葉っぱ天国で規制された男の独り言4

40葉っぱ天国で規制された男
2021-07-08 03:22:49
ID:3gT2kRqM

批判
平等主義の積極的追求は、自由主義・民主制の積極的追求と共に、伝統・道徳・社会秩序と対立してこれら後者の基盤を脅かし且つ破壊する(そして結局は、そうしなければある程度は維持できたであろう自由・平等自体の存続をも困難にする)ものとして、また他方で、自由主義と対立し自由を脅かすものとして、古来より批判が加えられてきた。
平等主義に向けられる各種の批判の要旨は、詰まるところ、社会を底無しの「平板化・希薄化」「複雑化」「足の引っ張り合い」(による停滞・混乱・衰退・破滅)に陥らせる危険性に対する懸念という点に、収斂される。(しかし、歴史を振り返れば分かるように、平等主義以外のいかなる理念・主義の下であっても、この危険性は常に孕まれているし、また、人権・民主制を基本とした近代社会システムが、全社会構成員ひいては全人類に、一定の共通基盤と公平感を与え、同時に様々な事態に対処していくための、合理的な規則変更可能性を担保することで、先鋭的な対立・衝突を回避し、社会を安定・発展させることに寄与している点にも、留意が必要だと言える。)
そのような事情もあって、今日、平等主義・左翼(左派)と対立する「保守」というカテゴリーには、伝統・慣習を擁護する立場の者だけでなく、(平等に対して)自由を擁護する側の人間も含まれている。
伝統・慣習・格差に寛容でありつつも、他方で個人の尊厳・自立・選択を擁護し(個人主義)、市場や市民活動における「相互扶助」を中心に形成され続ける自生的秩序を重視する(漸進主義・部分改良主義)といった、英米系の思想家によく見られる古典的自由主義(リバタリアニズム)のような立場は、まさにこの中心に位置する。彼らは、「保守」という呼称の他にも、素朴な伝統・慣習信奉者、守旧派としての「右翼」との区別で、「中道右派」などという呼称でも呼ばれたりもする。専らこのような立場の人間達によって、平等主義(を含む極端・過激な合理主義・急進主義的発想を、とりわけ国家権力を介して強制する形で、どこまでも追求して行っても、社会秩序は維持できるし、より良い社会を作っていくことができるという認識)は、人間の能力を過信した傲慢な認識であるとして、批判されることが多い。(このことは、例えば高性能なスーパーコンピュータですら世界・社会の動向を計算し尽くせないのに、一台のPCにすら遥かに劣る人間の脳でそれができるわけがない、といった形で、現在では事実上例証されている問題だと言える。他にも、アローの不可能性定理やゲーデルの不完全性定理などを引き合いに出し、規則や論理それ自体の原理的限界を指摘する議論もある。)
以下に述べる(積極的)平等主義批判者の多くも、よく「保守の象徴」として言及される。
なお、以下の批判者達の中にもいくらか見られるように、平等主義批判には多くの場合、崇高性・至高性追求の意欲・動機付けを奪ったり、各人の適性を考慮した効率的な人員配置・社会運営を難しくする、横並びで均質的な衆愚化を懸念する「エリート主義」が孕まれることも、特筆すべき点だと言える。

近代以前
プラトンは、アテナイの民主制の顛末を参考にしつつ、著作『国家』において、選抜され、哲学によって修養された哲人王による支配を理想とする一方、民主制は人々を際限無き自己の欲望・自由追求と他への無関心に駆り立て、社会秩序の維持を困難にし、また、そこに付け込むデマゴーグ(民衆煽動家)を生み出し、やがて僭主独裁制へと社会を譲り渡す隷属への道を切り拓くものであることを指摘し、批判した。(一方それ以前の著作『ゴルギアス』においては、強者の支配が野性のライオンに象徴されるように自然の正義であると主張するカリクレスに対して、理性や節度の優位を説き、「不正を被るより不正を行う事が恥であり、法だけでなく自然においても平等の保持が正義である」と主張した。)
なお、プラトンの一連の対話篇や、『第七書簡』等を参照してもらえれば明らかなように、プラトンの社会思想は、
* (哲学によって裏打ちされた)「法律」による支配
* (哲学によって修養された)「哲人王」による支配
の二本柱で成り立っており、「民主政に批判的で、哲人王を推奨する」という点では反平等主義的とも言えるが、「法の下の平等」(誰もが等しく法に服すること)を説いているという点では、平等主義的とも言える。

