思ふに、言ふもおろかなり。
御前の池も、何の心にて付けけるならむとゆかし。狭山(さやま)の池は、三稜草(みくり)といふ歌の、げにをかしう覚ゆるにやあらむ。こひぬまの池。原の池は、「玉藻な刈りそ」と詠みけむいとをかし。ますだの池。姿の池。
春は曙(あけぼの)、やうやう白くなりゆく、山際(やまぎは)すこし明かりて、紫だちたる雲の細く棚引きたる。
夏は夜(よる)、月の頃はさらなり、闇もなほ蛍飛びちがひたる、雨などの降るさへをかし。
秋は夕ぐれ、夕日はなやかにさして、山際いと近くなりたるに、烏(からす)の寝どころへゆくとて、三つ四つ二つなンど飛びゆくさへあはれなり。まいて雁などの連(つら)ねたるが、いとちひさく見ゆる、いとをかし。日入り果てて、風の音(おと)、虫の音(ね)なンど、いとあはれなり。
冬は雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜なンどのいと白く、またさらでもいと寒き。火なンど急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもてゆけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひをけ)の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。15
二 頃(ころ)は、正月(しやうぐわつ)、三月、四五月(しごぐわつ)、七月、八九月(はつくぐわつ)、十月、十二月、すべてをりにつけつつ、一年(ひととせ)ながらをかし。16
三 正月(むつき)一日(ついたち)は、まいて空の景色(けしき)うらうらと珍(めづら)しく、霞(かすみ)こめたるに、世にあるとある人は、姿容(すがたかたち)心ことにつくろひ、君をも我身をも祝ひなンどしたるさま、殊(こと)にをかし。
七日(なぬか)は、雪間(ゆきま)の若菜(わかな)青(あを)やかに摘(つ)み出(い)でつつ、例(れい)は、さしも、さる物目近(めぢか)からぬ所(=高貴な所)に、持てさわぎ、白馬(あをむま)見んとて、里人は車清(きよ)げにしたてて見にゆく。中の御門(みかど=待賢門)の戸閾(とじきみ=敷居)引き入るる程(ほど)、頭(かしら)ども一所(ひとところ)にまろびあひて、指櫛(さしぐし)も落ち、用意(ようい)せねば折れなンどして、笑ふもまたをかし。左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)などに、殿上人あまた立ちなンどして、舎人(とねり)の馬どもをとりて(イ弓ども取りて馬ども)驚(おどろ)かして笑ふを、僅(はつか)に(=私たちが)見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづかさ)、女官(によくわん)などの、行(ゆ)きちがひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重(ここのへ)をかく立ち馴らすらんなど思ひやらるる。内(うち)にも見るはいと狭(せば)きほどにて、舎人(とねり)が顔(かほ)の衣(きぬ=肌)もあらはれ、白き物(=おしろい)の行きつかぬ所は、真(まこと)に黒き庭に雪のむら消(ぎ)えたる心地して、いと見ぐるし。馬のあがり騒ぎたるも恐ろしく覚ゆれば、引き入られてよくも見やられず
第10歌 願い事はほどほどに
