葉っぱ天国で規制された男の独り言4

38葉っぱ天国で規制された男
2021-07-08 03:14:48
ID:3gT2kRqM

近代以前

ギリシャ・ローマ
古代ギリシャのポリス・アテナイでは、早い時期に王政が打倒され、貴族による支配が続いていたが、重装歩兵として兵役義務を果たす自由市民たちの発言力の高まりや、交易・貨幣経済によって生じた市民間の貧富格差に対する不満などを背景として、紀元前594年の「ソロンの改革」を皮切りに、「クレイステネスの改革」における「デモス」(区)、「オストラシズム」(陶片追放)、「五百人評議会」の確立などを経ながら、徐々に貴族政治から、民主政治へと移行していくことになった。紀元前5世紀になると、ペルシア戦争における一大決戦であった紀元前480年のサラミスの海戦で、三段櫂船の漕手として活躍した下層市民の発言力も高まり、紀元前462年にはエピアルテスやペリクレス等によって、アレオパゴス会議(元老院・貴族院)の権限の多くが、「民会」や「民衆裁判所」に委譲されるなど、アテナイの民主政は極致に達した。
古代ローマにおいても、紀元前509年の王政打倒による共和政への移行後も、貴族(パトリキ)が仕切る元老院による支配が続いていたが、重装歩兵を担う平民(プレブス)の発言力の高まりを受け、
・紀元前494年 - 平民(プレブス)の権利保護のための「護民官」の設置
・紀元前444年、紀元前444年-紀元前394年、紀元前391年-紀元前367年 - 平民(プレブス)が就任可能な高位である「トリブヌス・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテ」を、執政官の代替として設置
・紀元前367年 - リキニウス・セクスティウス法により、平民(プレブス)枠を設けた上で、「執政官」を復活
・紀元前287年 - ホルテンシウス法により、身分平等な「トリブス民会」を最高立法機関として認定
といった具合に、民主化が進展して行くことになった。
また後には、領土の拡大に伴い、属領の外国人の往来、彼らとの交流・混淆が増え、万民法も誕生・発達した。

キリスト教
閉鎖的な選民宗教であるユダヤ教に立脚していた古代イスラエルでは、長年の周辺民族・国家との対立・混淆、忠誠心を欠いた自民族に対する歴代の預言者達による数々の叱責、神(ヤハウェ)の至高性・卓越性追求(神は他民族をも救う)の果てに、ついにユダヤ民族の特権性の破棄(新しい契約)を宣言するナザレのイエスが登場することになった。
初期キリスト教の代表的な使徒(伝道者)であったパウロらは、異邦人(他民族)へと布教していくにあたり、ユダヤ教徒(ユダヤ民族)の要件・義務とみなされていた、割礼等の戒律・慣習の遵守を、保守派の反対を説得し大幅に破棄・簡素化させた。これによりキリスト教は異邦人(他民族)への布教が容易になり、周辺各地に広く普及していく一方で、ユダヤ教とは完全に分離・分裂していくことになった。

イスラム教
開祖ムハンマドらの初期のイスラム教共同体(ウンマ)から発展して成立した、最初のイスラム系王朝であるウマイヤ朝では、アラブ人優遇政策を採り、同じイスラム教徒(ムスリム)であっても、非アラブ人はマワーリー(被征服民)としてジズヤ(人頭税)が課される等、差別待遇が成されていた。これがウマイヤ朝が打倒される一因となり、その力を借りて覇権を奪取した続くアッバース朝では、そうした差別は撤廃された。これは「アラブ帝国」としてのウマイヤ朝から、真の「イスラム帝国」であるアッバース朝への脱皮を果たした歴史的事件として、俗に「アッバース革命」と呼ばれる。

インド(仏教など)
古代インドでは、紀元前10世紀頃のアーリヤ人侵入以降、そのバラモン階級が伝統的に祭祀・思想の一切を取り仕切ってきたが、紀元前6世紀頃から、中心地であるガンジス川流域において、非バラモン階級の出家者(沙門)達が、従来のバラモン教的伝統に囚われない自由思想家として登場・活躍するようになり、唯物論も含む様々な思想が説かれるようになった。(参考: 六師外道)
その内の1つであった仏教では、開祖であるゴータマ(釈迦)によって、人間は出自ではなくその行い(身口意の「三業」の善し悪し)によって判断されなくてはならないとして、カーストの階級による区別・差別が否定され、徹底した平等主義が説かれ、また実践された。
初期仏教では、僧伽(僧団)に属する出家者(比丘・比丘尼)が涅槃到達・解脱のための修行を行いつつ、在家信徒へ智慧・徳を与え、その見返りとして在家信徒が食物・物品を彼らに提供するという共存関係で成り立っていたが、この関係は在家信徒側に不満・疎外感を蓄積させていく格好となり、やがて衆生救済に励む「菩薩」信仰を派生させ、大乗仏教という仏教改革・革新運動成立の1つの要因・背景となった。そうして成立した大乗仏教の経典においては、『維摩経』『勝鬘経』のように在家信徒を題材として扱ったり、『法華経』『涅槃経』のように仏性・如来蔵思想が強調されるなどして、在家信徒を含む平等主義がより強調されるようになって行った。
(更に後の仏教においては、大衆的な宗教であるヒンドゥー教の台頭に伴い、それに対抗していくために、土俗の様々な呪術を取り入れたり、現世利益を強調する一方、そうした中で僧侶側の理論・行法の高度化・秘術化、大衆との差異化の探求も進み、それらが結合して密教が成立していくことになった。)

中国(儒家・墨家など)
古代中国では、春秋戦国時代に登場した諸子百家によって様々な思想が説かれたが、その内の1つである儒家では、開祖である孔子によって、「仁」(人間愛)が最重要徳目として説かれた。また孟子は、全ての人間が善性の萌芽を備えているとして「性善説」を説き、同時に、人民の生活を顧みてその信任・支持を得ることができないような天子は天命を失っているのであり、新たな天子に取って代わられるのが当然だとする「易姓革命」論を唱えた。
また墨家では、孔子の「仁」が近親者に向けられた差別的な愛であるとして、徹底した平等愛としての「兼愛」が説かれた。
秦朝末期に起きた、史上初の農民反乱である陳勝・呉広の乱の首謀者・陳勝が、決起するに当たり発した言葉は「王侯将相いずくんぞ種あらんや」であった。

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