近代以降
トマス・ホッブズは、著書『リヴァイアサン』において、自然状態という発想から出発し、万人が自己保存・自己決定の能力(自然権)を持ち合わせ、また、総合的に見て「平等に作られている」とみなせる程、個体間の能力差が僅少であることを前提としつつも、その決定的な能力差の無い個人同士が、己の権益を最大化しようとそれを行使し合うことで、「万人の万人に対する闘争」が生じ、社会秩序形成・維持が困難になるがゆえに、それをリヴァイアサン(怪物=卓越した暴力装置)としての国家に譲渡し合うことで、社会秩序を維持すべきであるという社会契約論を展開し、当時の絶対王政を(王権神授説のような素朴な正当化論とは違った形で)擁護し、清教徒革命を批判した。
このように、ホッブズは、プラトンと同じく民主政に批判的で、絶対王政を擁護した守旧派という点では、非平等主義的だと言えるが、他方で、その前提となる議論において、人間の自然状態を考察し、万人が自然権(と呼べるような自在能力・自己保全能力)を持ち合わせてしまっていることを述べたり、自然法、理性、社会契約などの概念を持ち込みつつ合理的に社会像・国家像を述べる点では、理性主義かつ平等主義的認識に立脚しているとも言える。そして実際、この後者の側面が近代社会思想を切り拓く突破口となり、(国家権力によって、構成員(国民)のいかなる権利を擁護・守護・保障させるのか等を巡って)ジョン・ロックらによって批判的に継承・発展されていくことになった。
(それに対して、ジョン・ロックはホッブズの自然権・社会契約論の論旨に則りつつも、「抵抗権」という概念を導入し、国民の生命・財産を脅かす不当な政府であるならば、抵抗・変更して構わないとして、革命を擁護した。)
エドマンド・バークは、1790年の『フランス革命についての省察』において、フランス革命の伝統・慣習破壊的な平等主義・理性主義的傾向を批判した。それゆえ彼は「保守主義の父」と評される。
(それに対して、トーマス・ペインは1791年の『人間の権利』でこれに反論し、世襲・慣習の不当性を指摘した。)
フリードリヒ・ニーチェは、1887年の『道徳の系譜』において、道徳を高潔な「君主道徳」(貴族道徳)と弱者のルサンチマン(怨念)にまみれた「奴隷道徳」に分け、前者の典型を古代のギリシャ・ローマ、後者の典型を中世のキリスト教とし、後者の後継たる民主運動・平等主義を批判した。
フリードリヒ・ハイエクは、リバタリアニズムを称揚し、1944年の『隷属への道』(The Road to Serfdom)において、社会主義・共産主義とファシズム・ナチズムが同根であることを指摘した。
アイザイア・バーリンは、1958年のエッセイ『Two Concepts of Liberty』で、自由を放任的な「消極的自由」(negative liberty)と統制的な「積極的自由」(positive liberty)に分け、後者が自由の対極にある全体主義へと繋がる危険性を指摘した。

機会の平等と結果の平等
平等主義にまつわる批判や政策議論として、平等を「機会の平等」(Equal opportunity, 機会均等)と「結果の平等」(Equality of outcome, Equality of results)に分けて考え、後者は人々の意欲・向上心を奪うことになるので、前者を重視すべきだという意見が、度々登場する。前者(機会の平等)は「中道左派」と、後者(結果の平等)は「左翼」(社会主義)と、それぞれ親和性が高い。
インターネットへのより平等なアクセスを持つ国は、より高いスキル能力を持つ国でもある。ドメイン全体での国のスキルの習熟度とインターネットを使用している人口の割合の間には、有意な正の相関関係(65%)がある。

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