西はジブラルタルから東はガンジスまで広がるこの世界で、自分の心の迷いを吹き払って、本当の幸福とその正反対のことの違いを見分けることのできる人はまずいない。人が理性に従うかぎり、いったい何かそんなに恐いものが、また何かそんなに欲しいものがあるだろうか。がんばって願い事を叶えたところで、後になって後悔しないような、そんな確実な幸福をもたらす願い事がどこにある。願い事が叶ったおかげで、家族がすっかり崩壊してしまったという不幸な人は多い。平和なときも戦争のときも、人はいつも結局は自分を不幸にすることばかりを願っている。すらすらと流れるように話す弁論の技術は、しばしば本人にとって致命的になる。自分の腕力の強さを過信したために、命を落とした力自慢のレスラーの例もある。しかしながら、それよりも、人並み外れた努力によってせっせと貯め込んだ金の重みに押しつぶされたり、ブリタニアのクジラがイルカより大きいほどに、他人のどんな財産よりも大きな財産を貯め込んだおかげで、身を滅ぼした例ははるかに多い。金持ちのロンギノスの家も、セネカの広大な庭園も、ラテラヌスの立派な館も、あの恐ろしい時代にネロの命令で軍隊に占領された。兵隊がちっぽけな屋根裏部屋にやってくることはないものだ。たとえ小さく飾り気のないものでも、銀製品を携えた夜中の旅は、刃物と棍棒に対する恐怖に満ちたものになる。月影に映る葦の影の動きにさえ、ふるえ上がることだろう。手ぶらの旅人なら盗賊に出会っても鼻歌交じりでいられるはずだ。
どこの神社でもお祈りといえばまずはお金だ。
「お金が貯まりますように」
「広場の誰よりも大きな金庫が持てるようになりますように」
ところが、貧しい陶器にトリカブトの毒が盛られることはないけれども、金の杯に高級なワインが赤く燃え立つときや、宝石をちりばめた杯(さかずき)を手渡されたときには毒に対する用心が必要になる。
ここまで聞けば、かの二人の哲学者が一歩自宅を後にして世間に目をやった途端に、一人(デモクリトス)は可笑しくてたまらず、もう一人(ヘラクレイトス)は反対に悲しくてたまらなかったわけが、もうお分かりだろう。もっとも、容赦なく世間を笑いの対象にして批判することは別段珍しいことではないが、ヘラクレイトスの目にどうして涙が貯まったのか不思議ではある。
そのころの町には、真紅の縁取りをした神官服も、騎士の着る縞柄のローブも、執政官の権威を表わすファスケス(斧に縛り付けた棒の束)も、元老の奥様専用の豪華な駕籠(かご)も、法務官用の立派な判事席もなかったにもかかわらず、デモクリトスは腹の皮をよじらせて笑い続けた。いま法務官がローマの競技場の真ん中の土ぼこりの中で背の高い車の上に意気揚々として立っているところを見たら、デモクリトスはなんと言うだろう。その法務官の着ている上着はシュロの葉の縁取りがついたジュピターのチュニックで、肩からはトュロスの紫地に金の縁取りがつくカーテンのような式服(トガ)が下がり、頭には首がおれるほどの馬鹿でかい王冠が乗っかっているのだ。おまけに、この未来の執政官の慢心をいさめる役で同乗している奴隷が、その王冠を後ろから大汗かきながら支えているのである。それだけではない。この法務官の手には象牙の王笏が握られ、その上には一羽の鷲がとまっているのだ。また、車の前にはラッパ吹きの一団と、この法務官の庇護下にある者たちの長い行列が進み、さらには白い服を着たローマ市民の一団が馬の手綱を取っているという具合だ。しかも、この市民たちの財布は、この法務官の取り巻きになることでせしめた小遣いで膨らんでいる。
デモクリトスは、自分の生きていた時代でさえ人間の集まる所どこであろうと、笑いの種を見つけ出した。人に立派な手本を示せるような第一級の人間が愚者の国アブデラの濁った空気の中にも生まれることを、この哲学者の知性は証明している。人々の悩みだけでなく、喜びも、ときには悲しみさえも彼は笑いの対象にした。運命の女神が悪い兆しを見せるときでも、女神に対して中指を立てて「くたばっちまえ」と言う男なのだ。
願い事がこんなにも余計なものか危険なものなら、我々はいったいどんな願いを板に書いて神々の座像の膝に並べるべきなのだろう。
権力者は往々にしてひどい妬みを買うために、転落の憂き目を見るものだ。要職を歴任した輝かしい経歴が、かえって命取りになる。
鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝
プルターク英雄伝の面白さを知ることは現代の日本ではかなり難しくなっている。
英雄伝の日本語訳で現在入手できるものは、ちくま学芸文庫の三巻ものだけであるが、残念ながらこれに含まれるもので、一般の読者が読んで意味の分るものは少ない。
上巻では、テミストクレスとアリスティデスとアルキビアデスの伝記の訳が読めるが他は読めない。中巻は全滅状態で途中で投げ出さざるを得ないものが大半だ。下巻はクラッスス、ポンペイウス、カエサルの伝記の訳が読めるがそれ以外はどうしようもない。
ところがここに素晴らしい訳がある。それは鶴見祐輔氏(1885~1973)の訳(潮出版社の潮文庫)である。谷沢英一氏は「新プルターク英雄伝」(祥伝社)でプルターク (Plutarch 50頃-125頃) の面白さを紹介されているが、鶴見訳で読む英雄伝は実際あんなものじゃない。もうべらぼうに面白いのだ。
ところが、この訳には欠点があって、英訳からの和訳のせいで固有名詞が英語風なのである。鶴見氏はテーバイと言うべきところをシーブスと言うの だ。また、人名にしても、ニキアスをニシアスというぐらいはまだいい。ところが、テセウスをシシアスと言ったり、リュクルゴスをライカガースと言うにい たっては、誰のことやらさっぱり分らないのである。
さらにもう一つの難点は、誤植がやたらとあることだ。原稿から活字に起こした段階で起きたと思われる誤植がしばしばあって、どうも政治家としても 多忙だった鶴見氏はそれを校正しなかったらしい。だから、写植工の見間違いから生じたと思われる誤字がまま見受けられるのである。例えば、「絶無」という べきところを「絶望」としたり、「地」を「他」としたり、「敵意」を「敬意」としたり、てにをはを間違えたりと、訳者本人なら間違うはずのないところを間 違っている。そのほかに訳者自身のものと思われる当て字も結構ある。
最近(2000年12月)潮出版社からこの鶴見訳の『プルターク英雄伝』の中から有名な人物だけを選んで集めたものが出版された。そこでは、多く の漢字に読みがながつけられ、また明らかな誤植は改められている。しかし、残念ながら、それでもまだ、あきらかな誤植がたくさん残っている模様である。 (例えば、『アレキサンダー』の197頁で「儲君〔世継ぎのこと〕」とあるべきところが「諸君」のままになっているし、253頁では「それほど」とあるべ きところが「そかほど」となっている)
しかしそれらの障害を乗り越えさえすれば、この訳書の中に、まさにプルタークがギリシャ語で書き表そうとした世界が再現されているのを見ることが出来る。わたしはこの障害を乗り越えるために、岩波文庫の『プルターク英雄伝(全十二冊)』を補助として利用した。
この岩波版英雄伝は歴とした原点からの訳であって、固有名詞は全てギリシャ語読みになっている。しかも、それらには詳しい説明がついている。その意味で非常に重宝する本だ。
ところがこの訳は、山本夏彦が『私の岩波物語』に書いているとおり、信じられないほど退屈なもので、英雄伝とは名ばかりの読んでいてすぐ眠気がさす本である。だから、まったく読書には向いていないので、資料としてならともかく、読書用には購入をすすめられない。
この訳は、プルタークの書いたギリシャ語から訳しているのだが、残念ながらプルタークの言わんとすることよりも、原文にどんな単語が使われている かを伝えるのに熱心なのだ。その結果、原文の息吹が伝わってこない。(そもそも第一回目の訳を読み直さずにそのまま活字に組んでしまったのではないかと思 われるほど、日本語としての文章が整理されていない。)
実際、ギリシャ語の原典と比べてみたが岩波版は実に原典(あるいはLoeb叢書の英訳)に忠実なガチガチの直訳である。しかし、文章に込められた 真の意味、その言葉でプルタークが表現しようとした悲しみや歓びが再現されていないのだ。(英訳に忠実な例、ευχερεια→英訳 familiarity→岩波訳「きさくな態度」。本当は「図々しさ」で、英訳の誤訳であると思われる。Loeb No.101 p26-27)
ところが、鶴見訳にはそれが再現されている。要するに感動させてくれる訳なのだ。読みながら自分の目に涙が浮かんでくるのだ。鶴見氏の英語力とそ れを表現する日本語力には人並外れたものがあったにちがいない。岩波版の訳者のギリシャ語力も日本語力も、それには遠くおよばないと言わなければならない のである。
そこで、わたしは鶴見訳を読んでいて、分らない固有名詞が出て来るたびに、岩波版を参照することにした。そういう利用の仕方をしたのである。
いまここで、「ニキアス」の伝記から同じ個所の訳を読み比べてみよう。
アテナイの将軍ニキアスははるかシシリー島の征服などというばかげた思いつきにとらわれたアテナイ民衆の決議にしたがって、かの地への遠征を命ぜ られたが、シシリーに来て戦いを始めたものの、この戦争の主唱者たるもう一人の将軍アルキビアデスは勝手にいなくなってしまい、アテナイからデモステネス が連れてくるという援軍も来ずに、一人で苦戦に苦戦を重ね、落胆ここに極まれりというところまで追い込まれしまう。その次に、鶴見訳はこう続く。
「しかしながらあたかもこのときデモスシニーズはその堂々たる艦隊をひきいて港外に姿を現し、敵の心胆を奪った。彼は七十三艘の艦船に五千の完甲 兵と三千を下らざる投箭隊、弓兵および投石隊を乗せ、彼らの甲冑の耀き、各船よりなびく旗指物、漕手の拍子を取る無数の舵手と笛吹きとは、敵をして気落ち 神沮(しんはば)ましむるにたる、あらんかぎりの武威と陣容とに映発せしめた」(第五巻43頁)
ここにはまさにドラマチックな運命の展開が描き出されている。ところが、岩波版ではこうなる。
「こうしている時に(前四一三年夏)デーモーステネースが沖合に現はれ、装備も華々しく敵に恐怖を起させるものであったが、七十三隻の船に重装兵 を五千、投槍兵弓兵石投兵を略ぼ三千載せ、武器の威容と軍艦の旗印と艪の音頭取り及び笛吹き多数とを以て敵を嚇すために芝居がかった趣向をこらしてゐた」 (第七巻135頁)
もう書き出しだけでも違うではないか。事実の記載としては両者は同じことを伝えている。しかし、読み手の受ける印象はまるで違う。そして、まさに プルタークが描き出そうとしたものが前者であることに何の疑いをいだきえようか。(ただし「芝居がかった趣向」の個所は訳語の選択を誤っているし、ここで こんな演劇に使うようなのんきな言葉を用いてはならないはずだ)。
ただ、ここに引いた鶴見氏の文章のうちにも、この鶴見訳のもう一つの難点が明らかになっている。つまり漢字がそして日本語が難しいのだ。たとえば 「神沮む」などという言ひ方は今の辞書にはのっていない。これを「しんはばむ」と読み、「意気消沈する」という意味であることがすぐに分かるためには、明 治時代の文章表現にかなり通じているか、小学館の日本国語大辞典を持っている必要がある。
しかしながら、この文章の力強さは、まさに雄渾という言葉がぴったり当てはまるもので、そこには英雄伝つまり武将の伝記を描くにこれ以上はないと いう勇ましさがある。したがって、多少の不明な点は無視しても充分にその面白さを堪能することが出来るのである。(このほかにも「これまでの『今日のつまみ食い』より」で若干を読むことができる。このページの下の方なので、開いてから「プルターク英雄伝」で検索されるとよい)
また、昨今の漢字プームを鑑みれば、漢字検定一級の実力を養う絶好の機会をこの訳書は提供しているとも言える。少なくとも、わたしのこの本で多くの漢字の勉強をした。(それをまとめたのがここに別に掲げた「鶴見訳英雄伝を読むための難読漢字集」である)
「投箭(ナグヤ)」とは何? Weblio辞書
https://www.weblio.jp › content
投箭とは?歴史民俗用語。 読み方: ナグヤ(naguya)弓につがえないで投げ放つ矢。
投箭 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org › wiki › 投箭
投箭(とうせん)は、航空機から投下され、暴露されている敵の人馬を殺傷する鋼製の桿である。 投下箭とも。英語では、air dropped flechettes( ...